カテゴリー: 読書記録

  • 読書記録 森博嗣「勉強の価値」

    読書記録「勉強の価値」

    著者:森博嗣

    出版社:幻冬舎新書

    初版:2020年11月

    50回目の投稿になります

    淡々と投稿を続け、気付けば50回目です

    最近は週に4回投稿で約4000~5000のビュー数となっており、自分の予想以上に読んでいただいていることに、驚きと感謝の気持ちを抱いています

    いつも来ていただいているあなた、ありがとうございます^^

    私自身、内面や考えを整理する貴重な場所になっています

    まだまだ書きたい事もたくさんありますし、自己表現の手段として「書く」事は私に合っていると思うので、まだしばらくはこの感じで続けていこうと思います

    せっかくのご縁ですから、これからも末永くよろしくお願いいたします^^

    さて、今回は、森博嗣さんの「勉強の価値」です

    唐突ですが、読者の皆様に質問です^^

    Q:社会人の勉強時間の平均は、週に何分?

    A ①7分 ②22分 ③35分 ④48分

    さあ、どれだと思いますか?

    答えは

    ①の7分です^^

    「少な!」と思いませんか?週に7分ですよ^^

    あ、その前に正解を①に置くって、お前イヤらしい出題者だな!と思ったあなたは、受験頑張りましたね^^(こういうのって、なんとなく③あたりに正解持ってきそうですよね)

    スミマセン本題に戻ります

    総務省統計局による令和3年社会生活基本調査によると、7分みたいです

    しかも、「0分」と回答した人が94%います。ちなみに「勉強している」と答えた人の平均時間は123分です。その平均が7分という事になります

    ここからわかるのは、二極化です。全く勉強していない94%。一方、勉強している6%は123分勉強している

    そんな現実みたいです

    さて、本の内容ですが、勉強する事の本質的な価値について書かれています。いくつか抜粋してみます

    ・社会人の勉強は「やらされ」ではなく主体的なものであるべきである。勉強で得られる力は「広い視野」であり、俯瞰することによる「客観的な観察力」、あらゆるものを遠望できる「予測力」、あるいは「想像力」である

    ・現代人の多くは他者から評価されたいという観念に取り憑かれている人が多く、自分が何をしたいのか、自分の夢は何かといった自己の願望を、他者と切り離して想像する事が難しいように見受けられる。これだと、せっかくの勉強という行為が、他者に認められる自分を形成する作業になってしまう

    ・勉強する事で視野は少しずつ広がっていく。得意なものと不得意なものがあるとわかるだけでも、非常に大事な情報を得たに等しい。自分を知る事は生きていく上で最大の武器となる知性の一つであり、教養の基本でもある

    ・僕が言いたいのは、競争に勝つことが偉い事でもなんでもないという事。僕はそういうふうに人間をとらえていない。自分がやりたい事を自由にできる人は幸せなのだ

    これら抜粋を読めばわかるように、この本は「自分軸を持って生きよ。その軸を形成する手段の一つとして勉強という行為がある」という事を著者の主観たっぷりで説明してくれます^^

    私、こういう本に出会えるととても嬉しい気持ちになります

    それは2つあって、1つは、頭の中でぼんやり思っていたことを明確に言語化してある事です

    もう1つは、仲間がいる感覚を味わえる事です

    これは小説の登場人物にも言えますが「あー、この感情を抱くのって自分だけじゃないんだ」って思えるのは自分的にはすごく価値ある事ですね

    しかもこういう勉強についてとかコンプレックスに思っていることを口に出すのってリアル世界だと抵抗あったりするので、余計に本の世界で仲間がいるのっていいなって思いますね^^

    ただ、本を読んで自分的にちょっとわからないのは、どこからが「勉強」なのかという事です

    著者の考えだと、自分で興味をもった事を学び、自分なりの結論を得ることが喜びであり、勉強の醍醐味であると書いています

    これを私の実生活で当てはめると

    ・経済や資産形成を学ぶ→勉強に入るだろう

    ・色々工夫しながら料理する→勉強?

    ・より速く、より長く走れる方法を試す→勉強?

    3つとも「勉強」になりますか?^^

    勉強という言葉の定義を自分なりに固めるのも大切な事かなと思ったりしました(自分的には全部勉強にしちゃっていい気がします^^)

    あとがきに書かれてある内容が、私の背中を押してくれるというか、「そのまま頑張りなさい」と言ってくれているようで嬉しかったので、一部紹介します

    ・自分が何をしたいのか知らない人は、自分で楽しみを作れない。作れるなんて考えてもいない。楽しみは、本来その人の中から生まれるものなのに、外部に用意されていると勘違いして探している

    ・勉強の楽しさを知った人は、一人を楽しめる。来る者拒まず去るもの追わずである。だから、むやみに人を誘わない。逆に人がたくさんいないと楽しめない人たちは「つるむ」事になる

