カテゴリー: 読書記録

  • ♯83 読書記録 江戸川乱歩「人間椅子」 

    読書記録「人間椅子」

    著者:江戸川乱歩

    出版社:新潮文庫

    初版:1925年10月

    83回目の投稿になります

    今回は、江戸川乱歩の「人間椅子」を紹介します

    この作品は、「江戸川乱歩傑作選」という初期の9編の中の1つです

    江戸川乱歩の作品は狂気に満ちていて、読んでいてゾクゾクしてきます^^

    ホラー的要素もありますが、「お化けが出てきてキャー!」的な恐怖じゃなくて、「え、これヤバ…」みたいなジワジワ来る恐怖なんです

    語彙力なさすぎて伝わってないかもです^^

    物語は、特殊な性癖を持つ男が、その性癖をある女性に話す形で進んでいきます

    その性癖とは「椅子の中に入り込んで、人の体の重みを感じる事」

    ね、ヤバいでしょ?^^

    それを、その椅子の持ち主である女性に手紙という形で男が語りかけます

    先ほど説明した「お化け的恐怖」ではない「ぞわっとする恐怖」の感じ、わかっていただけるのではと思います

    そして、この作品をさらにヤバくしているのが、男の語り口です

    すごく丁寧で、紳士的なんです。それがまた、気味悪さ倍増といいますか^^

    少しだけ紹介してみます

    「私は、彼女が私の上に身を投げた時には、できるだけフーワリと優しく受けるように心掛けました。彼女が私の上で疲れた時には、わからぬほどにソロソロと膝を動かして、彼女のからだの位置を変えるようにいたしました。そして、彼女が、ウトウトと居眠りを始めるような場合には、私はかすかに膝をゆすって、ゆりかごの役目を勤めた事でございます。」

    「薄いなめし革ひとえ隔てて、肌のぬくみを感じるほども密着しているのでございます。それにもかかわらず、彼女は何の不安もなく、全身の重みを私の上に委ねて、見る人のない気安さに、勝手気儘な姿態をいたしております。私は椅子の中で、彼女を抱きしめる真似をすることもできます。その豊かな首筋に接吻する事もできます。そのほか、どんな事をしようと、自由自在なのでございます。」

    はい、ヤバいですね^^

    これを読む女性の立場で考えると、恐怖以外ありませんね

    でも、これを書くと私も変態になってしまうのですが、私も「重み」好きなんですよね^^

    あ、もちろん、椅子には忍び込みませんよ^^でもね、前にも書いた記憶がありますが、掛け布団を信じられないくらい重ねて寝るし、なんなら人に乗っかってもらいたいです^^

    ま、匿名のSNS空間だから言える事ですね

    作品に戻りますが、この本は、2通目の手紙がオチになっているのですが、そのオチも秀逸です

    24ページなので、1時間もあれば読めます。また、この「江戸川乱歩傑作選」には、「心理試験」「芋虫」「鏡地獄」などゾクゾク系で私が大好きな作品がたくさんあります

    眠れない夜に、乱歩、いかがですか?余計寝れなくなるかもしれないけど^^

    ↑何度も読んでるので、表紙がボロボロ^^

  • 読書記録「いい人すぎるよ図鑑」

    読書記録「いい人すぎるよ図鑑」

    著者:円城卓・佐々木日菜・真子千絵美

    出版社:PHP

    初版:2024年3月

    74回目の投稿になります

    先週の読書記録では、朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」を紹介しました

    そして、次回もその続きを紹介しますと言っていました

    ですが、予定変更します^^すごくいい本に出会ったので順番を変更します

    「イン・ザ・メガチャーチ」は、自身の「得体の知れない不吉な塊(by梶井基次郎『檸檬』^^)」に向き合わざるをえず、絶対重くなるので、一回明るいのを挟んでおこうかと^^

    今回紹介するのは「いい人すぎるよ図鑑」です

    2023年に各都市で「いい人すぎるよ展」を開催したことから作られた本みたいです

    ちなみに、「いい人すぎるよ展」は、チケット30000枚が完売したそうです

    この本、ヤバいです^^

    泣ける要素は特にないはずなのに、とっても泣けてきます

    私という人物を真っ向から受けとめ、肯定し、支えてくれる本です

    優しくて、でも優しすぎるがゆえに気を遣いすぎ、少し心が疲れているそこのあなた

    あなたです^^あなたにぜひ読んでほしい本です

    少し内容に触れます

    • すれ違うとき「あともう少しですよ~」と励ます、下山している人
    • レジ会計でイヤホンを外す人
    • 缶コーヒー、微糖と無糖を両方買ってきて選ばせてくれる人

    →この3人、絶対いい人でしょ^^私、バスの運転手してますので、イヤホンの人は特に共感できます。外さなくても清算は成立します。でも、イヤホン外す人は100%「ありがとうございました」って言うし、こちらからの「ありがとうございました」を聴く姿勢もちゃんとある。つまり、目の前の人を気遣い、コミュニケーションを大切にしている人ということがわかります

    • 1人でご飯を食べる時も、小さく「いただきます」をする人
    • 学校で後ろの席にプリントを配るとき、必ず振り向いて渡してくれる人
    • 「さっき何か言おうとしていましたよね?」と話を戻してくれる人

