カテゴリー: 読書記録

  • ♯96 読書記録「東大うつ」②

    読書記録「東大うつ」②

    著者:西岡壱誠

    出版社:ベスト新書

    初版:2026年7月

    96回目の投稿になります

    前回紹介した「東大うつ」の2回目になります

    前回は、東大に合格して前途洋々に思える学生の一定数がうつを発症するケースと原因について紹介しました

    すごく簡単にまとめると

    ・親の勧めで受検した場合、自分の人生を自分で選び取るという経験がなく、合格後に不安が押し寄せる

    ・受験は数値で成果がわかる。でも入学後は目標や興味を自分で見つけないといけない。正解がない世界に不安を感じる

    ・挫折経験のなさ、評価軸の少なさ、反抗期のなさが、うつになる人に多く見られる傾向

    これが、私にも当てはまるなあなんて思いながら読みました

    今回は「じゃあどうすればいい?自分だけだと無理な時の処方箋」として、うつから抜けたエピソードを中心に、こちらも構造的に書いてみたいと思います

    1 休学する

    受験勉強を頑張ってきた人は、立ち止まらず走り続けてきた場合が多い。それはイコール「自分の人生と向き合う時間が少なかった」のではないかと筆者は言います

    私の経験からも、それはすごく的を射ていると思います

    それまでは「ドラクエ的世界」というか、次のミッションがわかりやすい世界で生きてきました。次は洞窟から○○というアイテムをゲットしてくる、次は○○というボスを倒す、次は~というように

    でも、大学では(40を過ぎた今でも^^)マインクラフトの初期のフィールドに落とされたような感じで、どこへ行っても何を建築しても、または何もしなくてもいいですよとなるイメージです

    そうすると、私のような人は、経験のなさに自信のなさがプラスされて身動きが取れなくなってしまうのです

    筆者は「休学して自分を見つめる事は大切だ」「休学という決断をするということが強さだ」と言います

    休学によって回復できた新倉さんという方が出てきます

    彼女はうつになった時、何もできなかったが、麻雀の動画だけはボーっと見ることができたそうです

    新倉さんは、麻雀に「新しい世界を見た」と感じた

    勝ち負けはその場の手牌と判断で決まり、負けても人格が否定されるわけでもない

    麻雀では「勝負を降りる」のも戦略のうち。今の局で負けても次で挽回すればいい

    人生も麻雀と同じトータルで勝負と思えた時、気が楽になったそうです

    私は、苦しみながら休学しなかった人ですが、40を過ぎるとそれなりに色々な経験を重ねてくるので「人生はトータルで勝負」という感覚は痛いほどよくわかります

    今も、少し優柔不断な所があったり、ささいな事で自信を失いそうになる時もありますが、奮い立たせてくれるのは過去の経験な気がします

    適応障害だった時はすごくしんどかったですが、今は、もしこれから同じ症状の人に出会ったら、良きメンターになれるだろうなという自信があるし

    そういう風に役立てたら、適応障害になった事自体も、今まで生きてきた自分も肯定できそうな気がします

    なんか、熱くなりました^^次行きます

    2 親子仲の回復

    親から子へ「条件付きの愛」しか示されていない場合にうつが起きやすいと筆者は指摘します

    100点だと褒められる、少し点数が低いと顔が曇る

    そのような評価軸な親だと、子は、かけてもらったお金、かけてもらった時間に大きなストレスを感じ、壊れるまで走り続けてしまう

    また、子がうつになる親の特徴としては「子どもを同一視する」という事も挙げられています

    親の人生観を子に投影してしまう。自分が成功していれば自分と同じように、自分が挫折したなら自分のようにはならないようにと、自身の理想を子に押しつける

    もう少し大人になれば、親という存在も客観視できるようになるが、大学生くらいだとまだそれは難しい

    これも、私の事を振り返っても大きいと思います

    私は、自分自身の短所を「減点思考」だと思っています

    今はだいぶなくなりましたが、以前は95点のテストが嬉しくありませんでした

    「あー、5点ミスっちゃった。復習しとかないと」って本気で思ってました

    今思うと「いやいや、正解できた95点分をまずは褒めましょうよ^^」となるんですけど、そういう視座がなかったんですね

    そして、勝手に憂鬱になってました

    でも、それも、人のせいにするのは申し訳ないけど言います

    「母親のせいです」と^^

    母がテストの点数を見た時のリアクションはまさにそれでした

    そうすると、学生でつらくなった時に、実家が「安心して帰れる場所」じゃないんですよね

    私は、そういう育ちだった事もあってか、人と対する時は、その人のいいところを見たいなって思います

    大したアドバイスや正解を語る事はたぶんできないけど、「この人には相談してみたいな」って思ってもらえるような「落ち着ける場所」になりたいなって思ったりします

    また長くなってしまってます^^

    私見ですが、私は、人生で一番大変なのは大学生じゃないかと思います

    高校生までは、衣食住とお金の問題は気にせず勉強してればいい

    就職してからは、稼がなきゃいけないけど、仕事が終わればある程度時間は自由

    でも大学生は、大学での勉強というメインがあって、その他にバイトで生活費を稼いだり、進路や就職を考えないといけなかったり。それに一人暮らしが重なると家事、自炊、行政手続きなどものしかかる