    今、ふと思いましたが、勉強の面白さって「何を勉強するか自分で決めれる事」も大きい気がします

    学生の頃の勉強ってカリキュラムやシラバスが決まっていますし、就職してからの資格とかも勤務内容に沿ったものであるといえます

    そうではなくて、本当に自分の興味から始める勉強。私なら「資産形成」「家計管理」「効率的な走り方」「馬の血統^^」

    そういう自分の中から湧き出てくるような本当の好奇心に基づいた勉強って、楽しいんですよね

    そう、勉強って本来は楽しいもの

    あなたは、なにか学んでいますか?そういうの共有出来たら、もっと世界が広がって楽しそうですよね^^

    今回も2100字です。スミマセン^^

  • 読書記録「正欲」

    読書記録「正欲」

    著者:朝井リョウ

    出版社:新潮文庫

    初版:令和5年6月

    46回目の投稿になります

    今回は朝井リョウさんの「正欲」です

    朝井リョウ。名前は知っていたが作品を読んだ事はありませんでした

    先日、ニュースで「イン・ザ・メガチャーチ」が本屋大賞を受賞したと知り、本屋へ

    で、結局買ったのが「正欲」でした^^

    500ページくらいありますが、久しぶりに一気読みでした。読み終えたら午前3時半でした^^

    特に終盤の100ページくらいは、自分の価値観が殴られ続けるような感覚でした。拙いですが、自分なりの感想を書いてみたいと思います

    作中には、特殊な欲や性癖をもつ人たちが出てきます。ただ、「特殊である」とされるのは、その欲が社会的に少数派だからであるというだけではないのか

    「女性の胸に興奮する」は、社会的に認められる性癖だが、「水しぶきに興奮する」は、何それ気持ち悪いとなる。では、後者のような性癖を持つ人間は、歯や視力のように矯正されなくてはいけないのか

    「幸せの形は人それぞれ」「多様性の時代」「自分に正直に生きよう」

    これ、たぶん、私がこのブログを始めた理由の多くを占めています

    それを、作者は次のような言葉で私を斬りつけてきます

    「でも、キチガイは迷惑じゃ」

    マーライオンのように人が嘔吐する様子に興奮する嘔吐フェチ、対象が何者かに丸呑みされる様子に興奮する丸呑みフェチ、小さい子の裸に興奮する児童性愛、ミイラのように拘束する・される事を好むマミフィケーションフェチ

    これらは、胸が好き、お尻が好きという性癖となにが違うのか

    欲という意味では公平であるべきではないのか

    そんな問いを投げかけられているような気がします

    佐々木佳道、桐生夏月、諸橋大也。それぞれの思いがすごく突き刺さったし、読み始めは「共感」のポジションで読んでいた私も、実は多数派側だったのではと何度も揺さぶられました

    「マジョリティは信念がある集団ではない。マジョリティであるが故に自分自身と向き合う機会は少ない。信念がない人ほど『多数派である自分たち側に相手を正そうとする』行為に行きつく」

    「夏月の事はほとんど何も知らない。夏月も自分の事をほとんど知らない。ただ、お互い絶対誰にも知られたくない事だけを、だけど確実に自分の思考や哲学の根にあるものだけを、握り締め合っている。心臓を掴み合っている。地球上でたった一人の相手。」

    人生や孤独について何度も何度も揺らされます^^

    私はその中でも、水の形状変化に性癖を持つ諸橋大也という人物に、とても共感を覚えました

    高校生でも、大学生になっても男が徒党を組みたがることに辟易する様子は、よくわかりますね

    男が集まると、ずっとセックスの話をしている。あいつとやった、何回やった、何分やり続けた。そういう中で、自分の話す番が回ってこないように気配をいかに消すかに心を砕く様子も痛いほどわかります

    彼が悩みながら至る「多数派であるという事に安住し、自分という個体について考える機会がないのは、一つの不幸でもあるのかもしれない。自分はその分、自分が個人としてどうありたいかという事について明確な意志を持っており、それは幸せなのかもしれない」という思いは、なるほどなと思わされました

    水に興奮を覚える人たちとSNS上でつながることを、彼らは「網」と表現します

    網を、誰かや社会に覗き込まれたら笑われてしまうような事を共有できる関係性としています

    しかし、諸橋くんに共感して読み進めると、「お前はあくまで『色々理解してます』に偏った側の人間なんだよ」と言い放たれます

    この言葉は彼を理解しようとする同級生に放たれる言葉ですが、私自身に言われているような錯覚を覚えます

    少し作品から離れますが、私の性癖について書いてみます(急なカミングアウトどうした?^^)

    私は「重みフェチ」です^^もう少し詳しく言えば「寝るとき重みフェチ」です。かけ布団を極力重くしないと落ち着きません

    たぶんあなたが想像するより重くしてます^^タオルケットの上にかけ布団、その上に毛布かけます。そこまではまあわかりますよね。そこから私、その上に敷き布団乗せるんです^^それでも足りないくらい^^つぶされるんじゃないかというくらいの重さと圧迫感を感じると落ち着くんです

    だから、旅行でホテルとか泊まると、掛け布団が軽すぎて寝れないことがあります^^

    ここまで書いて気付きましたが、そういえば、このブログ、リアル世界で知っているお友だちが1人だけいました^^その方がこれ読んだらドン引きじゃないだろうか…大丈夫だと思うけど^^

    でも、これももしかしたらこういう場で発信できる程度の性癖と自分で判断しているとすれば、もっと言えない性癖を抱えているのかもしれません

    作品を読み終えて、あなたの欲もそれで大丈夫だよと伝えてくれているような気がして、うまく言い表せない安心感がありました

    すべての人に優しく手を差し伸べてくれるような作品だと思います

    最後に、私がすごく心に残ったセリフを2つ紹介して終わります

    1 「皆もともとたった独りで、家族とか友人とかがいる期間を経て、また独りに戻るだけ」

    2 同じ性癖同士、手を組む形で結婚した佳道と夏月。その性癖で逮捕された佳道に対し夏月が取り調べの検事に言う

    「いなくならないからって、伝えてください」

    「いなくならないから」って、シンプルだけどすごく素敵な言葉だと思いました。目線が長期に向いていて、関係性を長く続けていきたいという感じもいい。言われたらすごく安心すると思うし、大切な誰かに伝えたい言葉でもあると思いました

