カテゴリー: 読書記録

  • 読書記録「無理をして生きてきた人」②

    読書記録「無理をして生きてきた人」②

    著者:加藤諦三

    出版社:PHP新書

    初版:2024年3月

    38回目の投稿になります

    先ほど、ランニングしていて「あ、これ書こう!」という事が閃いて、さっきまで憶えていたのに、どうにも思い出せなくてモヤモヤしています^^

    さて、今回は本の紹介ですが、前回に引き続き「無理をして生きてきた人」です

    今日初めてここに来られたという方は、①の方を読んでからお読みいただけるといいのかなと思います

    では、恐る恐る内容に踏み込んでみましょう^^

    ・「神経症傾向の強い親は、不機嫌で子を支配しようとする。家族がいつもニコニコしていることを求める。それは自分(親)と相手(子)の分離がなされていなくて、相手が自分の思い通りに動いて当たり前と思っている」

    また、グサグサ私を刺してきますね^^

    でも、これはその通りで、私は他者の顔色を窺う傾向が強いと思います

    もうちょい解像度をあげるとするなら「傾向が強かった」でしょうか^^今はあまり気になりませんが

    以前は、顔色を窺った結果、相手が機嫌悪そうだと「あれ、自分、なんかした?」みたいに思って、勝手に不安になったりしていましたね

    ・「あなたが今幸せでないなら、それは、自分の人生を自分の意志で選び取っていないからである」

    もうやめて~^^

    高校も大学も就職も、ロクに考えもせずレールに乗った私には、痛すぎるけれどありがたいお言葉でございます^^

    30代半ばでこの感覚に気付けて本当に良かった

    ・「あなたに『私はダメな人間だ』という自己イメージを持たせたのは誰?」

    誰ですか?^^

    でもね、このように「持たせたのは誰?」と書いてくれると、根本の原因はあなたではないんですよと言ってくれているようで、ホッとさせられます

    さて、第4章では、無理をして生きてきた人が前向きに生きるためのヒントが書かれています

    読みながら泣かないでくださいね。あ、泣いてもいいか^^泣いていいです^^

    ・「自分には価値がないという自己無価値感には根拠がない」

    →はい、その通りです。ありがとうございます^^

    ・「頑張る理由を自分に設定する。親の期待や周囲の人の期待に応えるために頑張るという事から離れる」

    ・「親を一人の人間として認知し、率直に評価する」

    →これで、私はだいぶ楽になりました

    最近わかった事ですが、母は私に「本を読め」と教えてきました。でも、実家の本があまり読まれた形跡のないものが多いことに気付き、質問してみたんです

    「母さんは、好きな作家いるの?」

    「一番好きな本は?」

    と。めっちゃごまかされました^^あ、この人、ほとんど本読んでないな?とわかった瞬間がありました

    別に母を卑下している訳ではありませんが、母というフィルターを外してみると、そんなすごい人でもないなというのが率直な印象ですね

    ・「相手からの攻撃は受け取らない」

    なにかの本で、悪口を箱のような可視化されたものとしてイメージする話がありました

    その箱(悪口)を受け取ってしまえばそれは私の属性になるから苦しい。でも、それを受け取らずにその辺に置いておけば、その箱(悪口)の属性は言った人のまま。だから後々苦しむのは悪口を言った人、みたいな話です