    →この3つは、私が自然とやってることなんです^^

    「いただきます」は、おばあちゃんのしつけですかね^^

    プリントは、自然にやってました。あと、すごく細かい事なんですが、書いてみます。

    例えば私が列の後ろから3番目の時、私の所にまわってきた時点であと2枚。つまり1枚足りない状況

    その時、私はその2枚をそのまま後ろに渡して、自分が「1枚足りないでーす」って取りに行っていました

    それは、「いい事だからやっていた」というよりも、「後ろの人が取りに行くと、なんか心がモヤっとする」という感覚が正確かもしれません

    この本には、上記のような私の心の中の想いも、解説に全て記載されていました^^

    「さっき何か言おうとしてましたよね?」については、なんでかわからないけど、相手と話していると気づく瞬間があるんですよね^^

    「あ、今、話したい事をのみこんだな」って

    たぶん、私も「言おうと思ったけどやめる」事がしばしばあるから、相手のそれも気づいちゃうんだと思います^^

    でも、最近は「のみこんだって事は本人が話すのやめたって事だから、聞かないのも優しさなのかな」とも思います

    本には、こんな感じの「いい人」が100人出てきます^^

    本の途中にコラムがあります

    そのタイトルが「いい人を見つけると、自分がいい人だと気づく」です

    こんな記述があります

    「きっと、この図鑑の中には『なんだこんなの当たり前じゃん』と思うものもあると思います。それは、あなたがいい人だからです」

    「いい人に気付けると、自分自身の『いい人』な部分にも気付けて、自分のことをちょっと好きになれたりするかもしれません」

    いやー、泣いちゃうからやめてほしいですね^^

    自分が当たり前にやっている事、もしくは、相手に気を遣いすぎて逆に反省したりする事をこの本は全肯定してくれます

    私は、この本に共感できる人に会いたいです。そして、友だちになりたいです

    でも、たぶん私含めそういう人は「私、いい人です」アピールなんて絶対しないだろうから、会えないんだろうな^^

    私は、もし自分の身近な人が自分に自信を持てなかったり、何かに踏み出すのにためらったりしていたら

    「あなたはいい人だよ」

    「あなたをわかってくれる人は、少なくとも日本に30000人いるよ」

    って、この本を渡しながら伝えたいですね^^

    久し振りに、本屋さんでたまたま出会ったいい本でした。こういうのが実店舗の本屋さんのいいところですね^^

    読者様方にもオススメの1冊です

  • 読書記録 朝井リョウ「イン・ザ・メガチャーチ」①

    読書記録「イン・ザ・メガチャーチ」①

    著者:朝井リョウ

    出版社:日本経済新聞社

    初版:2025年9月

    70回目の投稿になります

    ちょっと前に「50回目だー」とか言ってた記憶がありますが、気付いたら70回目でした^^

    初めまして様も、いつも来ていただいているあなた様も、ありがとうございます

    私、コツコツ継続する力が意外とあるのかもしれません

    あとは、一度「これ」と気に入った物や事があれば、それを生活の一部に組み入れる感覚もあります

    このブログ、マラソン練習、料理などはもうだいぶ習慣化されているので、なにか新しい事に取り組んでみようかと考えている今日この頃です

    相変わらず、生き急いでます^^

    さて、今回紹介する本は、朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」です

    今年の本屋大賞を受賞した本で、私もその報道をきっかけに読んでみた感じです

    以前、「正欲」も紹介しましたが、最近は朝井リョウにどっぷりハマっています

    「イン・ザ・メガチャーチ」は、ストーリーも面白いし、3人の登場人物の心情も共感できるし

    でも読み進めると共感とは別の恐怖感や孤独感なども襲ってきて、読み終わった時、少し息苦しい感覚に襲われました

    たぶん、2回にわたって書いてみる事になると思います^^

    さて、この本は、「推し活」を大きなテーマとしてストーリーが進みます

    1人は推し活を仕掛ける側の音楽会社社員。もう1人は推し活にのめりこんでいく女性。もう1人はかつて推し活にのめりこんでいた女性

    私が面白い(というか恐ろしい)と思った事を、キーワードで書いてみたいと思います

    1つ目のキーワードは「物語」です

    仕掛ける側は、アイドルとしてデビューするグループのパフォーマンスやビジュアルそのものよりも、その前後の物語を強く打ち出します

    「取り込みたい対象は、共感能力が高く、自他の境界が曖昧な気質の人である。それらの人は自己のアイデンティティを相手に重ね合わせ、その物語性に魅了されていく。そのような経緯で応援するファンは離れづらい」

    こういう事を、戦略的に仕掛けていくんですね

    私含め、誰もがなにかに「ハマる」時には、こういった仕掛ける側がいるという事が興味深くもあり、怖くもありといったところでした

    私もたぶん、相手の物語性に感化されやすい気質を持っていると思います

    相手との共通点を見つけた時には嬉しくなるし、頼られると頑張ってしまうタイプでもあると思います

    「じゃあ、そうならないように気を付けよう」で終わらないのが朝井リョウでした^^

    次へどうぞ

    もう1つのキーワードは「視野」です

    私は、視野とは広ければ広いほどいいと思っていました

    実際、日常生活を送る上では(または、社会規範に沿った形で生きていくためにはと言った方がいいかな)、視野の広さはポジティブな言葉として用いられると思います

    でも、この本では、推し活にのめりこんでいくときに、「視野を狭くする」という言葉が何回もでてきます

    広くするんじゃなくて、狭くする、です

    「物語に没入するというのは、視野が狭まるということでもある。だから、お金を使いすぎている、自分のためにはならないとわかっていても行動を変えることができない。心配して声をかける人を敵認定して遠ざける。そういう事に目を向けずに推し活にのめりこむ。」