    読了した翌日、「イン・ザ・メガチャーチ」買いに行きました^^

  • 読書記録「懶惰(らんだ)の歌留多」

    読書記録「懶惰(らんだ)の歌留多」

    著者:太宰治

    出版社:角川文庫

    初版:昭和45年12月

    42回目の投稿になります

    今回は太宰治の中編「懶惰の歌留多」です

    表紙は「走れメロス」で、太宰中期の9作が収録されている中の1つです

    小説というよりエッセイに近い内容になっていると思います

    他には表題「走れメロス」の他、「富嶽百景」「東京八景」などがあり、太宰の一番調子のいい(と言ったら怒られる?^^)時期の作品集です

    その中で、なぜ「懶惰の歌留多」かと言うと、とにかく太宰がカワイイからです^^

    「懶惰(らんだ)」とは、「怠ける」の意で、太宰はこの作品の中で自らの怠惰を嘆き続けます^^

    ホントに、最初から最後まで嘆き続けます^^

    書き出しから既に「私の数ある悪徳の中で、最も顕著の悪徳は怠惰である。これはもう疑いをいれない。こと、怠惰に関しては、私はほんものである。」だって^^

    魚は骨があって食べるのがめんどくさいから嫌いとか、豆腐は食べるのが簡単だから好きとか^^そんな話が続きます

    おそらくこの時の太宰は締め切りに追われているのでしょう。「かるた」という枠を設定し「いろは~」の順に思いつくことを書いていきます

    い…生くることにも心せき、感ずることも急がるる

    ろ…廊下は暗い

    は…母よ、子のために怒れ!

    のようなタイトルを付け、取り留めもない感じで書いていきます(すでに2つ目の「廊下は暗い」の時点でちょっと面白い。ちょっと自由律俳句みがある^^)

    で、最初のうちは頑張って書いているのですが、だんだんと適当になっていくのがこれまた面白いです^^

    そして、最後は

    わ…われ山にむかいて眼を挙ぐ

    か…下民しいたげ易く、上天あざむき難し

    よ…夜の次には朝が来る

    と、タイトルだけ書いて急に終わります^^

    締め切りに間に合わなかったか、とりあえず文字数は埋まったのかはわかりません。出版社の担当さんに怒られている太宰を勝手に想像してしまいます^^

    ちなみに最後の記述は

    「もう四、五日余裕があれば。今日あたりはぎりぎりの締切日なのであろう。私はどんなことがあってもこの原稿を印刷所へ届けなければいけない。こんな苦しい思いをするのも、つまりは日常の怠惰の故である。こんなことでは確かにいけない。もって自戒とすべし」

    となっています^^

    これを読んだ担当さんの気持ちを想像するだけで笑えてきます

    近代文学が「難しそう」とか「とっつきずらそう」とか思って読まない人には、ぜひこれを読んでほしいですね

    太宰ってイコール「人間失格」とか「斜陽」のイメージが強いのか、「暗くて難解」みたいな感じで思われすぎているように思います

    「懶惰の歌留多」読んだら、太宰カワイイってなると思うんだけどな^^

    ページ数も30ページ程度。ケラケラ笑える近代文学、いかがですか?

  • 読書記録「無理をして生きてきた人」②

    読書記録「無理をして生きてきた人」②

    著者:加藤諦三

    出版社:PHP新書

    初版:2024年3月

    38回目の投稿になります

    先ほど、ランニングしていて「あ、これ書こう!」という事が閃いて、さっきまで憶えていたのに、どうにも思い出せなくてモヤモヤしています^^

    さて、今回は本の紹介ですが、前回に引き続き「無理をして生きてきた人」です

    今日初めてここに来られたという方は、①の方を読んでからお読みいただけるといいのかなと思います

    では、恐る恐る内容に踏み込んでみましょう^^

    ・「神経症傾向の強い親は、不機嫌で子を支配しようとする。家族がいつもニコニコしていることを求める。それは自分(親)と相手(子)の分離がなされていなくて、相手が自分の思い通りに動いて当たり前と思っている」