    それに通ずる言葉かなと思いました

    ・「人生行き詰まったと感じたら、今までの考え方の逆に行ってみる。既存の人間関係から脱し、新しい考えで新天地を開くことが自己を伸ばすことにつながる」

    →まさに、今、実践中です^^

    ・「自分を傷つける言葉を吐く人を観察する。たいていは、その人自身が劣等感が強く、虚勢を張らなければ自己を保てない人である」

    →余裕がある人って悪口言わないし、なんかどっしりとした感じありますよね^^

    ・「失敗は単なる経験である。不幸の原因ではないし、自己否定につながるものでもない。的確に分析し、次に進めばいいだけである」

    →ありがとう^^加藤さん優しい^^

    ・「『あなたは、あなただから愛される』と感じられる帰属意識が重要」

    →この本を好きな人たちで集まって話したいですね^^

    ・「『私は幸せになる』と声に出して言う。棺桶に入っても言う」

    →おもろい^^

    ・「こうでなければならない」などということは、人生にはほとんどない

    ・適切に対処できない事があったからといって、自分をダメな人間と思う必要はない

    ・ものを見る視点が変わってくれば、周囲のものはみな違って見える。

    ・自分を責めない

    どうでしたか?^^最後の方はもう2000字になりそうなのでコメントしませんでしたが、どれも暖かいですよね。どれもしっかり憶えておきたい言葉です

    最後に、親に対して少しフォローしておくと、ある程度の学力を付けてくれた事については感謝しています

    私が困難を抱えた時、本を読む力や、考える力がなければ、たぶん終わってたと思うんでね

    そこそこの進学校に行き、ベースの学力があったからこそ生き延びてこれた感覚が今はあります

    ま、そんなこんなで、自身の過去や内面をえぐってくれる良書でした^^

    なんかスッキリした^^

    過去最長になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

  • 読書記録「無理をして生きてきた人」①

    読書記録「無理をして生きてきた人」

    著者:加藤諦三

    出版社:PHP新書

    初版:2024年3月

    34回目の投稿になります

    今回は書籍「無理をして生きてきた人」です

    著者の加藤諦三さんは社会学者であり心理学者として活躍する一方、本人も幼少期における親との関係性に悩んでいたという経験を持つ方です

    以前読んだ「求めない」という短編もとても良い本でした

    今回の内容は、私のような自己肯定感低めな人には刺激が強いかもしれません。グサグサ来るかもしれませんので、怖い物見たさで興味がある方のみ続きをどうぞ^^

    ※「」は著書からの引用です

    「今のあなたの悩みの核心は、過去の心理的に未解決な問題が変装して現れているにすぎない。あなたは、今の出来事で悩んでいるのではなく、心理的未解決な問題に振り回されている」

    いきなりけっこう刺激的ですね^^過去の心理的未解決な問題とはなにか

    著者は、その一つが「幼少期の親との関係における性格形成」であるとしています

    「親自身が神経症的で、自分の軸で生きていないと、生き方として行き詰まる。その行き詰まりを解消しようとするのが、他者への干渉なのである。最も身近なのは子である。子を操作したり、干渉したり、非難したりという形で自分の行き詰まり感を解消しようとする」

    「アメリカの心理学者シーベリーによると、神経症者とは、自分の能力を自分を成長させるためには用いないで、他人を巧みに操るために用いる人間をいう」

    小学生くらいのおぼろげな記憶ですが、こんな事がありました

    私が同じクラスの子に叩かれたとかで、相手と相手の親が家に謝罪に来るみたいな事がありました

    その時母は相手の親に「いえいえ、ウチの子も悪かったと思いますから。ウチの子もダメな所ありますし」的な事を言ったんですね

    え?ええっ?^^

    オレ、この件については何にも悪くないですけど…^^

    これは一例ですが、私の母は体裁を取り繕うことを大切にしている事がわかります

    今思い返すと、たぶん私は相手に怒ってほしかったんじゃないかと

    何ヘラヘラ笑って場を終わらせようとしてるんだと

    はっきり言うと、私の母は、自分のための人生ではなく人に見せるための人生を送っている。人に「あなたは偉い」「あなたはちゃんとしている」と思われることで自我を保つ

    さっきの件で言うと、笑顔で事を収める事が人としていい事だというか、そういう対応をする私素晴らしいみたいな感覚なのではないかと

    あ、ちょっと度が過ぎましたかね^^

    まあ、私の親世代(70代)は、今より多様性がなく同調圧力が強かった時代だとは認識しています

    一億総中流社会とか言われ、例えばキャリアについても「進学校→一流大学→有名企業→定年まで勤める」的なステレオタイプな生き方が良しとされていたと思います(今も、地方ではこの考え方が多分に生き残っていますが^^)