    それを本の中では「自分を使い切る」と表現しています

    もう1つのキーワードは「信仰」です

    いかにお金を落とさせるか、経済的に身を滅ぼしかねないほどの推し活を、宗教になぞらえて次のように書いています

    「本質的には無意味、低価値、無関係なものを、仕掛ける側が発信する物語性によって信者を視野狭窄に陥れ、価値が高いと思い込ませて本来の価値以上の対価を支払わせる」

    そして

    「中毒症状がある方が苦しくないのだ人生は。ずっと我に返ったまま生きるには、この世界は殺伐としすぎている。自分を使い切っている人には、外部からのジャッジが一切通用しなくなる」

    「結局皆、信じるものが欲しいんです。孤独の中で信じられそうなものに出会った時、人はその対象に強い共感や感情移入を試みます。その結果、時間や労力、お金を注ぎ込むようになる」と続きます

    でも一方で

    「理由も目的もなく、ただ一緒にいられる人がほしい」

    「自分以外の誰かと1つの物事を同じ目線で見つめることができる時間というのは、すごく貴重なのかもしれない」

    という感情も持ち合わせている

    こうなってくると、読み進める私の情緒は不安定です^^

    読んでいてドキドキしてきます^^

    私、現代作家では、「この作家さんが好き」というのはあまりありませんでした。しかし、今は朝井リョウさんにハマってます^^

    あるアーティストを好きになったら、それが5枚目のアルバムだったりすると1~4枚目のアルバムも遡って聴いたりするじゃないですか(私だけ?^^)

    それと同様に、今は「桐島、部活やめるってよ」から順番に読み進めています

    あー、マジで時間足りない^^1日が26時間くらいあったらいいのに^^

    今回は引用が多く、うまく紹介できなかった気がします

    次回は、「イン・ザ・メガチャーチ」の主な登場人物の1人、武藤澄香に焦点を当てて、私のこれまでと重ね合わせてゲロ吐きながら(表現が良くない^^)書いてみたいと思います

  • 読書記録 萩原朔太郎「月に吠える」

    読書記録「月に吠える」

    著者:萩原朔太郎

    出版社:新潮文庫

    初版:1945年10月

    66回目の投稿になります

    最近、ヨルシカモチーフの作品を3冊読みました

    「月に吠える」「夢十夜」「風の又三郎」です(ヨルシカの曲のタイトルとしては、それぞれ「月に吠える」「第一夜」「又三郎」となっています)

    どれも、過去に読んだことのある作品でしたが、再読してみると以前とは異なる感覚で読めた気がします

    それはおそらく、現在の自分の心情、知識、経験、年齢などが過去の自分と変容しているからだと思います

    今回は、萩原朔太郎の詩集「月に吠える」を取り上げてみます

    私は、詩の味わい方を知りません^^実際、読んでも「?」となる詩の方が多かったですし、いいなと思う詩も、どこがどういう風にいいのかという言語化が難しかったです

    でも、萩原朔太郎自身が、この本の序文で次のように書いてくれています

    「すべての良い叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う。これを詩の『にほひ』という」

    「私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表れた概念や『ことがら』ではなく、内部の核心である感情そのものに感触してもらいたいということである」

    「リズムは以心伝心である。そのリズムを感知することの出来る人とのみ、私は手を取って語り合うことができる」

    ありがとう朔太郎^^この序文のおかげで、いい悪いとか、共感できるできないとかそういう事じゃなく

    「なんか気になる」「うまく言えないけど印象に残る」といった観点で読み進めることができました

    例えば「群衆の中を求めて歩く」です

    『見よこの群衆のながれてゆくありさまを

    このひとびとの群は建築と建築との軒をおよいで

    どこへどうしてながれ行こうとするのか

    私のかなしい憂鬱をつつんでいるひとつのおおきな地上の日影

    ただよう無心の浪のながれ

    ああ どこまでもどこまでもこの群衆の浪の中をもまれて行きたい』

    私、最近、歯医者に行ったり人に会ったりするために札幌の中心部をよく歩きます

    この詩に触れた後に行き交う雑踏を見ると、見え方が全然違ったりして面白いです

    私、なぜかわからないけど、一人でいるときよりも、たくさんの人がいる環境の方が淋しさや孤独感を覚える感じがするんです

    この詩を読んでなんかそれを思い出しました^^

    例えば「強い腕に抱かる」です

    『風にふかれる葦のように

    私の心は弱弱しくいつも恐れにふるえている

    女よ、おまえの美しい精悍の右腕で

    私のからだをがっしりと抱いてくれ

    このふるえる病気の心を静かに静かになだめてくれ

    ただ抱きしめてくれ私のからだを

    ひったりと肩によりそいながら

    私の弱々しい心臓の上に

    お前のかわゆらしいあたたかい手をおいておくれ』

    これを作者は相手の女性に言葉にして伝えられたのかなあ、いや思うだけで伝えられなかったんじゃないかな、みたいに勝手に感じたのと

    私がすごく印象に残ったのが「ひったりと」と「かわゆらしい」です

    なじみのある使い方だと「ぴったりと」だと思うんですが

    「ぴったりと肩によりそう」だと、肩どうしがぎゅっとくっついている感じがしますが「ひったりとくっつく」だと、触れてはいるが

    ぎゅっと感がなく、密着の温度感が低い感じがします

    「かわゆらしい」も「かわいらしい」より少し控えめで儚い感じがします

    なんかそういう表現が好きな作品でした^^

    萩原朔太郎は、序文で、人間というものをこうとも表現しています

    「思うに人間の感情というものは、きわめて単純であって、同時に極めて複雑したものである。」

    「人間は、一人一人にちがった肉体と、ちがった神経をもっている。我のかなしみは彼のかなしみではない。しかし、それはまた、世界の何人にも共通なものである。この特異にして共通なる個々の感情に焦点を当てる。そのとき、永久に我々は孤独ではない」