    また、グサグサ私を刺してきますね^^

    でも、これはその通りで、私は他者の顔色を窺う傾向が強いと思います

    もうちょい解像度をあげるとするなら「傾向が強かった」でしょうか^^今はあまり気になりませんが

    以前は、顔色を窺った結果、相手が機嫌悪そうだと「あれ、自分、なんかした?」みたいに思って、勝手に不安になったりしていましたね

    ・「あなたが今幸せでないなら、それは、自分の人生を自分の意志で選び取っていないからである」

    もうやめて~^^

    高校も大学も就職も、ロクに考えもせずレールに乗った私には、痛すぎるけれどありがたいお言葉でございます^^

    30代半ばでこの感覚に気付けて本当に良かった

    ・「あなたに『私はダメな人間だ』という自己イメージを持たせたのは誰?」

    誰ですか?^^

    でもね、このように「持たせたのは誰?」と書いてくれると、根本の原因はあなたではないんですよと言ってくれているようで、ホッとさせられます

    さて、第4章では、無理をして生きてきた人が前向きに生きるためのヒントが書かれています

    読みながら泣かないでくださいね。あ、泣いてもいいか^^泣いていいです^^

    ・「自分には価値がないという自己無価値感には根拠がない」

    →はい、その通りです。ありがとうございます^^

    ・「頑張る理由を自分に設定する。親の期待や周囲の人の期待に応えるために頑張るという事から離れる」

    ・「親を一人の人間として認知し、率直に評価する」

    →これで、私はだいぶ楽になりました

    最近わかった事ですが、母は私に「本を読め」と教えてきました。でも、実家の本があまり読まれた形跡のないものが多いことに気付き、質問してみたんです

    「母さんは、好きな作家いるの?」

    「一番好きな本は?」

    と。めっちゃごまかされました^^あ、この人、ほとんど本読んでないな?とわかった瞬間がありました

    別に母を卑下している訳ではありませんが、母というフィルターを外してみると、そんなすごい人でもないなというのが率直な印象ですね

    ・「相手からの攻撃は受け取らない」

    なにかの本で、悪口を箱のような可視化されたものとしてイメージする話がありました

    その箱(悪口)を受け取ってしまえばそれは私の属性になるから苦しい。でも、それを受け取らずにその辺に置いておけば、その箱(悪口)の属性は言った人のまま。だから後々苦しむのは悪口を言った人、みたいな話です

    それに通ずる言葉かなと思いました

    ・「人生行き詰まったと感じたら、今までの考え方の逆に行ってみる。既存の人間関係から脱し、新しい考えで新天地を開くことが自己を伸ばすことにつながる」

    →まさに、今、実践中です^^

    ・「自分を傷つける言葉を吐く人を観察する。たいていは、その人自身が劣等感が強く、虚勢を張らなければ自己を保てない人である」

    →余裕がある人って悪口言わないし、なんかどっしりとした感じありますよね^^

    ・「失敗は単なる経験である。不幸の原因ではないし、自己否定につながるものでもない。的確に分析し、次に進めばいいだけである」

    →ありがとう^^加藤さん優しい^^

    ・「『あなたは、あなただから愛される』と感じられる帰属意識が重要」

    →この本を好きな人たちで集まって話したいですね^^

    ・「『私は幸せになる』と声に出して言う。棺桶に入っても言う」

    →おもろい^^

    ・「こうでなければならない」などということは、人生にはほとんどない

    ・適切に対処できない事があったからといって、自分をダメな人間と思う必要はない

    ・ものを見る視点が変わってくれば、周囲のものはみな違って見える。

    ・自分を責めない

    どうでしたか?^^最後の方はもう2000字になりそうなのでコメントしませんでしたが、どれも暖かいですよね。どれもしっかり憶えておきたい言葉です

    最後に、親に対して少しフォローしておくと、ある程度の学力を付けてくれた事については感謝しています

    私が困難を抱えた時、本を読む力や、考える力がなければ、たぶん終わってたと思うんでね

    そこそこの進学校に行き、ベースの学力があったからこそ生き延びてこれた感覚が今はあります

    ま、そんなこんなで、自身の過去や内面をえぐってくれる良書でした^^

    なんかスッキリした^^

    過去最長になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

  • 読書記録「無理をして生きてきた人」①

    読書記録「無理をして生きてきた人」

    著者:加藤諦三

    出版社:PHP新書

    初版:2024年3月

    34回目の投稿になります

    今回は書籍「無理をして生きてきた人」です

    著者の加藤諦三さんは社会学者であり心理学者として活躍する一方、本人も幼少期における親との関係性に悩んでいたという経験を持つ方です

    以前読んだ「求めない」という短編もとても良い本でした

    今回の内容は、私のような自己肯定感低めな人には刺激が強いかもしれません。グサグサ来るかもしれませんので、怖い物見たさで興味がある方のみ続きをどうぞ^^

    ※「」は著書からの引用です

    「今のあなたの悩みの核心は、過去の心理的に未解決な問題が変装して現れているにすぎない。あなたは、今の出来事で悩んでいるのではなく、心理的未解決な問題に振り回されている」

    いきなりけっこう刺激的ですね^^過去の心理的未解決な問題とはなにか

    著者は、その一つが「幼少期の親との関係における性格形成」であるとしています

    「親自身が神経症的で、自分の軸で生きていないと、生き方として行き詰まる。その行き詰まりを解消しようとするのが、他者への干渉なのである。最も身近なのは子である。子を操作したり、干渉したり、非難したりという形で自分の行き詰まり感を解消しようとする」

    「アメリカの心理学者シーベリーによると、神経症者とは、自分の能力を自分を成長させるためには用いないで、他人を巧みに操るために用いる人間をいう」

    小学生くらいのおぼろげな記憶ですが、こんな事がありました

    私が同じクラスの子に叩かれたとかで、相手と相手の親が家に謝罪に来るみたいな事がありました

    その時母は相手の親に「いえいえ、ウチの子も悪かったと思いますから。ウチの子もダメな所ありますし」的な事を言ったんですね

    え?ええっ?^^

    オレ、この件については何にも悪くないですけど…^^

    これは一例ですが、私の母は体裁を取り繕うことを大切にしている事がわかります

    今思い返すと、たぶん私は相手に怒ってほしかったんじゃないかと

    何ヘラヘラ笑って場を終わらせようとしてるんだと

    はっきり言うと、私の母は、自分のための人生ではなく人に見せるための人生を送っている。人に「あなたは偉い」「あなたはちゃんとしている」と思われることで自我を保つ

    さっきの件で言うと、笑顔で事を収める事が人としていい事だというか、そういう対応をする私素晴らしいみたいな感覚なのではないかと

    あ、ちょっと度が過ぎましたかね^^

    まあ、私の親世代(70代)は、今より多様性がなく同調圧力が強かった時代だとは認識しています

    一億総中流社会とか言われ、例えばキャリアについても「進学校→一流大学→有名企業→定年まで勤める」的なステレオタイプな生き方が良しとされていたと思います(今も、地方ではこの考え方が多分に生き残っていますが^^)