    なので、他と違う自分はダメみたいな感覚はわからなくもないんですが、俯瞰してみると、他者から見える自分を飾るより目の前の子を守ってやれよと思ったりしちゃいますね^^

    「愛されるためには、相手になにかを与えなければならないと考えてきた。お金か名誉を与えるか、あるいは労働奉仕か、服従することで相手の支配欲を満足させるか、迎合することで相手の無力感を解消させるか、なにかを与えないと自分は相手から愛されないと思い込んでいる」

    自己犠牲が強い人の特徴として、幼少期の家庭環境が指摘されていました。「期待に応えないと愛されていないと思ってしまう」家庭環境だと、そうなる恐れがあるというのです

    例えば、褒められる時が「テストでいい点を取った時」とか「親のいう事を聞いた時」などだと、頑張らないと愛情を感じられない「条件付きの愛情」が刷り込まれてしまうのではないかと

    読んでいて、これはありそうだと思いましたね^^

    我が家は、95点取ると「あー、5点間違ったねー。しっかり見直ししないとねー」でした

    幼少期はそれについて特に何も思っていなかったのですが、「〇がついた95点の方を褒められてもよかったのではないか」と今は思ったりしますね

    さてさて、ここでまだ本の半分くらいなんですよね^^

    ここまでお読みいただいたそこのあなた!憂鬱な気分になっていませんか^^

    私は吐きそうになりながら読んでいたのですが、これを読む事で、今まで深層心理にあった鬱屈した感情みたいなものにスポットライトを当てる事ができたかなとも思います

    続きは来週金曜に更新します。ある程度書いたのですが、来週の投稿は、これからの事に焦点を当てた前向きな感じで締めくくれそうです^^

    過去イチ闇深い投稿だったかもしれませんが、わかる人にはわかってもらえるのではないかと淡い期待を抱いて終わりにします^^

    いつもありがとうございます

  • 読書記録「DIE WITH ZERO」

    読書記録「DIE WITH ZERO」

    著者:ビル・パーキンス

    出版社:ダイヤモンド社

    初版:2020年9月

    30回目の投稿になります

    今回は書籍「DIE WITH ZERO」です

    直訳すると、「ゼロで死ね」ということになります

    冒頭で「アリとキリギリス」の話が出てきます。著者は問うてきます。「あなたはアリですか?キリギリスですか?」と。そして「アリは、いつ遊ぶことができるのでしょう?」と

    いきなりハッとさせられます。私はこれまで、アリ的な生き方をしてきた自覚があります

    コツコツ節約し、なにかあった時の備えにしようとお金を貯金してきました。その感覚が、この本を読むと変わります

    私は、親や学校の教育により、勤勉に働き倹約に励むことが美徳であるという考えを意識しすぎてきたのかもしれません。言い方を変えれば刷り込まれてきたのかもしれません

    この本は、真面目に生きてきた人ほど刺さる気がします^^

    著者は「キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきだ」と言います

    ただ生きるのではなく、十分に生きる。経済的に豊かになるだけではなく、人生を豊かにする方法を考える

    そういう本です。内容とそれに対する気付きを紹介してみます

    「大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うことだ」

    この言葉は、私の価値観に大きな影響を与えたと思います。私は今40代なので、大学卒業後20年ほど働いてきました。あまり浪費もせず貯金してきた訳です

    しかし、考えてみると「なんのための貯金?」という意図がありませんでした。漠然とした「将来のため」「なにかあった時のため」というものは、今思うとただの思考停止だったように思います