    →たぶん大学生くらいに読んだ時には、よくわからなかったような気がしていますが、今は彼の言いたい事がよくわかります

    文章を書く人って、孤独について突き詰めていく作業をする人が多いのかな

    序文の終わりは、次のような文章で締めくくられます

    「月に吠える犬は、自分の影を怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のような不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘付けにしてしまいたい。影が、永久に私のあとを追ってこないように。」

    たぶんですが、ヨルシカの「月に吠える」の歌詞は、このあたりをメインに作られたのかなぁなんて思ったり

    私、以前、自由律俳句の尾崎放哉を紹介した時「尾崎放哉とは友だちになれそう^^」と書いたのですが、萩原朔太郎とも友だちになれそうです^^

    リアル世界の友だちも作ったら?と思いますが、まあそれはそれとして^^

    これを読んでからヨルシカの「月に吠える」を聴くと、また違った趣になりますね

    本の装丁もヨルシカコラボバージョンになっていていい感じです

    本屋さんのピックアップ本みたいに、正面をこちらに向けて本棚に置きたくなります

  • 読書記録 千早茜「あとかた」

    読書記録「あとかた」

    著者:千早茜

    出版社:新潮文庫

    初版:2016年2月

    62回目の投稿になります

    最近、女性作家さんの本をよく読むようになりました。それまでは、「女性作家=内面のドロドロを描く」みたいな勝手なイメージで敬遠していました

    私は、大変なお子ちゃまでした^^大いに反省しています^^

    千早茜さん、以前「眠れない夜のために」という短編集を読みました。今回は2冊目です

    すごくいい本でした

    「あとかた」は、「ほむら」「てがた」「ゆびわ」「やけど」「うろこ」「ねいろ」の6つの短編からなる本です

    そして、連作の形になっていて、それぞれの短編の主人公が別の短編でも登場します

    ある話では一人称として、ある話では二人称として登場し、少しずつ相関がわかっていくような作りになっています

    例えば千影さんという人物は、「やけど」では気高く自立した女性に見えるが、一人称視点での「ねいろ」では孤独で繊細な女性として描かれていたり

    視点の変化が楽しめる小説にもなっています

    私は、「やけど」が印象的でした

    スミマセン、少し内容に触れます

    サキという名の家出をしてきた女の子の話です

    付き合う男に様々な傷をつけられ、それをSNSにアップする

    「くれるものはなんだって受け入れる」と、優しさやお金やプレゼントだけでなく、暴力やセックスや束縛もちゃんと受け入れる

    同級生の松本や、アイリッシュパブで出会った千影さんに出会うことで少しずつ感情が変化していくというストーリーです

    最後、千影が吸っている煙草を取り上げて、自ら手の甲に火を押し付ける場面があります

    それを彼女は、「生まれて初めて自分でつけた傷、この痛みを抱えて生きていく」と言います

    私の説明力がないためあまり伝わらないと思いますが^^読んでいてドキドキというかゾクゾクします

    私でいうと「この本を読むと、あの人を思い出す」みたいな事と近いのかな

    しかも自分の体についた傷だから、いつなん時でも見ることができる

    はたから見たらそれは「痛そうな傷」だけど、本人にとっては「消える事のない愛情や信頼の証」みたいな感じなのか

    「共感できる・できない」みたいな評価を簡単に下せないというか、下さない方が読後感がいい本だなと思います

    登場人物それぞれが心に重みのようなものを抱えていて、理性と欲、劣等感とつながりたい気持ちなどが複雑に混ざり合っていく

    本のタイトルが「あとかた」なのも、読み終わった後ではしっくりくる気がします

    人は、何も遺していないと思っても、何らかの痕跡を相手に遺しているのではないか

    もしそうなら、素直に自分をさらけ出した方が、相手の中に「あとかた」として濃く遺るのかななんて思ったりしました

    手の甲に煙草の火を手の甲に押しつける度胸はなさそうだけど^^もうちょっとライトなやつで痕跡遺してみようかな^^

    各話40ページほどで、量的にも読みやすいです

  • 読書記録 三島由紀夫「不道徳教育講座」

    読書記録「不道徳教育講座」

    著者:三島由紀夫

    出版社:角川文庫

    初版:1967年1月

    58回目の投稿になります

    今回は本の紹介です。三島由紀夫の「不道徳教育講座」です

    この本も、私になかなかの影響を与えた本です

    まず、タイトルがいいですよね^^

    すごく簡単に言うと「世の中一般の常識、モラル、道徳を疑え」という内容の本です

    私がメンタルをやられて前職を辞め、転職するに至った際に、考え方の転機になった本のひとつです

    では、紹介してみます

    三島由紀夫の考えが遠慮なく綴られています

    今なら「炎上案件?」かもしれません^^例えば

    「人の恩は忘れるべし」

    「教師を内心バカにすべし」

    「罪は人になすりつけるべし」

    「弱い者をいじめるべし」

    ね、なかなか刺激的でしょ^^

    でもね、例えば私は、「周りに迷惑をかけないように真面目に生きてきた人間」であり、それによって生きづらさを感じたり、逆に自己肯定感を感じられなかったりという半生でした