    それはそれはストレス過多で大変な毎日。イヤになったり何かに逃げたくなったりしますよね

    筆者の「終わりに」の文も良かったです

    「あなたが壊れたのは、あなたが弱かったからではない」

    「止まっても、休んでも、あなたの存在は肯定される」

    しんどい思いをしている学生にも、その親にもためになる本なのではと思いました

    私も、この本を読んで、しんどかった大学時代を肯定するという再定義ができました

    いつも長くてスミマセン^^

  • ♯92 読書記録「東大うつ」

    読書記録「東大うつ」

    著者:西岡壱誠

    出版社:ベスト新書

    初版:2026年7月

    92回目の投稿になります

    先日訪れた札幌の書店で偶然見つけた本です

    この本は、軽い気持ちでカフェで読み始める本ではありませんでした。私の幼少期からの生き方、大学時代の憂鬱が書かれていて、危うく泣きそうに^^

    タイトルは「東大うつ」となっていますが、受験勉強を真面目に頑張って、ある程度の大学へ合格した人なら、大いに共感できると思います

    私は北海道の小さな国立大学で、東大とは比べるべくもないですが、たくさんの気付きのある本でした

    タイトルが目を引くように「東大うつ」となっていますが、「大学うつ」として読んでも問題ないと思います

    この本のいいところは、うつになった人を個人の問題とせず、構造の問題としているところです

    そこがすごく救われます

    • うつ発症のケース

    ・受験は、努力が数値として帰ってくる。でも、入学後は「次の目標」がなくなる。「で、次なにをすればいいんだろう?」と思ったら何の意欲もわかなくなった

    ・親の勧めで東大を受験したIさん「自分の人生を自分で選ぶという回路が一度も起動しないまま大人になってしまった私は、初めてその回路を必要とした瞬間に、立ち尽くしてしまった」と回想した

    →すごく良くわかります。私も今思い返すと親の期待を背負わされて、教師を目指すというレールに乗りました

    そうすると、肝心な所で踏ん張りがきかないというか、頑張れない感覚がありました

    どこかで「他責」というか「真剣になれない」というか…

    言語化が難しいですが、自分の気持ちに向き合わず大学生になってしまった感がありました

    第2章 7人のケースから見える「うつになりやすい人の特徴」

    • 挫折経験の少なさ

    勉強という分野で失敗しにくい。これが意味するものは、新しい何かへの挑戦をしなくなるという事。勉強が「失敗しない安全な場所」になる。その結果、挫折経験がないまま東大へ行くことになる

    • 評価軸の少なさ

    勉強ばかりの人は、自分の価値を測る物差しが勉強に一本化されやすい

    大学に入り、就活が始まり、正解が見えなくなった瞬間に「勉強を頑張ってきた自分」という軸が揺らぐ

    そして心が不安定になる

    勉強以外の経験がある人は崩れにくい

    趣味、アルバイト、恋愛、ゲーム、釣り、料理。「勉強以外の場所にも、自分がいていい」と感じられる人は、1つの軸がうまくいかなくなっても、別の場所で呼吸をする事ができる

    • 反抗期のなさ

    成績が安定して良い、学校の先生からも高評価、親のいう事をきちんと聞くいわゆる「いい子」。理想的な成長過程に見えるが、これが落とし穴

    親や先生の期待に応えられる能力があるという事は、自分で考えて選ぶという必要がなかったという事

    小中高時代にうまくいきすぎた結果として、自分で考えて方向転換する訓練、反抗してでも道を変えるという経験を積めなかった

    これに一人暮らしなど環境の大きな変化も重なると、自分がどこに進めばいいのかわからなくなってしまう

    • 就活期にうつが出現しやすい

    高校までの世界は、指標がとても明確。偏差値、順位、合否。どれも「次に何をすればいいか」を数値で教えてくれる

    しかし、大学以降は成功の定義が一気に曖昧になる

    私のように単科大学(教育大学)へ進んだ感じだと、進路の軌道修正は非常に難しいです

    ただでさえ決断した経験が少ないのに、「先生を目指すのをやめる」事は、進路変更ではなく「無」とか「闇」みたいな感覚になりました

    教育実習へ行って、先生に向いてないかもというのはぼんやりわかっているのに、だからと言って他の道も見えない

    「引き返せないところまで来てしまった」感が大学3~4年の時の私の素直な感情だったと思います

    まさに、以前紹介したヨルシカの「ヒッチコック」の心象風景ではないでしょうか

    「そんなの君にしかわからないよなんて言われますか?」ってね^^

    結局私は、30代半ばまで自分を騙しつつ仕事を続け、その後ぶっ壊れる訳ですが^^

    それなら大学時代にぶっ壊れといた方が良かったのか?なんて今俯瞰して見ると思ったり思わなかったりしますね(どっち?^^)

    続きは次回です

    今回の本は、わかる方にはすごく刺さるのではないかと思います。ピンときてない方ごめんなさい^^

    次回は、「じゃあどうすればいい?自分だけだと無理な時の処方箋」として、うつから抜けたエピソードを中心に、こちらも構造的に書いてみたいと思います

    最近、自ら心をえぐられに行っている気がします^^Mなのでしょうか?

