読書記録「LIAR GAME」

読書記録「LIAR  GAME」

著者:甲斐谷忍

出版社:集英社コミックス

初版:2005年年9月~

26回目の投稿になります

今回はマンガ「LIAR GAME」です

天才的な頭脳を持つ秋山深一と、「バカ正直のナオ」と呼ばれるほど人を信じては裏切られを繰り返す神崎直が、騙し合いでマネーを奪い合うゲームに参加することになるというストーリーです

人の心理、追いつめられた人が取る行動、裏の裏の裏を読もうとする策略など、読んでいてとても面白いです

少数決ゲーム、入札ポーカー、密輸ゲームなど、作者のゲーム設定が面白く、どうやったらこんな設定が思いつくのだろうと感心させられます

私が一番好きな場面は、4巻の冒頭の秋山と直の会話です

直が「みんなのことを信じなければなりませんね」と言った事に対し、秋山が言うセリフがあります。それは

「人は、疑うべきだよ」です

人を疑うとは正確には「その人間を知ろうとする行為」であると彼は言います

逆に、信じるという言葉は高尚に聞こえるが、それは「相手を知ることの放棄」であると

信じるという何となく良さげな言葉の裏にあるのは「無関心」であると

初見で読んだとき、ひとつひとつの言葉がグサグサと刺さったのを憶えています^^

秋山は、信じるとは「究極の思考停止状態」なのではないかと直に問うわけですが、それはそのまま自分(読者)に問われているような感じがします

当ブログをお読みいただいたいる皆さん、いかがですか?「疑う」って良くないイメージありませんか?

私もLIAR GAMEのこの部分を読むまではそう思っていました

でも、これを読んでから、自分の価値観として

「好きの反対は、嫌い」ではなく

「好きの反対は、無関心」

であると思うようになりました

また、私も含め、完璧な人などいないのだから「この人のいう事だから間違いない」とか「あの人のいう事だからダメに決まっている」などと決めつけるのではなく、その人の1個1個の事を分けて考えることが「いい意味で疑う」事になるのではないかと思ったりしました

特に、これまでの経験上、いったん好意を覚えた人に対しては、どんなことでも良い方に考えがちになる事もありました

盲信しすぎずフラットに見るということが、考えようによっては相手を尊重する事になるのかもしれません。この辺は、まだ正直よくわかりません^^人間関係、むずいね^^

このマンガは、秋山と直が様々なゲームに巻き込まれながら、何度も何度も思考のどんでん返しがある難解かつ爽快なストーリーです

秋山が切れる頭脳で勝ち上がっていくんですが、その要所要所で直の素直さや実直さを必要とする場面もあり

お互いの足りないところを、お互いが補い合っている感じがあって、そういうところも作品の魅力かなと思います

私は、人と親しくなる時は、親しくなっていく過程においては共通点を見出したくなります

数学の集合でいうとA∩Bみたいな重なり合う部分について盛り上がっていくイメージです

でも、ある程度仲良くなったなと思ったら、その人がもつ、自分とは違う感性や思考について興味をもっていくようになるし

自分がそれまで見せていない部分も見せてもいいかなと思ったりします。A∪Bみたいなイメージです

秋山と直は、性格も考え方も違いますが、違うからこそお互いを信頼し尊重している感じが、巻が進むごとに表現されている気がします

最終巻の終わり方が唐突で、大人の事情で急に終わった感もありますが、私はとても好きな作品です

登場人物が、競馬の騎手の名前をもじっていて、作者、たぶん競馬好きなんだろうなと思わされます^^

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