    そんな私にとっては、この本が「現実世界という荒波を乗り越える処世術」のように思えます

    例えば「友人を裏切るべし」です

    著者は、友人関係というやつは、実は一方が主人で一方が家来である事が多いと言っています

    だから、対等な友人関係を維持するためには、家来側もほどよく相手を裏切り、ほどよい緊張感を生まないと家来は家来のままになってしまうと言うのです

    これ、すごくわかる気がします

    対人関係において、双方が対等な関係ってレアケースな気がします

    たいてい、どちらかが自由奔放にふるまって、一方がそれに従う図式になっている

    関係性の維持のためには従う側の努力が必要であり、その場合、たいてい従う側がストレスを抱えながらの日々になる

    これって、友人関係に限らず、彼氏彼女の関係や夫婦関係などもっと広く適用できそうです

    かく言う私も、今までは「従う側」に位置する事が多かった気がするので、これからはマウント取ってきてんなーっていう相手には、適度に裏切ってやろうかと^^

    できんのかって感じですけど^^

    自然に対等な関係になれるのって、なんか言葉にし難い相性みたいなものもある気がしますが^^

    例えば「大いにウソをつくべし」です

    著者は、ウソをつくという行為を「頭脳鍛錬法」と表現します^^

    「1つウソをつく。ウソはウソを生み、うっかり間に本当の事を言ってしまったら辻褄が合わなくなる。その辻褄を合わすには、自分の言った事すべてについての強い記憶力がいるので、なかなかバカにはウソはつけません」

    これが彼の言うウソの効用です^^

    このように言われると、ウソをつくという行為は、相手への申し訳なさをとりあえず無視すれば、フィクションの世界を自分の能力の限界まで広げる行為のように思えてきます

    いかがですか?

    私はこの本を読んで、なんか世界が開けた感じがしました

    あと、どのような行為にも必ず「善の側面」と「悪の側面」がある事に気付けました

    友人を裏切るというのは、道徳的には悪かもしれないけど、自分を守るためには場合によっては善になりうるという感じです

    三島由紀夫の代表作の「金閣寺」を読んだ事もなければ、彼の思想にも特に共感はしませんが、このエッセイ集は、語り口も軽妙で、楽しく読めました

    真面目ゆえの生きづらさを抱える方、一読すると色々な気づきがあるかもしれません

    予約投稿をすっかり忘れていて、土曜投稿となっております

  • 読書記録 ヴィクトール・フランクル「夜と霧」

    読書記録「夜と霧」新版

    著者:ヴィクトール・フランクル

    出版社:みすず書房(池田香代子訳)

    初版:1956年

    54回目の投稿になります

    体調不良は咽頭炎という診断でした

    めっちゃノド痛い^^3日間ほぼ声を出さず、つばを飲むのもひと苦労といった感じでしたが、だいぶよくなりました

    水曜公休、木曜有給、金曜公休とせっかくの公休を2日使ったのが悔やまれますが^^

    ブログ書き溜めたり、パワポ作ったり、本読んだりそれはそれでいい時間でした

    体の調子が悪いと気持ち的にも落ちやすくなるなとか、夜って孤独感を抱えやすいんだなとかそういう事を俯瞰して捉える機会にもなりました

    あと、夜中に読む本は精選すべきですね^^

    太宰の「斜陽」は寝れなくなるし、乱歩の「人間椅子」は別の意味でゾクゾクして寝れなくなります^^

    前置きが長くなりました。今回は、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」です

    フランクルはユダヤ人の精神科医で、1941年から終戦までドイツの強制収容所に抑留された人物で、収容所内での出来事を「観察」という形で記録に残しました

    この本は、極限状態での人間の挙動、絶望の乗り越え方について考えさせられる本です

    内容的には重いです。書くのもはばかられるような恐怖や虐待や飢えは読んでいて辛くなります

    この本については、たぶん私、一読しただけでは読み取りきれていない感じがしています。もう少し年齢や経験を重ねたらまた読んでみたい作品です

    では、内容に触れてみます

    絶望的な状況になった時、崩壊して死んでいく人とはね返す弾力性のある人がいたとフランクルは書いています

    しかも、繊細な精神の人の方が、頑丈な身体の人よりも収容所生活を耐え抜いたとも書いています

    その最も重要な考え方の一つを「拠り所」としています

    そして、その「拠り所」を外に求めるか自分の内面に求めるかで違いが表れるとしています

    少し難しめで、私も理解できているとは言い難いのですが、がんばって書いてみます

    外に拠り所を求める例として次のような事が挙げられていました

    「ある時、収容所内で、年末のクリスマスに休暇が出て家に帰ることができるという噂が流れた。その日まで耐えれば帰れると希望を持った人たちがいた。しかし、22日、23日と近づいても一向にその気配がない。そして、クリスマス当日、それが事実ではない事を知る」

    これによって何が起こったか想像できますか?