    でも、自分を再構築する大事な作業である気がしています

    重い気持ちになった方、ごめんなさい

    もう少し、私の内省にお付き合いください^^

  • ♯88 読書記録「日本一周すると10万円貯まる本」

    読書記録「日本一周すると10万円貯まる本」

    著者:不明

    出版社:日本貯金本普及協会^^

    初版:不明

    88回目の投稿になります

    アホ回です^^

    今回紹介するのは「日本一周すると10万円貯まる本」です

    表紙はこんな感じ

    中を開くとこんな感じ

    500円硬貨を埋め入れる箇所が見開きで20か所、これが10ページ分あるので、全ての穴を埋めきると10万円貯まりまっせという本です

    私、大学生くらいからこれを始めて未だに続けています^^

    私、自己肯定感は低め(最近は高め^^)ですが、この「これと思ったことを淡々と続ける力」はホントに人並み外れてると思います^^

    このブログも、たぶん末永くやっていくと思うので、よろしくお願いします

    一応ルールとしては

    ・500円玉を生み出すような買い方をする

    例えばお会計が600円の時は、1100円出して500円のお釣りを生み出したりします^^

    自販機あまり使わないけど、使う時はあえて1000円入れてお釣りで500円玉ゲットしたり。たまに全て100円玉で返ってきて自販機を見つめ返したり^^

    なにか買い物をして500円玉ができたら「あ、あの本に入れよう」って思って使わないでおく。そして、帰ったら本に入れるみたいなのが習慣化しています

    ・ゴールするまでは取り崩さない

    →無駄にストイック^^

    ・達成したら、その10万円は好きに使う

    →たいていは旅行になりますね。一度10万円の時計を買ってみたんですけど、まったく心が躍りませんでした^^自分が「物欲ないマン」だという事がわかりました。7万円くらいでリセール出来てホッとした記憶があります^^

    実はこの本、埋めきっては取り出し、埋めきっては取り出しを繰り返し、もう20年くらい使い続けています^^

    日本貯金本普及協会さんへ

    もう少し弱く作って、何回か使ったらへたってくるようにしないと、新しいの売れないですよ^^ユーザーとしては嬉しいですけど^^

    500円玉を全て埋めきって持ち上げると、相当ずっしりします。2キロくらいあるんじゃないかな。立派に凶器です^^

    あと、この本を作ったのが「日本貯金本普及協会」って^^

    名前おもしろすぎです^^

    検索したらホームページあって、そこに「両替手数料無料の裏技」とか載ってておもしろい^^

    なんか人生楽しく生きてる人たちって感じがします^^

    最近の悩みは、500円玉貯金のペースが著しく低下している事です

    なぜなら、投資を始めた5年ほど前から私は楽天経済圏で生きるようになったからです

    楽天銀行、楽天カード、楽天ペイ、楽天証券…。キャッシュレス生活が浸透し、本当に現金を使わなくなりました

    使うのは、近所の個人経営の魚屋さんくらい^^

    「日本一周」というコンセプトのため、各ページには、各都道府県の観光地やご当地のフードなどのミニ情報が載っています

    この本を「読書記録」として載せていいのかという葛藤はありましたが、「ま、いっか」という事で^^

    前回が乱歩の「人間椅子」だったので、ライトな物も織り交ぜていかないとね^^

    あなたも500円玉貯金、一緒にいかがですか^^

    ちなみにこの本、表紙をひっくり返すとブックカバーっぽくなります

    「家族にバレずにこっそり貯めたい時にオススメ」だって^^

    しかも、ダミーでうすーく「日本文学全集」って透けるような感じにしてある^^写真で伝わるかな?

    では、また次回です^^

  • ♯83 読書記録 江戸川乱歩「人間椅子」 

    読書記録「人間椅子」

    著者:江戸川乱歩

    出版社:新潮文庫

    初版:1925年10月

    83回目の投稿になります

    今回は、江戸川乱歩の「人間椅子」を紹介します

    この作品は、「江戸川乱歩傑作選」という初期の9編の中の1つです

    江戸川乱歩の作品は狂気に満ちていて、読んでいてゾクゾクしてきます^^

    ホラー的要素もありますが、「お化けが出てきてキャー!」的な恐怖じゃなくて、「え、これヤバ…」みたいなジワジワ来る恐怖なんです

    語彙力なさすぎて伝わってないかもです^^

    物語は、特殊な性癖を持つ男が、その性癖をある女性に話す形で進んでいきます

    その性癖とは「椅子の中に入り込んで、人の体の重みを感じる事」

    ね、ヤバいでしょ?^^

    それを、その椅子の持ち主である女性に手紙という形で男が語りかけます

    先ほど説明した「お化け的恐怖」ではない「ぞわっとする恐怖」の感じ、わかっていただけるのではと思います

    そして、この作品をさらにヤバくしているのが、男の語り口です

    すごく丁寧で、紳士的なんです。それがまた、気味悪さ倍増といいますか^^

    少しだけ紹介してみます

    「私は、彼女が私の上に身を投げた時には、できるだけフーワリと優しく受けるように心掛けました。彼女が私の上で疲れた時には、わからぬほどにソロソロと膝を動かして、彼女のからだの位置を変えるようにいたしました。そして、彼女が、ウトウトと居眠りを始めるような場合には、私はかすかに膝をゆすって、ゆりかごの役目を勤めた事でございます。」

    「薄いなめし革ひとえ隔てて、肌のぬくみを感じるほども密着しているのでございます。それにもかかわらず、彼女は何の不安もなく、全身の重みを私の上に委ねて、見る人のない気安さに、勝手気儘な姿態をいたしております。私は椅子の中で、彼女を抱きしめる真似をすることもできます。その豊かな首筋に接吻する事もできます。そのほか、どんな事をしようと、自由自在なのでございます。」

    はい、ヤバいですね^^

    これを読む女性の立場で考えると、恐怖以外ありませんね

    でも、これを書くと私も変態になってしまうのですが、私も「重み」好きなんですよね^^

    あ、もちろん、椅子には忍び込みませんよ^^でもね、前にも書いた記憶がありますが、掛け布団を信じられないくらい重ねて寝るし、なんなら人に乗っかってもらいたいです^^