    もう少し深掘りすると、何に金を使うことが価値あることなのか、つまり自分の軸がない状態だったと思います

    特に「お金の使い方」については、金額、その対象、目的などすごく試行錯誤して、今実践している感覚がありますね

    この20年を取り返すかのように、今はアクティブに動き回っています^^

    人見知りの性格はそんなに改善されていないので、最初の壁を突破するのが大変だったりするわけですが^^

    「節約ばかりしていると、そのときにしかできない経験をするチャンスを失う」

    今、よく思うのは「人生で最も大切なものは時間である」ということです

    仮に1000万円残して死んだ場合、私は、1000万円分余計に働いて死んだことになるのではないか

    そんな事を、この本を読んでいて思った訳です

    私は数年前にかなりブラックな職場から転職した訳ですが、もし前職を60歳、65歳まで勤めた場合、その年齢まで仕事に捧げるような人生になっていた訳です

    いくら退職金が何千万円みたいな世界であっても老化した自分にそんな金必要か?と思ったり…

    70歳になった時にマラソン走れるか、車で日本1周できるか、ステーキ食べて美味しいと思えるか(なんか例がだんだん稚拙に^^)

    「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」

    これは、余命わずかで緩和ケア病棟に来た患者が残す後悔の言葉第1位だそうです(ちなみに2位は「こんなに働きすぎなければよかった」だそうです)

    これは非常に示唆深いと思います

    親だって友人だって突き詰めれば他人であり、自分の人生は自分で責任を取り、楽しむしかない

    誰かに用意された人生を生きる事は、結局、自分で自分を大切にしていない事になるのではと最近はよく思います

    ただ、これは、40代の自分だから刺さった内容かもしれません。年代によって、未婚か既婚か、資産の保有状況、生活レベルなどによって読み方が変わってくるような気がします。学生の頃なら「そんなこと言ったって、経験に使う金がない」と多少無理しても働いたかもしれないし

    少なくとも私には良い方の影響を与えてくれました

    あとがきで、

    「だから、挑戦しよう。人生を最大限に充実させ、たった一度の人生を価値あるものにしよう」とあります

    私はこの本を読んで、明らかに行動が変わり、チャレンジングになりました

    また、チャレンジした結果、自分にとって良い変化をもたらした事が多かった事を実感しています

    チャレンジしなければできなかった体験、出会えなかった人、たくさんあります。このブログだってチャレンジの1つで、予想以上にたくさんの方に読んでいただいている訳ですし^^

    30代くらいまで、ずっと自分の事が好きになれませんでしたが、今の自分は好きですね^^

    スミマセン…。気付けば1800字も^^

    いつも、ありがとうございます

  • 読書記録「LIAR GAME」

    読書記録「LIAR  GAME」

    著者:甲斐谷忍

    出版社:集英社コミックス

    初版:2005年年9月~

    26回目の投稿になります

    今回はマンガ「LIAR GAME」です

    天才的な頭脳を持つ秋山深一と、「バカ正直のナオ」と呼ばれるほど人を信じては裏切られを繰り返す神崎直が、騙し合いでマネーを奪い合うゲームに参加することになるというストーリーです

    人の心理、追いつめられた人が取る行動、裏の裏の裏を読もうとする策略など、読んでいてとても面白いです

    少数決ゲーム、入札ポーカー、密輸ゲームなど、作者のゲーム設定が面白く、どうやったらこんな設定が思いつくのだろうと感心させられます

    私が一番好きな場面は、4巻の冒頭の秋山と直の会話です

    直が「みんなのことを信じなければなりませんね」と言った事に対し、秋山が言うセリフがあります。それは

    「人は、疑うべきだよ」です

    人を疑うとは正確には「その人間を知ろうとする行為」であると彼は言います

    逆に、信じるという言葉は高尚に聞こえるが、それは「相手を知ることの放棄」であると

    信じるという何となく良さげな言葉の裏にあるのは「無関心」であると

    初見で読んだとき、ひとつひとつの言葉がグサグサと刺さったのを憶えています^^

    秋山は、信じるとは「究極の思考停止状態」なのではないかと直に問うわけですが、それはそのまま自分(読者)に問われているような感じがします

    当ブログをお読みいただいたいる皆さん、いかがですか?「疑う」って良くないイメージありませんか?