    その翌日、今までで最大の(しかも突出して多い)死者が記録されたとのことです

    つまり、噂という外的なものを拠り所にすると、それが叶わなかった時に精神世界が崩壊させられてしまうという事を著者は知ったという訳です

    一方、生き延びた人に多かったのが「内面的な関係性を拠り所にする」という事です

    内面的な関係性とはなにか

    ある人は自分の帰りを待ってくれている人がいる事を思い出す

    ある人は、まだ成し遂げていない仕事がある事を自覚する

    ある人は、収容所の外に生える木に話しかけ続ける

    フランクルは、これこそが「絶望の乗り越え方」の重要なファクターであるとしました

    人間は「自分が誰かと関係している事を自覚する」事で乗り越えられるときもある

    上の例で言うと、帰りを待ってくれているあなたの対象は私でしかない

    成し遂げたい仕事によって助けられる人たちを救うのは私でしかない

    木の視点からすると、話しかけてくれる存在は私でしかない

    この「その相手にとって、対象は私しかいない」という唯一性の感覚が人を生かす

    ここが、この本を読んで私が最も感動した部分です

    人間は誰かに必要とされている、求められているという感覚があるから生きていける部分もあるのだなと私は思いました

    少し脱線しますが、私もどちらかと言うと「必要とされたい」タイプだと思います

    でも、相手も同じようなタイプの人だと、待ちの姿勢だけでは相手の「必要とされたい」感を満たせない事になります

    だとすれば、私から「必要とする」行動を取ることが、誰かの唯一性になる可能性もあるのかななんて思ったりしました

    あー、なんか全然うまく言えてないわ^^

    ただ、この本の章立ては「1,収容→2,収容所生活→3,解放」となっていますが、3の「解放」部分を読むと、何とも言えない読後感になります

    上のような唯一性を信じ帰ってきた人たちが直面する解放後の世界が、イメージと違う事で精神崩壊につながってしまう事もあるという例が紹介されます

    暴力の枠組みから逃れられず今度は暴力をふるう側になってしまう人、収容所生活を誰にも共感されずに苦悩はまだまだ深いと感じてしまう人、待っているはずの人がもういなかった人…

    解放された人が幸福感を得られにくいという事自体が、収容所での抑圧がすさまじかった事を言い得ているなと思ったりしました

    この本を読むと、私が感じてきた「自身の絶望」はたいした事がないと思えてきます

    私の絶望は死の恐怖とは離れていますし、飢えもありません

    でも、「たいした事ない」と思うのがいい事なのかと言えば、それも迷ってしまいます

    少し暗い話をしますが、子どもの自殺があったとき、大人は「狭い世界で判断するな。大人になれば視野も広がって、楽しい事もたくさんあるのに」という言い方をしばしばします

    でも、当人にとっては、今現在見える世界が総量であって、辛さの受け止め方もその人なりの重さであると思います

    そういう人に寄り添える人、物、考え方ってなんなんだろうと思ったりしますね

    今回、うまくまとまらなくてスミマセン^^まだ、混沌の中にいます^^

    元気をもらえる本ではありませんが、絶望を俯瞰する大切さに気付けた気がします

    感想をひと言でまとめると「弾力性のあるしなやかな精神世界を持つ」事

    これを自分なりに探していきたいと思いました

    いつも読んでいただき、ありがとうございます

  • 読書記録 森博嗣「勉強の価値」

    読書記録「勉強の価値」

    著者:森博嗣

    出版社:幻冬舎新書

    初版:2020年11月

    50回目の投稿になります

    淡々と投稿を続け、気付けば50回目です

    最近は週に4回投稿で約4000~5000のビュー数となっており、自分の予想以上に読んでいただいていることに、驚きと感謝の気持ちを抱いています

    いつも来ていただいているあなた、ありがとうございます^^

    私自身、内面や考えを整理する貴重な場所になっています

    まだまだ書きたい事もたくさんありますし、自己表現の手段として「書く」事は私に合っていると思うので、まだしばらくはこの感じで続けていこうと思います

    せっかくのご縁ですから、これからも末永くよろしくお願いいたします^^

    さて、今回は、森博嗣さんの「勉強の価値」です

    唐突ですが、読者の皆様に質問です^^

    Q:社会人の勉強時間の平均は、週に何分?

    A ①7分 ②22分 ③35分 ④48分

    さあ、どれだと思いますか?

    答えは

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ①の7分です^^

    「少な!」と思いませんか?週に7分ですよ^^

    あ、その前に正解を①に置くって、お前イヤらしい出題者だな!と思ったあなたは、受験頑張りましたね^^(こういうのって、なんとなく③あたりに正解持ってきそうですよね)

    スミマセン本題に戻ります

    総務省統計局による令和3年社会生活基本調査によると、7分みたいです

    しかも、「0分」と回答した人が94%います。ちなみに「勉強している」と答えた人の平均時間は123分です。その平均が7分という事になります

    ここからわかるのは、二極化です。全く勉強していない94%。一方、勉強している6%は123分勉強している

    そんな現実みたいです

    さて、本の内容ですが、勉強する事の本質的な価値について書かれています。いくつか抜粋してみます

    ・社会人の勉強は「やらされ」ではなく主体的なものであるべきである。勉強で得られる力は「広い視野」であり、俯瞰することによる「客観的な観察力」、あらゆるものを遠望できる「予測力」、あるいは「想像力」である

    ・現代人の多くは他者から評価されたいという観念に取り憑かれている人が多く、自分が何をしたいのか、自分の夢は何かといった自己の願望を、他者と切り離して想像する事が難しいように見受けられる。これだと、せっかくの勉強という行為が、他者に認められる自分を形成する作業になってしまう

    ・勉強する事で視野は少しずつ広がっていく。得意なものと不得意なものがあるとわかるだけでも、非常に大事な情報を得たに等しい。自分を知る事は生きていく上で最大の武器となる知性の一つであり、教養の基本でもある

    ・僕が言いたいのは、競争に勝つことが偉い事でもなんでもないという事。僕はそういうふうに人間をとらえていない。自分がやりたい事を自由にできる人は幸せなのだ

    これら抜粋を読めばわかるように、この本は「自分軸を持って生きよ。その軸を形成する手段の一つとして勉強という行為がある」という事を著者の主観たっぷりで説明してくれます^^

    私、こういう本に出会えるととても嬉しい気持ちになります

    それは2つあって、1つは、頭の中でぼんやり思っていたことを明確に言語化してある事です

    もう1つは、仲間がいる感覚を味わえる事です

    これは小説の登場人物にも言えますが「あー、この感情を抱くのって自分だけじゃないんだ」って思えるのは自分的にはすごく価値ある事ですね

    しかもこういう勉強についてとかコンプレックスに思っていることを口に出すのってリアル世界だと抵抗あったりするので、余計に本の世界で仲間がいるのっていいなって思いますね^^

    ただ、本を読んで自分的にちょっとわからないのは、どこからが「勉強」なのかという事です

    著者の考えだと、自分で興味をもった事を学び、自分なりの結論を得ることが喜びであり、勉強の醍醐味であると書いています

    これを私の実生活で当てはめると

    ・経済や資産形成を学ぶ→勉強に入るだろう

    ・色々工夫しながら料理する→勉強?