    ま、匿名のSNS空間だから言える事ですね

    作品に戻りますが、この本は、2通目の手紙がオチになっているのですが、そのオチも秀逸です

    24ページなので、1時間もあれば読めます。また、この「江戸川乱歩傑作選」には、「心理試験」「芋虫」「鏡地獄」などゾクゾク系で私が大好きな作品がたくさんあります

    眠れない夜に、乱歩、いかがですか?余計寝れなくなるかもしれないけど^^

    ↑何度も読んでるので、表紙がボロボロ^^

  • 読書記録「いい人すぎるよ図鑑」

    読書記録「いい人すぎるよ図鑑」

    著者:円城卓・佐々木日菜・真子千絵美

    出版社:PHP

    初版:2024年3月

    74回目の投稿になります

    先週の読書記録では、朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」を紹介しました

    そして、次回もその続きを紹介しますと言っていました

    ですが、予定変更します^^すごくいい本に出会ったので順番を変更します

    「イン・ザ・メガチャーチ」は、自身の「得体の知れない不吉な塊(by梶井基次郎『檸檬』^^)」に向き合わざるをえず、絶対重くなるので、一回明るいのを挟んでおこうかと^^

    今回紹介するのは「いい人すぎるよ図鑑」です

    2023年に各都市で「いい人すぎるよ展」を開催したことから作られた本みたいです

    ちなみに、「いい人すぎるよ展」は、チケット30000枚が完売したそうです

    この本、ヤバいです^^

    泣ける要素は特にないはずなのに、とっても泣けてきます

    私という人物を真っ向から受けとめ、肯定し、支えてくれる本です

    優しくて、でも優しすぎるがゆえに気を遣いすぎ、少し心が疲れているそこのあなた

    あなたです^^あなたにぜひ読んでほしい本です

    少し内容に触れます

    • すれ違うとき「あともう少しですよ~」と励ます、下山している人
    • レジ会計でイヤホンを外す人
    • 缶コーヒー、微糖と無糖を両方買ってきて選ばせてくれる人

    →この3人、絶対いい人でしょ^^私、バスの運転手してますので、イヤホンの人は特に共感できます。外さなくても清算は成立します。でも、イヤホン外す人は100%「ありがとうございました」って言うし、こちらからの「ありがとうございました」を聴く姿勢もちゃんとある。つまり、目の前の人を気遣い、コミュニケーションを大切にしている人ということがわかります

    • 1人でご飯を食べる時も、小さく「いただきます」をする人
    • 学校で後ろの席にプリントを配るとき、必ず振り向いて渡してくれる人
    • 「さっき何か言おうとしていましたよね?」と話を戻してくれる人