    なので、他と違う自分はダメみたいな感覚はわからなくもないんですが、俯瞰してみると、他者から見える自分を飾るより目の前の子を守ってやれよと思ったりしちゃいますね^^

    「愛されるためには、相手になにかを与えなければならないと考えてきた。お金か名誉を与えるか、あるいは労働奉仕か、服従することで相手の支配欲を満足させるか、迎合することで相手の無力感を解消させるか、なにかを与えないと自分は相手から愛されないと思い込んでいる」

    自己犠牲が強い人の特徴として、幼少期の家庭環境が指摘されていました。「期待に応えないと愛されていないと思ってしまう」家庭環境だと、そうなる恐れがあるというのです

    例えば、褒められる時が「テストでいい点を取った時」とか「親のいう事を聞いた時」などだと、頑張らないと愛情を感じられない「条件付きの愛情」が刷り込まれてしまうのではないかと

    読んでいて、これはありそうだと思いましたね^^

    我が家は、95点取ると「あー、5点間違ったねー。しっかり見直ししないとねー」でした

    幼少期はそれについて特に何も思っていなかったのですが、「〇がついた95点の方を褒められてもよかったのではないか」と今は思ったりしますね

    さてさて、ここでまだ本の半分くらいなんですよね^^

    ここまでお読みいただいたそこのあなた!憂鬱な気分になっていませんか^^

    私は吐きそうになりながら読んでいたのですが、これを読む事で、今まで深層心理にあった鬱屈した感情みたいなものにスポットライトを当てる事ができたかなとも思います

    続きは来週金曜に更新します。ある程度書いたのですが、来週の投稿は、これからの事に焦点を当てた前向きな感じで締めくくれそうです^^

    過去イチ闇深い投稿だったかもしれませんが、わかる人にはわかってもらえるのではないかと淡い期待を抱いて終わりにします^^

    いつもありがとうございます

  • 読書記録「DIE WITH ZERO」

    読書記録「DIE WITH ZERO」

    著者:ビル・パーキンス

    出版社:ダイヤモンド社

    初版:2020年9月

    30回目の投稿になります

    今回は書籍「DIE WITH ZERO」です

    直訳すると、「ゼロで死ね」ということになります

    冒頭で「アリとキリギリス」の話が出てきます。著者は問うてきます。「あなたはアリですか?キリギリスですか?」と。そして「アリは、いつ遊ぶことができるのでしょう?」と

    いきなりハッとさせられます。私はこれまで、アリ的な生き方をしてきた自覚があります

    コツコツ節約し、なにかあった時の備えにしようとお金を貯金してきました。その感覚が、この本を読むと変わります

    私は、親や学校の教育により、勤勉に働き倹約に励むことが美徳であるという考えを意識しすぎてきたのかもしれません。言い方を変えれば刷り込まれてきたのかもしれません

    この本は、真面目に生きてきた人ほど刺さる気がします^^

    著者は「キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきだ」と言います

    ただ生きるのではなく、十分に生きる。経済的に豊かになるだけではなく、人生を豊かにする方法を考える

    そういう本です。内容とそれに対する気付きを紹介してみます

    「大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うことだ」

    この言葉は、私の価値観に大きな影響を与えたと思います。私は今40代なので、大学卒業後20年ほど働いてきました。あまり浪費もせず貯金してきた訳です

    しかし、考えてみると「なんのための貯金?」という意図がありませんでした。漠然とした「将来のため」「なにかあった時のため」というものは、今思うとただの思考停止だったように思います

    もう少し深掘りすると、何に金を使うことが価値あることなのか、つまり自分の軸がない状態だったと思います

    特に「お金の使い方」については、金額、その対象、目的などすごく試行錯誤して、今実践している感覚がありますね

    この20年を取り返すかのように、今はアクティブに動き回っています^^

    人見知りの性格はそんなに改善されていないので、最初の壁を突破するのが大変だったりするわけですが^^

    「節約ばかりしていると、そのときにしかできない経験をするチャンスを失う」

    今、よく思うのは「人生で最も大切なものは時間である」ということです

    仮に1000万円残して死んだ場合、私は、1000万円分余計に働いて死んだことになるのではないか

    そんな事を、この本を読んでいて思った訳です

    私は数年前にかなりブラックな職場から転職した訳ですが、もし前職を60歳、65歳まで勤めた場合、その年齢まで仕事に捧げるような人生になっていた訳です

    いくら退職金が何千万円みたいな世界であっても老化した自分にそんな金必要か?と思ったり…

    70歳になった時にマラソン走れるか、車で日本1周できるか、ステーキ食べて美味しいと思えるか(なんか例がだんだん稚拙に^^)

    「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」

    これは、余命わずかで緩和ケア病棟に来た患者が残す後悔の言葉第1位だそうです(ちなみに2位は「こんなに働きすぎなければよかった」だそうです)