    ・より速く、より長く走れる方法を試す→勉強?

    3つとも「勉強」になりますか?^^

    勉強という言葉の定義を自分なりに固めるのも大切な事かなと思ったりしました(自分的には全部勉強にしちゃっていい気がします^^)

    あとがきに書かれてある内容が、私の背中を押してくれるというか、「そのまま頑張りなさい」と言ってくれているようで嬉しかったので、一部紹介します

    ・自分が何をしたいのか知らない人は、自分で楽しみを作れない。作れるなんて考えてもいない。楽しみは、本来その人の中から生まれるものなのに、外部に用意されていると勘違いして探している

    ・勉強の楽しさを知った人は、一人を楽しめる。来る者拒まず去るもの追わずである。だから、むやみに人を誘わない。逆に人がたくさんいないと楽しめない人たちは「つるむ」事になる

    今、ふと思いましたが、勉強の面白さって「何を勉強するか自分で決めれる事」も大きい気がします

    学生の頃の勉強ってカリキュラムやシラバスが決まっていますし、就職してからの資格とかも勤務内容に沿ったものであるといえます

    そうではなくて、本当に自分の興味から始める勉強。私なら「資産形成」「家計管理」「効率的な走り方」「馬の血統^^」

    そういう自分の中から湧き出てくるような本当の好奇心に基づいた勉強って、楽しいんですよね

    そう、勉強って本来は楽しいもの

    あなたは、なにか学んでいますか?そういうの共有出来たら、もっと世界が広がって楽しそうですよね^^

    今回も2100字です。スミマセン^^

  • 読書記録「正欲」

    読書記録「正欲」

    著者:朝井リョウ

    出版社:新潮文庫

    初版:令和5年6月

    46回目の投稿になります

    今回は朝井リョウさんの「正欲」です

    朝井リョウ。名前は知っていたが作品を読んだ事はありませんでした

    先日、ニュースで「イン・ザ・メガチャーチ」が本屋大賞を受賞したと知り、本屋へ

    で、結局買ったのが「正欲」でした^^

    500ページくらいありますが、久しぶりに一気読みでした。読み終えたら午前3時半でした^^

    特に終盤の100ページくらいは、自分の価値観が殴られ続けるような感覚でした。拙いですが、自分なりの感想を書いてみたいと思います

    作中には、特殊な欲や性癖をもつ人たちが出てきます。ただ、「特殊である」とされるのは、その欲が社会的に少数派だからであるというだけではないのか

    「女性の胸に興奮する」は、社会的に認められる性癖だが、「水しぶきに興奮する」は、何それ気持ち悪いとなる。では、後者のような性癖を持つ人間は、歯や視力のように矯正されなくてはいけないのか

    「幸せの形は人それぞれ」「多様性の時代」「自分に正直に生きよう」

    これ、たぶん、私がこのブログを始めた理由の多くを占めています

    それを、作者は次のような言葉で私を斬りつけてきます

    「でも、キチガイは迷惑じゃ」

    マーライオンのように人が嘔吐する様子に興奮する嘔吐フェチ、対象が何者かに丸呑みされる様子に興奮する丸呑みフェチ、小さい子の裸に興奮する児童性愛、ミイラのように拘束する・される事を好むマミフィケーションフェチ

    これらは、胸が好き、お尻が好きという性癖となにが違うのか

    欲という意味では公平であるべきではないのか

    そんな問いを投げかけられているような気がします

    佐々木佳道、桐生夏月、諸橋大也。それぞれの思いがすごく突き刺さったし、読み始めは「共感」のポジションで読んでいた私も、実は多数派側だったのではと何度も揺さぶられました

    「マジョリティは信念がある集団ではない。マジョリティであるが故に自分自身と向き合う機会は少ない。信念がない人ほど『多数派である自分たち側に相手を正そうとする』行為に行きつく」

    「夏月の事はほとんど何も知らない。夏月も自分の事をほとんど知らない。ただ、お互い絶対誰にも知られたくない事だけを、だけど確実に自分の思考や哲学の根にあるものだけを、握り締め合っている。心臓を掴み合っている。地球上でたった一人の相手。」

    人生や孤独について何度も何度も揺らされます^^

    私はその中でも、水の形状変化に性癖を持つ諸橋大也という人物に、とても共感を覚えました

    高校生でも、大学生になっても男が徒党を組みたがることに辟易する様子は、よくわかりますね

    男が集まると、ずっとセックスの話をしている。あいつとやった、何回やった、何分やり続けた。そういう中で、自分の話す番が回ってこないように気配をいかに消すかに心を砕く様子も痛いほどわかります

    彼が悩みながら至る「多数派であるという事に安住し、自分という個体について考える機会がないのは、一つの不幸でもあるのかもしれない。自分はその分、自分が個人としてどうありたいかという事について明確な意志を持っており、それは幸せなのかもしれない」という思いは、なるほどなと思わされました