    →この3つは、私が自然とやってることなんです^^

    「いただきます」は、おばあちゃんのしつけですかね^^

    プリントは、自然にやってました。あと、すごく細かい事なんですが、書いてみます。

    例えば私が列の後ろから3番目の時、私の所にまわってきた時点であと2枚。つまり1枚足りない状況

    その時、私はその2枚をそのまま後ろに渡して、自分が「1枚足りないでーす」って取りに行っていました

    それは、「いい事だからやっていた」というよりも、「後ろの人が取りに行くと、なんか心がモヤっとする」という感覚が正確かもしれません

    この本には、上記のような私の心の中の想いも、解説に全て記載されていました^^

    「さっき何か言おうとしてましたよね?」については、なんでかわからないけど、相手と話していると気づく瞬間があるんですよね^^

    「あ、今、話したい事をのみこんだな」って

    たぶん、私も「言おうと思ったけどやめる」事がしばしばあるから、相手のそれも気づいちゃうんだと思います^^

    でも、最近は「のみこんだって事は本人が話すのやめたって事だから、聞かないのも優しさなのかな」とも思います

    本には、こんな感じの「いい人」が100人出てきます^^

    本の途中にコラムがあります

    そのタイトルが「いい人を見つけると、自分がいい人だと気づく」です

    こんな記述があります

    「きっと、この図鑑の中には『なんだこんなの当たり前じゃん』と思うものもあると思います。それは、あなたがいい人だからです」

    「いい人に気付けると、自分自身の『いい人』な部分にも気付けて、自分のことをちょっと好きになれたりするかもしれません」

    いやー、泣いちゃうからやめてほしいですね^^

    自分が当たり前にやっている事、もしくは、相手に気を遣いすぎて逆に反省したりする事をこの本は全肯定してくれます

    私は、この本に共感できる人に会いたいです。そして、友だちになりたいです

    でも、たぶん私含めそういう人は「私、いい人です」アピールなんて絶対しないだろうから、会えないんだろうな^^

    私は、もし自分の身近な人が自分に自信を持てなかったり、何かに踏み出すのにためらったりしていたら

    「あなたはいい人だよ」

    「あなたをわかってくれる人は、少なくとも日本に30000人いるよ」

    って、この本を渡しながら伝えたいですね^^

    久し振りに、本屋さんでたまたま出会ったいい本でした。こういうのが実店舗の本屋さんのいいところですね^^

    読者様方にもオススメの1冊です

  • 読書記録 朝井リョウ「イン・ザ・メガチャーチ」①

    読書記録「イン・ザ・メガチャーチ」①

    著者:朝井リョウ

    出版社:日本経済新聞社

    初版:2025年9月

    70回目の投稿になります

    ちょっと前に「50回目だー」とか言ってた記憶がありますが、気付いたら70回目でした^^

    初めまして様も、いつも来ていただいているあなた様も、ありがとうございます

    私、コツコツ継続する力が意外とあるのかもしれません

    あとは、一度「これ」と気に入った物や事があれば、それを生活の一部に組み入れる感覚もあります

    このブログ、マラソン練習、料理などはもうだいぶ習慣化されているので、なにか新しい事に取り組んでみようかと考えている今日この頃です

    相変わらず、生き急いでます^^

    さて、今回紹介する本は、朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」です

    今年の本屋大賞を受賞した本で、私もその報道をきっかけに読んでみた感じです

    以前、「正欲」も紹介しましたが、最近は朝井リョウにどっぷりハマっています

    「イン・ザ・メガチャーチ」は、ストーリーも面白いし、3人の登場人物の心情も共感できるし

    でも読み進めると共感とは別の恐怖感や孤独感なども襲ってきて、読み終わった時、少し息苦しい感覚に襲われました

    たぶん、2回にわたって書いてみる事になると思います^^

    さて、この本は、「推し活」を大きなテーマとしてストーリーが進みます

    1人は推し活を仕掛ける側の音楽会社社員。もう1人は推し活にのめりこんでいく女性。もう1人はかつて推し活にのめりこんでいた女性

    私が面白い(というか恐ろしい)と思った事を、キーワードで書いてみたいと思います

    1つ目のキーワードは「物語」です

    仕掛ける側は、アイドルとしてデビューするグループのパフォーマンスやビジュアルそのものよりも、その前後の物語を強く打ち出します

    「取り込みたい対象は、共感能力が高く、自他の境界が曖昧な気質の人である。それらの人は自己のアイデンティティを相手に重ね合わせ、その物語性に魅了されていく。そのような経緯で応援するファンは離れづらい」

    こういう事を、戦略的に仕掛けていくんですね

    私含め、誰もがなにかに「ハマる」時には、こういった仕掛ける側がいるという事が興味深くもあり、怖くもありといったところでした

    私もたぶん、相手の物語性に感化されやすい気質を持っていると思います

    相手との共通点を見つけた時には嬉しくなるし、頼られると頑張ってしまうタイプでもあると思います

    「じゃあ、そうならないように気を付けよう」で終わらないのが朝井リョウでした^^

    次へどうぞ

    もう1つのキーワードは「視野」です

    私は、視野とは広ければ広いほどいいと思っていました

    実際、日常生活を送る上では(または、社会規範に沿った形で生きていくためにはと言った方がいいかな)、視野の広さはポジティブな言葉として用いられると思います

    でも、この本では、推し活にのめりこんでいくときに、「視野を狭くする」という言葉が何回もでてきます

    広くするんじゃなくて、狭くする、です

    「物語に没入するというのは、視野が狭まるということでもある。だから、お金を使いすぎている、自分のためにはならないとわかっていても行動を変えることができない。心配して声をかける人を敵認定して遠ざける。そういう事に目を向けずに推し活にのめりこむ。」

    それを本の中では「自分を使い切る」と表現しています

    もう1つのキーワードは「信仰」です

    いかにお金を落とさせるか、経済的に身を滅ぼしかねないほどの推し活を、宗教になぞらえて次のように書いています

    「本質的には無意味、低価値、無関係なものを、仕掛ける側が発信する物語性によって信者を視野狭窄に陥れ、価値が高いと思い込ませて本来の価値以上の対価を支払わせる」

    そして

    「中毒症状がある方が苦しくないのだ人生は。ずっと我に返ったまま生きるには、この世界は殺伐としすぎている。自分を使い切っている人には、外部からのジャッジが一切通用しなくなる」

    「結局皆、信じるものが欲しいんです。孤独の中で信じられそうなものに出会った時、人はその対象に強い共感や感情移入を試みます。その結果、時間や労力、お金を注ぎ込むようになる」と続きます

    でも一方で

    「理由も目的もなく、ただ一緒にいられる人がほしい」

    「自分以外の誰かと1つの物事を同じ目線で見つめることができる時間というのは、すごく貴重なのかもしれない」

    という感情も持ち合わせている

    こうなってくると、読み進める私の情緒は不安定です^^

    読んでいてドキドキしてきます^^

    私、現代作家では、「この作家さんが好き」というのはあまりありませんでした。しかし、今は朝井リョウさんにハマってます^^

    あるアーティストを好きになったら、それが5枚目のアルバムだったりすると1~4枚目のアルバムも遡って聴いたりするじゃないですか(私だけ?^^)

    それと同様に、今は「桐島、部活やめるってよ」から順番に読み進めています

    あー、マジで時間足りない^^1日が26時間くらいあったらいいのに^^

    今回は引用が多く、うまく紹介できなかった気がします

    次回は、「イン・ザ・メガチャーチ」の主な登場人物の1人、武藤澄香に焦点を当てて、私のこれまでと重ね合わせてゲロ吐きながら(表現が良くない^^)書いてみたいと思います

  • 読書記録 萩原朔太郎「月に吠える」

    読書記録「月に吠える」

    著者:萩原朔太郎

    出版社:新潮文庫

    初版:1945年10月

    66回目の投稿になります

    最近、ヨルシカモチーフの作品を3冊読みました

    「月に吠える」「夢十夜」「風の又三郎」です(ヨルシカの曲のタイトルとしては、それぞれ「月に吠える」「第一夜」「又三郎」となっています)