    私もLIAR GAMEのこの部分を読むまではそう思っていました

    でも、これを読んでから、自分の価値観として

    「好きの反対は、嫌い」ではなく

    「好きの反対は、無関心」

    であると思うようになりました

    また、私も含め、完璧な人などいないのだから「この人のいう事だから間違いない」とか「あの人のいう事だからダメに決まっている」などと決めつけるのではなく、その人の1個1個の事を分けて考えることが「いい意味で疑う」事になるのではないかと思ったりしました

    特に、これまでの経験上、いったん好意を覚えた人に対しては、どんなことでも良い方に考えがちになる事もありました

    盲信しすぎずフラットに見るということが、考えようによっては相手を尊重する事になるのかもしれません。この辺は、まだ正直よくわかりません^^人間関係、むずいね^^

    このマンガは、秋山と直が様々なゲームに巻き込まれながら、何度も何度も思考のどんでん返しがある難解かつ爽快なストーリーです

    秋山が切れる頭脳で勝ち上がっていくんですが、その要所要所で直の素直さや実直さを必要とする場面もあり

    お互いの足りないところを、お互いが補い合っている感じがあって、そういうところも作品の魅力かなと思います

    私は、人と親しくなる時は、親しくなっていく過程においては共通点を見出したくなります

    数学の集合でいうとA∩Bみたいな重なり合う部分について盛り上がっていくイメージです

    でも、ある程度仲良くなったなと思ったら、その人がもつ、自分とは違う感性や思考について興味をもっていくようになるし

    自分がそれまで見せていない部分も見せてもいいかなと思ったりします。A∪Bみたいなイメージです

    秋山と直は、性格も考え方も違いますが、違うからこそお互いを信頼し尊重している感じが、巻が進むごとに表現されている気がします

    最終巻の終わり方が唐突で、大人の事情で急に終わった感もありますが、私はとても好きな作品です

    登場人物が、競馬の騎手の名前をもじっていて、作者、たぶん競馬好きなんだろうなと思わされます^^

  • 読書記録 長田弘「読書から始まる」②

    読書記録「読書から始まる」②

    著者:長田弘

    出版社:ちくま文庫

    初版:2021年5月

    22回目の投稿になります

    今回は詩人長田弘さんのエッセイ集「読書から始まる」の続きです

    前回の投稿をお読みいただいた方は「あれ?来週って言ってたのに翌日書いてるやん」と思っているかもしれません^^

    なんか、読んだ後の高揚感があるうちに書きたくなってしまって、お前の気持ちなんて知らねえよということではあるんですが、連日の投稿になっております

    こういう事をウダウダ書いているから文字数がかさむんですね^^さっさと始めます

    長田さんは「言葉というのは、とどのつまりその人の生き方の流儀であり、マナーです」と書いています

    また、「言葉をゆたかにするというのは、自分の言葉をちゃんと持つことができるということ」とも書いています

    それができれば「自分という独自性を見つけられ、自分で自分を自分にしていくことができる」としています

    「自分で自分を自分にしていく」ですってよ^^この表現ヤバくないですか?^^

    でも、言葉はその人の生き方の流儀という部分は、自分の目指したい感覚でもありますね。それはただ単に難しい言葉を知っているということではなく、相手や場面に合わせた言葉を用い、でも自分の考えはしっかり伝わるような…そんな人になれたらいいですね