    水に興奮を覚える人たちとSNS上でつながることを、彼らは「網」と表現します

    網を、誰かや社会に覗き込まれたら笑われてしまうような事を共有できる関係性としています

    しかし、諸橋くんに共感して読み進めると、「お前はあくまで『色々理解してます』に偏った側の人間なんだよ」と言い放たれます

    この言葉は彼を理解しようとする同級生に放たれる言葉ですが、私自身に言われているような錯覚を覚えます

    少し作品から離れますが、私の性癖について書いてみます(急なカミングアウトどうした?^^)

    私は「重みフェチ」です^^もう少し詳しく言えば「寝るとき重みフェチ」です。かけ布団を極力重くしないと落ち着きません

    たぶんあなたが想像するより重くしてます^^タオルケットの上にかけ布団、その上に毛布かけます。そこまではまあわかりますよね。そこから私、その上に敷き布団乗せるんです^^それでも足りないくらい^^つぶされるんじゃないかというくらいの重さと圧迫感を感じると落ち着くんです

    だから、旅行でホテルとか泊まると、掛け布団が軽すぎて寝れないことがあります^^

    ここまで書いて気付きましたが、そういえば、このブログ、リアル世界で知っているお友だちが1人だけいました^^その方がこれ読んだらドン引きじゃないだろうか…大丈夫だと思うけど^^

    でも、これももしかしたらこういう場で発信できる程度の性癖と自分で判断しているとすれば、もっと言えない性癖を抱えているのかもしれません

    作品を読み終えて、あなたの欲もそれで大丈夫だよと伝えてくれているような気がして、うまく言い表せない安心感がありました

    すべての人に優しく手を差し伸べてくれるような作品だと思います

    最後に、私がすごく心に残ったセリフを2つ紹介して終わります

    1 「皆もともとたった独りで、家族とか友人とかがいる期間を経て、また独りに戻るだけ」

    2 同じ性癖同士、手を組む形で結婚した佳道と夏月。その性癖で逮捕された佳道に対し夏月が取り調べの検事に言う

    「いなくならないからって、伝えてください」

    「いなくならないから」って、シンプルだけどすごく素敵な言葉だと思いました。目線が長期に向いていて、関係性を長く続けていきたいという感じもいい。言われたらすごく安心すると思うし、大切な誰かに伝えたい言葉でもあると思いました

    読了した翌日、「イン・ザ・メガチャーチ」買いに行きました^^

  • 読書記録「懶惰(らんだ)の歌留多」

    読書記録「懶惰(らんだ)の歌留多」

    著者:太宰治

    出版社:角川文庫

    初版:昭和45年12月

    42回目の投稿になります

    今回は太宰治の中編「懶惰の歌留多」です

    表紙は「走れメロス」で、太宰中期の9作が収録されている中の1つです

    小説というよりエッセイに近い内容になっていると思います

    他には表題「走れメロス」の他、「富嶽百景」「東京八景」などがあり、太宰の一番調子のいい(と言ったら怒られる?^^)時期の作品集です

    その中で、なぜ「懶惰の歌留多」かと言うと、とにかく太宰がカワイイからです^^

    「懶惰(らんだ)」とは、「怠ける」の意で、太宰はこの作品の中で自らの怠惰を嘆き続けます^^

    ホントに、最初から最後まで嘆き続けます^^

    書き出しから既に「私の数ある悪徳の中で、最も顕著の悪徳は怠惰である。これはもう疑いをいれない。こと、怠惰に関しては、私はほんものである。」だって^^

    魚は骨があって食べるのがめんどくさいから嫌いとか、豆腐は食べるのが簡単だから好きとか^^そんな話が続きます

    おそらくこの時の太宰は締め切りに追われているのでしょう。「かるた」という枠を設定し「いろは~」の順に思いつくことを書いていきます

    い…生くることにも心せき、感ずることも急がるる

    ろ…廊下は暗い

    は…母よ、子のために怒れ!

    のようなタイトルを付け、取り留めもない感じで書いていきます(すでに2つ目の「廊下は暗い」の時点でちょっと面白い。ちょっと自由律俳句みがある^^)

    で、最初のうちは頑張って書いているのですが、だんだんと適当になっていくのがこれまた面白いです^^

    そして、最後は

    わ…われ山にむかいて眼を挙ぐ

    か…下民しいたげ易く、上天あざむき難し

    よ…夜の次には朝が来る

    と、タイトルだけ書いて急に終わります^^

    締め切りに間に合わなかったか、とりあえず文字数は埋まったのかはわかりません。出版社の担当さんに怒られている太宰を勝手に想像してしまいます^^

    ちなみに最後の記述は

    「もう四、五日余裕があれば。今日あたりはぎりぎりの締切日なのであろう。私はどんなことがあってもこの原稿を印刷所へ届けなければいけない。こんな苦しい思いをするのも、つまりは日常の怠惰の故である。こんなことでは確かにいけない。もって自戒とすべし」

    となっています^^

    これを読んだ担当さんの気持ちを想像するだけで笑えてきます

    近代文学が「難しそう」とか「とっつきずらそう」とか思って読まない人には、ぜひこれを読んでほしいですね

    太宰ってイコール「人間失格」とか「斜陽」のイメージが強いのか、「暗くて難解」みたいな感じで思われすぎているように思います

    「懶惰の歌留多」読んだら、太宰カワイイってなると思うんだけどな^^

    ページ数も30ページ程度。ケラケラ笑える近代文学、いかがですか?