    どれも、過去に読んだことのある作品でしたが、再読してみると以前とは異なる感覚で読めた気がします

    それはおそらく、現在の自分の心情、知識、経験、年齢などが過去の自分と変容しているからだと思います

    今回は、萩原朔太郎の詩集「月に吠える」を取り上げてみます

    私は、詩の味わい方を知りません^^実際、読んでも「?」となる詩の方が多かったですし、いいなと思う詩も、どこがどういう風にいいのかという言語化が難しかったです

    でも、萩原朔太郎自身が、この本の序文で次のように書いてくれています

    「すべての良い叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う。これを詩の『にほひ』という」

    「私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表れた概念や『ことがら』ではなく、内部の核心である感情そのものに感触してもらいたいということである」

    「リズムは以心伝心である。そのリズムを感知することの出来る人とのみ、私は手を取って語り合うことができる」

    ありがとう朔太郎^^この序文のおかげで、いい悪いとか、共感できるできないとかそういう事じゃなく

    「なんか気になる」「うまく言えないけど印象に残る」といった観点で読み進めることができました

    例えば「群衆の中を求めて歩く」です

    『見よこの群衆のながれてゆくありさまを

    このひとびとの群は建築と建築との軒をおよいで

    どこへどうしてながれ行こうとするのか

    私のかなしい憂鬱をつつんでいるひとつのおおきな地上の日影

    ただよう無心の浪のながれ

    ああ どこまでもどこまでもこの群衆の浪の中をもまれて行きたい』

    私、最近、歯医者に行ったり人に会ったりするために札幌の中心部をよく歩きます

    この詩に触れた後に行き交う雑踏を見ると、見え方が全然違ったりして面白いです

    私、なぜかわからないけど、一人でいるときよりも、たくさんの人がいる環境の方が淋しさや孤独感を覚える感じがするんです

    この詩を読んでなんかそれを思い出しました^^

    例えば「強い腕に抱かる」です

    『風にふかれる葦のように

    私の心は弱弱しくいつも恐れにふるえている

    女よ、おまえの美しい精悍の右腕で

    私のからだをがっしりと抱いてくれ

    このふるえる病気の心を静かに静かになだめてくれ

    ただ抱きしめてくれ私のからだを

    ひったりと肩によりそいながら

    私の弱々しい心臓の上に

    お前のかわゆらしいあたたかい手をおいておくれ』

    これを作者は相手の女性に言葉にして伝えられたのかなあ、いや思うだけで伝えられなかったんじゃないかな、みたいに勝手に感じたのと

    私がすごく印象に残ったのが「ひったりと」と「かわゆらしい」です

    なじみのある使い方だと「ぴったりと」だと思うんですが

    「ぴったりと肩によりそう」だと、肩どうしがぎゅっとくっついている感じがしますが「ひったりとくっつく」だと、触れてはいるが

    ぎゅっと感がなく、密着の温度感が低い感じがします

    「かわゆらしい」も「かわいらしい」より少し控えめで儚い感じがします

    なんかそういう表現が好きな作品でした^^

    萩原朔太郎は、序文で、人間というものをこうとも表現しています

    「思うに人間の感情というものは、きわめて単純であって、同時に極めて複雑したものである。」

    「人間は、一人一人にちがった肉体と、ちがった神経をもっている。我のかなしみは彼のかなしみではない。しかし、それはまた、世界の何人にも共通なものである。この特異にして共通なる個々の感情に焦点を当てる。そのとき、永久に我々は孤独ではない」

    →たぶん大学生くらいに読んだ時には、よくわからなかったような気がしていますが、今は彼の言いたい事がよくわかります

    文章を書く人って、孤独について突き詰めていく作業をする人が多いのかな

    序文の終わりは、次のような文章で締めくくられます

    「月に吠える犬は、自分の影を怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のような不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘付けにしてしまいたい。影が、永久に私のあとを追ってこないように。」