    これは非常に示唆深いと思います

    親だって友人だって突き詰めれば他人であり、自分の人生は自分で責任を取り、楽しむしかない

    誰かに用意された人生を生きる事は、結局、自分で自分を大切にしていない事になるのではと最近はよく思います

    ただ、これは、40代の自分だから刺さった内容かもしれません。年代によって、未婚か既婚か、資産の保有状況、生活レベルなどによって読み方が変わってくるような気がします。学生の頃なら「そんなこと言ったって、経験に使う金がない」と多少無理しても働いたかもしれないし

    少なくとも私には良い方の影響を与えてくれました

    あとがきで、

    「だから、挑戦しよう。人生を最大限に充実させ、たった一度の人生を価値あるものにしよう」とあります

    私はこの本を読んで、明らかに行動が変わり、チャレンジングになりました

    また、チャレンジした結果、自分にとって良い変化をもたらした事が多かった事を実感しています

    チャレンジしなければできなかった体験、出会えなかった人、たくさんあります。このブログだってチャレンジの1つで、予想以上にたくさんの方に読んでいただいている訳ですし^^

    30代くらいまで、ずっと自分の事が好きになれませんでしたが、今の自分は好きですね^^

    スミマセン…。気付けば1800字も^^

    いつも、ありがとうございます

  • 読書記録「LIAR GAME」

    読書記録「LIAR  GAME」

    著者:甲斐谷忍

    出版社:集英社コミックス

    初版:2005年年9月~

    26回目の投稿になります

    今回はマンガ「LIAR GAME」です

    天才的な頭脳を持つ秋山深一と、「バカ正直のナオ」と呼ばれるほど人を信じては裏切られを繰り返す神崎直が、騙し合いでマネーを奪い合うゲームに参加することになるというストーリーです

    人の心理、追いつめられた人が取る行動、裏の裏の裏を読もうとする策略など、読んでいてとても面白いです

    少数決ゲーム、入札ポーカー、密輸ゲームなど、作者のゲーム設定が面白く、どうやったらこんな設定が思いつくのだろうと感心させられます

    私が一番好きな場面は、4巻の冒頭の秋山と直の会話です

    直が「みんなのことを信じなければなりませんね」と言った事に対し、秋山が言うセリフがあります。それは

    「人は、疑うべきだよ」です

    人を疑うとは正確には「その人間を知ろうとする行為」であると彼は言います

    逆に、信じるという言葉は高尚に聞こえるが、それは「相手を知ることの放棄」であると

    信じるという何となく良さげな言葉の裏にあるのは「無関心」であると

    初見で読んだとき、ひとつひとつの言葉がグサグサと刺さったのを憶えています^^

    秋山は、信じるとは「究極の思考停止状態」なのではないかと直に問うわけですが、それはそのまま自分(読者)に問われているような感じがします

    当ブログをお読みいただいたいる皆さん、いかがですか?「疑う」って良くないイメージありませんか?

    私もLIAR GAMEのこの部分を読むまではそう思っていました

    でも、これを読んでから、自分の価値観として

    「好きの反対は、嫌い」ではなく

    「好きの反対は、無関心」

    であると思うようになりました

    また、私も含め、完璧な人などいないのだから「この人のいう事だから間違いない」とか「あの人のいう事だからダメに決まっている」などと決めつけるのではなく、その人の1個1個の事を分けて考えることが「いい意味で疑う」事になるのではないかと思ったりしました

    特に、これまでの経験上、いったん好意を覚えた人に対しては、どんなことでも良い方に考えがちになる事もありました

    盲信しすぎずフラットに見るということが、考えようによっては相手を尊重する事になるのかもしれません。この辺は、まだ正直よくわかりません^^人間関係、むずいね^^

    このマンガは、秋山と直が様々なゲームに巻き込まれながら、何度も何度も思考のどんでん返しがある難解かつ爽快なストーリーです

    秋山が切れる頭脳で勝ち上がっていくんですが、その要所要所で直の素直さや実直さを必要とする場面もあり

    お互いの足りないところを、お互いが補い合っている感じがあって、そういうところも作品の魅力かなと思います

    私は、人と親しくなる時は、親しくなっていく過程においては共通点を見出したくなります

    数学の集合でいうとA∩Bみたいな重なり合う部分について盛り上がっていくイメージです

    でも、ある程度仲良くなったなと思ったら、その人がもつ、自分とは違う感性や思考について興味をもっていくようになるし

    自分がそれまで見せていない部分も見せてもいいかなと思ったりします。A∪Bみたいなイメージです

    秋山と直は、性格も考え方も違いますが、違うからこそお互いを信頼し尊重している感じが、巻が進むごとに表現されている気がします

    最終巻の終わり方が唐突で、大人の事情で急に終わった感もありますが、私はとても好きな作品です

    登場人物が、競馬の騎手の名前をもじっていて、作者、たぶん競馬好きなんだろうなと思わされます^^

  • 読書記録 長田弘「読書から始まる」②

    読書記録「読書から始まる」②

    著者:長田弘

    出版社:ちくま文庫

    初版:2021年5月

    22回目の投稿になります

    今回は詩人長田弘さんのエッセイ集「読書から始まる」の続きです

    前回の投稿をお読みいただいた方は「あれ?来週って言ってたのに翌日書いてるやん」と思っているかもしれません^^

    なんか、読んだ後の高揚感があるうちに書きたくなってしまって、お前の気持ちなんて知らねえよということではあるんですが、連日の投稿になっております

    こういう事をウダウダ書いているから文字数がかさむんですね^^さっさと始めます

    長田さんは「言葉というのは、とどのつまりその人の生き方の流儀であり、マナーです」と書いています

    また、「言葉をゆたかにするというのは、自分の言葉をちゃんと持つことができるということ」とも書いています

    それができれば「自分という独自性を見つけられ、自分で自分を自分にしていくことができる」としています

    「自分で自分を自分にしていく」ですってよ^^この表現ヤバくないですか?^^

    でも、言葉はその人の生き方の流儀という部分は、自分の目指したい感覚でもありますね。それはただ単に難しい言葉を知っているということではなく、相手や場面に合わせた言葉を用い、でも自分の考えはしっかり伝わるような…そんな人になれたらいいですね