    たぶんですが、ヨルシカの「月に吠える」の歌詞は、このあたりをメインに作られたのかなぁなんて思ったり

    私、以前、自由律俳句の尾崎放哉を紹介した時「尾崎放哉とは友だちになれそう^^」と書いたのですが、萩原朔太郎とも友だちになれそうです^^

    リアル世界の友だちも作ったら?と思いますが、まあそれはそれとして^^

    これを読んでからヨルシカの「月に吠える」を聴くと、また違った趣になりますね

    本の装丁もヨルシカコラボバージョンになっていていい感じです

    本屋さんのピックアップ本みたいに、正面をこちらに向けて本棚に置きたくなります

  • 読書記録 千早茜「あとかた」

    読書記録「あとかた」

    著者:千早茜

    出版社:新潮文庫

    初版:2016年2月

    62回目の投稿になります

    最近、女性作家さんの本をよく読むようになりました。それまでは、「女性作家=内面のドロドロを描く」みたいな勝手なイメージで敬遠していました

    私は、大変なお子ちゃまでした^^大いに反省しています^^

    千早茜さん、以前「眠れない夜のために」という短編集を読みました。今回は2冊目です

    すごくいい本でした

    「あとかた」は、「ほむら」「てがた」「ゆびわ」「やけど」「うろこ」「ねいろ」の6つの短編からなる本です

    そして、連作の形になっていて、それぞれの短編の主人公が別の短編でも登場します

    ある話では一人称として、ある話では二人称として登場し、少しずつ相関がわかっていくような作りになっています

    例えば千影さんという人物は、「やけど」では気高く自立した女性に見えるが、一人称視点での「ねいろ」では孤独で繊細な女性として描かれていたり

    視点の変化が楽しめる小説にもなっています

    私は、「やけど」が印象的でした

    スミマセン、少し内容に触れます

    サキという名の家出をしてきた女の子の話です

    付き合う男に様々な傷をつけられ、それをSNSにアップする

    「くれるものはなんだって受け入れる」と、優しさやお金やプレゼントだけでなく、暴力やセックスや束縛もちゃんと受け入れる

    同級生の松本や、アイリッシュパブで出会った千影さんに出会うことで少しずつ感情が変化していくというストーリーです

    最後、千影が吸っている煙草を取り上げて、自ら手の甲に火を押し付ける場面があります

    それを彼女は、「生まれて初めて自分でつけた傷、この痛みを抱えて生きていく」と言います

    私の説明力がないためあまり伝わらないと思いますが^^読んでいてドキドキというかゾクゾクします

    私でいうと「この本を読むと、あの人を思い出す」みたいな事と近いのかな

    しかも自分の体についた傷だから、いつなん時でも見ることができる

    はたから見たらそれは「痛そうな傷」だけど、本人にとっては「消える事のない愛情や信頼の証」みたいな感じなのか

    「共感できる・できない」みたいな評価を簡単に下せないというか、下さない方が読後感がいい本だなと思います

    登場人物それぞれが心に重みのようなものを抱えていて、理性と欲、劣等感とつながりたい気持ちなどが複雑に混ざり合っていく

    本のタイトルが「あとかた」なのも、読み終わった後ではしっくりくる気がします

    人は、何も遺していないと思っても、何らかの痕跡を相手に遺しているのではないか

    もしそうなら、素直に自分をさらけ出した方が、相手の中に「あとかた」として濃く遺るのかななんて思ったりしました

    手の甲に煙草の火を手の甲に押しつける度胸はなさそうだけど^^もうちょっとライトなやつで痕跡遺してみようかな^^

    各話40ページほどで、量的にも読みやすいです

  • 読書記録 三島由紀夫「不道徳教育講座」

    読書記録「不道徳教育講座」

    著者:三島由紀夫

    出版社:角川文庫

    初版:1967年1月

    58回目の投稿になります

    今回は本の紹介です。三島由紀夫の「不道徳教育講座」です

    この本も、私になかなかの影響を与えた本です

    まず、タイトルがいいですよね^^

    すごく簡単に言うと「世の中一般の常識、モラル、道徳を疑え」という内容の本です

    私がメンタルをやられて前職を辞め、転職するに至った際に、考え方の転機になった本のひとつです

    では、紹介してみます

    三島由紀夫の考えが遠慮なく綴られています

    今なら「炎上案件?」かもしれません^^例えば

    「人の恩は忘れるべし」

    「教師を内心バカにすべし」

    「罪は人になすりつけるべし」

    「弱い者をいじめるべし」

    ね、なかなか刺激的でしょ^^

    でもね、例えば私は、「周りに迷惑をかけないように真面目に生きてきた人間」であり、それによって生きづらさを感じたり、逆に自己肯定感を感じられなかったりという半生でした

    そんな私にとっては、この本が「現実世界という荒波を乗り越える処世術」のように思えます

    例えば「友人を裏切るべし」です

    著者は、友人関係というやつは、実は一方が主人で一方が家来である事が多いと言っています

    だから、対等な友人関係を維持するためには、家来側もほどよく相手を裏切り、ほどよい緊張感を生まないと家来は家来のままになってしまうと言うのです

    これ、すごくわかる気がします

    対人関係において、双方が対等な関係ってレアケースな気がします

    たいてい、どちらかが自由奔放にふるまって、一方がそれに従う図式になっている

    関係性の維持のためには従う側の努力が必要であり、その場合、たいてい従う側がストレスを抱えながらの日々になる

    これって、友人関係に限らず、彼氏彼女の関係や夫婦関係などもっと広く適用できそうです

    かく言う私も、今までは「従う側」に位置する事が多かった気がするので、これからはマウント取ってきてんなーっていう相手には、適度に裏切ってやろうかと^^

    できんのかって感じですけど^^

    自然に対等な関係になれるのって、なんか言葉にし難い相性みたいなものもある気がしますが^^

    例えば「大いにウソをつくべし」です

    著者は、ウソをつくという行為を「頭脳鍛錬法」と表現します^^

    「1つウソをつく。ウソはウソを生み、うっかり間に本当の事を言ってしまったら辻褄が合わなくなる。その辻褄を合わすには、自分の言った事すべてについての強い記憶力がいるので、なかなかバカにはウソはつけません」

    これが彼の言うウソの効用です^^

    このように言われると、ウソをつくという行為は、相手への申し訳なさをとりあえず無視すれば、フィクションの世界を自分の能力の限界まで広げる行為のように思えてきます

    いかがですか?

    私はこの本を読んで、なんか世界が開けた感じがしました

    あと、どのような行為にも必ず「善の側面」と「悪の側面」がある事に気付けました

    友人を裏切るというのは、道徳的には悪かもしれないけど、自分を守るためには場合によっては善になりうるという感じです

    三島由紀夫の代表作の「金閣寺」を読んだ事もなければ、彼の思想にも特に共感はしませんが、このエッセイ集は、語り口も軽妙で、楽しく読めました

    真面目ゆえの生きづらさを抱える方、一読すると色々な気づきがあるかもしれません

    予約投稿をすっかり忘れていて、土曜投稿となっております

  • 読書記録 ヴィクトール・フランクル「夜と霧」

    読書記録「夜と霧」新版

    著者:ヴィクトール・フランクル

    出版社:みすず書房(池田香代子訳)

    初版:1956年

    54回目の投稿になります

    体調不良は咽頭炎という診断でした

    めっちゃノド痛い^^3日間ほぼ声を出さず、つばを飲むのもひと苦労といった感じでしたが、だいぶよくなりました

    水曜公休、木曜有給、金曜公休とせっかくの公休を2日使ったのが悔やまれますが^^

    ブログ書き溜めたり、パワポ作ったり、本読んだりそれはそれでいい時間でした

    体の調子が悪いと気持ち的にも落ちやすくなるなとか、夜って孤独感を抱えやすいんだなとかそういう事を俯瞰して捉える機会にもなりました

    あと、夜中に読む本は精選すべきですね^^

    太宰の「斜陽」は寝れなくなるし、乱歩の「人間椅子」は別の意味でゾクゾクして寝れなくなります^^

    前置きが長くなりました。今回は、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」です

    フランクルはユダヤ人の精神科医で、1941年から終戦までドイツの強制収容所に抑留された人物で、収容所内での出来事を「観察」という形で記録に残しました

    この本は、極限状態での人間の挙動、絶望の乗り越え方について考えさせられる本です

    内容的には重いです。書くのもはばかられるような恐怖や虐待や飢えは読んでいて辛くなります

    この本については、たぶん私、一読しただけでは読み取りきれていない感じがしています。もう少し年齢や経験を重ねたらまた読んでみたい作品です

    では、内容に触れてみます

    絶望的な状況になった時、崩壊して死んでいく人とはね返す弾力性のある人がいたとフランクルは書いています

    しかも、繊細な精神の人の方が、頑丈な身体の人よりも収容所生活を耐え抜いたとも書いています

    その最も重要な考え方の一つを「拠り所」としています

    そして、その「拠り所」を外に求めるか自分の内面に求めるかで違いが表れるとしています

    少し難しめで、私も理解できているとは言い難いのですが、がんばって書いてみます

    外に拠り所を求める例として次のような事が挙げられていました

    「ある時、収容所内で、年末のクリスマスに休暇が出て家に帰ることができるという噂が流れた。その日まで耐えれば帰れると希望を持った人たちがいた。しかし、22日、23日と近づいても一向にその気配がない。そして、クリスマス当日、それが事実ではない事を知る」

    これによって何が起こったか想像できますか?

    その翌日、今までで最大の(しかも突出して多い)死者が記録されたとのことです

    つまり、噂という外的なものを拠り所にすると、それが叶わなかった時に精神世界が崩壊させられてしまうという事を著者は知ったという訳です

    一方、生き延びた人に多かったのが「内面的な関係性を拠り所にする」という事です

    内面的な関係性とはなにか

    ある人は自分の帰りを待ってくれている人がいる事を思い出す

    ある人は、まだ成し遂げていない仕事がある事を自覚する

    ある人は、収容所の外に生える木に話しかけ続ける

    フランクルは、これこそが「絶望の乗り越え方」の重要なファクターであるとしました

    人間は「自分が誰かと関係している事を自覚する」事で乗り越えられるときもある

    上の例で言うと、帰りを待ってくれているあなたの対象は私でしかない

    成し遂げたい仕事によって助けられる人たちを救うのは私でしかない

    木の視点からすると、話しかけてくれる存在は私でしかない

    この「その相手にとって、対象は私しかいない」という唯一性の感覚が人を生かす

    ここが、この本を読んで私が最も感動した部分です

    人間は誰かに必要とされている、求められているという感覚があるから生きていける部分もあるのだなと私は思いました

    少し脱線しますが、私もどちらかと言うと「必要とされたい」タイプだと思います

    でも、相手も同じようなタイプの人だと、待ちの姿勢だけでは相手の「必要とされたい」感を満たせない事になります

    だとすれば、私から「必要とする」行動を取ることが、誰かの唯一性になる可能性もあるのかななんて思ったりしました

    あー、なんか全然うまく言えてないわ^^

    ただ、この本の章立ては「1,収容→2,収容所生活→3,解放」となっていますが、3の「解放」部分を読むと、何とも言えない読後感になります

    上のような唯一性を信じ帰ってきた人たちが直面する解放後の世界が、イメージと違う事で精神崩壊につながってしまう事もあるという例が紹介されます

    暴力の枠組みから逃れられず今度は暴力をふるう側になってしまう人、収容所生活を誰にも共感されずに苦悩はまだまだ深いと感じてしまう人、待っているはずの人がもういなかった人…

    解放された人が幸福感を得られにくいという事自体が、収容所での抑圧がすさまじかった事を言い得ているなと思ったりしました

    この本を読むと、私が感じてきた「自身の絶望」はたいした事がないと思えてきます

    私の絶望は死の恐怖とは離れていますし、飢えもありません

    でも、「たいした事ない」と思うのがいい事なのかと言えば、それも迷ってしまいます

    少し暗い話をしますが、子どもの自殺があったとき、大人は「狭い世界で判断するな。大人になれば視野も広がって、楽しい事もたくさんあるのに」という言い方をしばしばします

    でも、当人にとっては、今現在見える世界が総量であって、辛さの受け止め方もその人なりの重さであると思います

    そういう人に寄り添える人、物、考え方ってなんなんだろうと思ったりしますね

    今回、うまくまとまらなくてスミマセン^^まだ、混沌の中にいます^^

    元気をもらえる本ではありませんが、絶望を俯瞰する大切さに気付けた気がします

    感想をひと言でまとめると「弾力性のあるしなやかな精神世界を持つ」事

    これを自分なりに探していきたいと思いました

    いつも読んでいただき、ありがとうございます