    もしかしたら、このブログもその鍛錬の場所になっているのかもしれません

    あとがきで、幕末の人、橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌が載っていました

    「たのしみは 人も訪(と)ひこず 事もなく 心を入れて 書(ふみ)を見る時」

    楽しみなのは、訪れる人もなく特にする事もない日に、集中して本を読む時だ

    といったところでしょうか。もう1つ紹介されていました

    「たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人を見し時」

    楽しみなのは、何となく読んだ本の中に、自分と同じ感覚の人を見つけた時だ

    どちらの歌もすごく共感できます。「あれ、この本、私のことが書いてある!」っていう本に出会ったときのあの感覚^^尾崎放哉とも友だちになれそうですが、橘曙覧さんとも友だちになれそうです^^

    さて、少し本の内容とは離れますが、この本との出会いもなかなか素晴らしいものだったので、書いてみます

    3月17日、用事があって札幌に出かけたついでに本屋さんに立ち寄りました。目的は「尾崎放哉全句集」の購入です

    以前紹介したのは図書館で借りた本であり、とても気に入ったので購入して私の本棚に仲間入りしてもらおうと思ったわけです

    検索機で場所をチェックし「ちくま文庫」の棚へ。そのときに尾崎放哉全句集の隣にあったのが、この「読書から始まる」でした

    つまり、尾崎放哉との出会いがなければ、私は少なくとも今の段階でこの本に出会うことはなかったわけです

    もう少し深掘りすると、尾崎放哉を知ったのは、ヨルシカの「嘘月」という歌のモチーフになっていたからです

    ヨルシカを好きになったのは、ヨルシカを熱く語る方に出会ったからです

    その方に出会ったのは、手術のために通院していたからです(あ、重い病気とかではないです^^)

    なんか、いくつもの繋がりがあってこの本にたどりついた感があって、色々な事に感謝したい気持ちになっています^^

    今日、図書館で長田さんの詩集を2冊ほど借りてきました。不勉強で長田さんの詩はまったく読んだことがありません

    読むのが楽しみです^^

  • 読書記録「読書から始まる」

    読書記録「読書から始まる」

    著者:長田弘

    出版社:ちくま文庫

    初版:2021年5月

    21回目の投稿になります

    今回は詩人長田弘さんのエッセイ集「読書から始まる」です

    エッセイ集とは書いていますが、長田さんの講演でのお話を文章化したものとのことです。読書のすばらしさ、言葉の大切さがひしひしと伝わるとても良い本でした

    私は本が好きだし、言葉も大切にしたいなと思っていますが、私なんかとは比べ物にならないくらい深いところまで考えられていて、とても勉強になりました

    私は、本に付箋を付けながら読むのですが、読み終わったとき、付箋だらけでちょっと本の上の方が分厚くなっていました^^

    そして、この本の素晴らしいところは、それを簡単な言葉でわかりやすく書かれていることです。では、内容に触れてみます

    「はじめに」のわずか4ページの中に

    ・本の魅力は、ここにある言葉を、ここにいない人に手渡すことができるということ

    ・その本をそれまで読んだことがない。にもかかわらず、その本を読んで、「私」という人間がすでにそこに読みぬかれていたというふうに感じる

    ・いい本は、その中に「いい時間」が流れている

    といった、本への愛情がこれでもかと次々と表現されています。本が付箋だらけになるのもおわかりいただけるのではないでしょうか^^

    特に私に刺さったのが5章「共通の大切な記憶」です

    まず、本というものを「自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディア」と定義しています

    12ページまで読んで、ちょっとどこかへいって戻ってきたら92ページまで進んでいたということはあり得ない。自分が1ページずつめくっていかないと進まない

    当たり前だけどなるほどそうだなと思わされます。そして長田さんは、「だから、きちんと本に向き合おうとすれば、どうしたって自分の時間の使い方という問題にかかわってくることになる」としています

    これは、自身の経験に照らしてみてもその通りだなと思いますね

    まず、忙しくて心身ともに余裕がないと、本を読むという事の優先度が下がるし、読んだとしても心に残りづらい感じがします。

    心に余裕(余白)がないから、いい本でも、内容が入ってくる余地が自分の心にない感じです。あまりうまく表現できないですが、ここを訪れる方ならこのニュアンスわかってくれるのではないかと思います^^

    また、長田さんは、本を「自分にとってのみ大切な記憶というだけでは、どうにもならない」としています。これも大変興味深い話でした

    つまり、自分と相手が同じ本を読み、それを共通の大切な記憶として保持していけることが、多様化、個別化した現代における本の価値であるということなのかもしれません

    しかも、大事なのは「一緒に、ではなく共通の」であるとしています

    私が読んだ本をあなたも読む、あなたが読んだ本を私も読む。読むタイミングが違っても、同じ場所にいなくても、そのような共通の大切な記憶の置きどころが本なのではないかと長田さんは言いたいのかなと読んでいて思いました

    「本は共通の大切な記憶の場所」

    すごく素敵な考え方だなと思いませんか^^ちょっと泣きそうになります^^

    こんな感じで、本や言葉の素晴らしさ、そしてそこから生まれる人としての在り方みたいなものを優しく語りかけてくれる本です

    この本の内容、そしてこの本とどのように出会ったかについてもう少し書きたいのですが、すでに1400字^^いつも1000字程度でと思いながら大幅にオーバーしています

    続きは次回にしたいと思います

  • 読書記録「尾崎放哉全句集」

    読書記録「尾崎放哉全句集」

    著者:尾崎放哉(村上護 編)

    出版社:ちくま文庫

    初版:2008年2月

    17回目の投稿になります。

    今回は小説ではなく俳句の全集になります。「尾崎放哉全句集」です

    ♯5でヨルシカの「嘘月」を紹介したときに少し触れましたが、嘘月が尾崎放哉の自由律俳句をモチーフに作られたと知ってから興味をもち、読んでみました

    ここに来られた方は十分ご承知とは思いますが、俳句は「五・七・五」を定型とし、季語を入れて季節感の中に自己の感情などを表現します

    しかし、自由律俳句は、語数、季語など全て無視しています^^自分の感情のままその1行に注ぎ込むみたいな感じでしょうか

    ただ、今ふと思ったんですけど、「自由律」の「自由」って、五七五の定型があるからこそ「自由」を名乗れますよね。そういう意味では五七五の綺麗な定型の俳句も自由律もどちらも楽しめる人でありたいなと思ったりしました

    さて、尾崎放哉ですが、この全句集の末尾にその生涯が載っていました。大変興味深い人生だったので、ざっくり書いてみます

    東京大学法学部卒のエリート。卒業後生命保険会社に就職も、矛盾だらけの社会に調子を合わせていくことが馬鹿らしくなり、辞職。妻とも離縁し、遁世(世間の煩わしさから離れること。出家の意に近い)

    それが38歳のときであって、死んだのが41歳。この3年間で句作りに没頭。正確に言えば、小豆島に移り住んでからの1年に満たない期間で自由律俳句を作り続けた

    私、尾崎放哉のように、晩年になってから急に光を放ち始める人物が好きなんですよね^^55歳から17年かけて精密な日本地図を作製した伊能忠敬や、ケンタッキーを65歳で創業し成功を収めたカーネルサンダースなどなど

    自分の人生も、まだまだこれからなんじゃないかみたいな気がしてくるんですよね^^勿論、圧倒的な努力が必要なんですがね

    さて、尾崎放哉の俳句を紹介してみますが、その前に前提をおさえておきます。それはなにかというと

    私が俳句の詠み方を全く知らない!

    ということです^^ド素人の解釈をこれからウダウダ書きますので、期待しないで読みすすめてください

    「咳をしても一人」

    「こんなよい月を一人で見て寝る」

    おそらく尾崎放哉の句で最も有名な2句ではないでしょうか。放哉の句を読んでいると、「一人」がよく出てきます。「一人」と表現する背景には、「二人」であることへの希求や、かつては「二人」であったことへの回顧などもあるのかなと個人的には思います。ちなみに全句集には「墓地から戻ってきても一人」という句もあって、ちょっと笑っちゃいました^^切ないっす^^

    「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」

    死の間際に作った句であるらしく、けむりを自らの死(火葬)に置き換えたものであるという解釈があるようです。もしそうであるなら「出だした」っていうのが死を悟った感じを表しているのかな

    「いつ迄も忘れられた儘(まま)で黒い蝙蝠(こうもり)傘」

    「いつ迄も」が、放哉がこの蝙蝠傘に注目し向かい合っていた時間的な経過を連想させます。また、「忘れられた儘の」だと、かかる対象が蝙蝠傘だけになるけど、「忘れられた儘で」になると、忘れられた儘なのが、蝙蝠傘だけにとどまらず自分にもかかってくるんじゃないかなみたいに読むこともできそうです。なんか涙出そうになります^^

    ここからは、ド素人の寸評を(俳句に詳しい方スミマセン^^)

    「なんにもない机の引き出しをあけて見る」

    →ないの知ってて開ける切なさ^^

    「夕の鐘つききったぞみの虫」

    →報告相手みのむししかいなかったのかな?^^

    「一本のからかさを貸してしまった」

    →無理して貸さなくてもよかったのでは^^

    「墓のうらに廻る」

    →自分的に最も衝撃的な一句。なにか見つかりましたか?^^

    「法師の太い声と夕日まんまろ」

    →まんまろカワイイ!

    「雀のあたたかさを握るはなしてやる」

    →孤独、優しさ、切なさ色々こみあげてきて涙出そうになる^^この感情は言語化できません^^

    「冷え切った茶をのんで別れよう」

    →放哉にしては珍しく「他者」を感じる句。長い時間おしゃべりできて嬉しいという気持ちが窺えます

    私、尾崎放哉と時代を同じくしていたら、たぶん友だちになれたと思うんですよね^^孤独を愛するけど分かり合える誰かは探しているような感覚とか、なんかわかる気がするんですよね

    尾崎放哉は、作品がこうやって現代にも影響を与え続けていること、どう思うんだろう?^^