    もしかしたら、このブログもその鍛錬の場所になっているのかもしれません

    あとがきで、幕末の人、橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌が載っていました

    「たのしみは 人も訪(と)ひこず 事もなく 心を入れて 書(ふみ)を見る時」

    楽しみなのは、訪れる人もなく特にする事もない日に、集中して本を読む時だ

    といったところでしょうか。もう1つ紹介されていました

    「たのしみは そぞろ読みゆく 書の中に 我とひとしき 人を見し時」

    楽しみなのは、何となく読んだ本の中に、自分と同じ感覚の人を見つけた時だ

    どちらの歌もすごく共感できます。「あれ、この本、私のことが書いてある!」っていう本に出会ったときのあの感覚^^尾崎放哉とも友だちになれそうですが、橘曙覧さんとも友だちになれそうです^^

    さて、少し本の内容とは離れますが、この本との出会いもなかなか素晴らしいものだったので、書いてみます

    3月17日、用事があって札幌に出かけたついでに本屋さんに立ち寄りました。目的は「尾崎放哉全句集」の購入です

    以前紹介したのは図書館で借りた本であり、とても気に入ったので購入して私の本棚に仲間入りしてもらおうと思ったわけです

    検索機で場所をチェックし「ちくま文庫」の棚へ。そのときに尾崎放哉全句集の隣にあったのが、この「読書から始まる」でした

    つまり、尾崎放哉との出会いがなければ、私は少なくとも今の段階でこの本に出会うことはなかったわけです

    もう少し深掘りすると、尾崎放哉を知ったのは、ヨルシカの「嘘月」という歌のモチーフになっていたからです

    ヨルシカを好きになったのは、ヨルシカを熱く語る方に出会ったからです

    その方に出会ったのは、手術のために通院していたからです(あ、重い病気とかではないです^^)

    なんか、いくつもの繋がりがあってこの本にたどりついた感があって、色々な事に感謝したい気持ちになっています^^

    今日、図書館で長田さんの詩集を2冊ほど借りてきました。不勉強で長田さんの詩はまったく読んだことがありません

    読むのが楽しみです^^

  • 読書記録「読書から始まる」

    読書記録「読書から始まる」

    著者:長田弘

    出版社:ちくま文庫

    初版:2021年5月

    21回目の投稿になります

    今回は詩人長田弘さんのエッセイ集「読書から始まる」です

    エッセイ集とは書いていますが、長田さんの講演でのお話を文章化したものとのことです。読書のすばらしさ、言葉の大切さがひしひしと伝わるとても良い本でした

    私は本が好きだし、言葉も大切にしたいなと思っていますが、私なんかとは比べ物にならないくらい深いところまで考えられていて、とても勉強になりました

    私は、本に付箋を付けながら読むのですが、読み終わったとき、付箋だらけでちょっと本の上の方が分厚くなっていました^^

    そして、この本の素晴らしいところは、それを簡単な言葉でわかりやすく書かれていることです。では、内容に触れてみます

    「はじめに」のわずか4ページの中に

    ・本の魅力は、ここにある言葉を、ここにいない人に手渡すことができるということ

    ・その本をそれまで読んだことがない。にもかかわらず、その本を読んで、「私」という人間がすでにそこに読みぬかれていたというふうに感じる

    ・いい本は、その中に「いい時間」が流れている

    といった、本への愛情がこれでもかと次々と表現されています。本が付箋だらけになるのもおわかりいただけるのではないでしょうか^^

    特に私に刺さったのが5章「共通の大切な記憶」です

    まず、本というものを「自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディア」と定義しています

    12ページまで読んで、ちょっとどこかへいって戻ってきたら92ページまで進んでいたということはあり得ない。自分が1ページずつめくっていかないと進まない

    当たり前だけどなるほどそうだなと思わされます。そして長田さんは、「だから、きちんと本に向き合おうとすれば、どうしたって自分の時間の使い方という問題にかかわってくることになる」としています

    これは、自身の経験に照らしてみてもその通りだなと思いますね

    まず、忙しくて心身ともに余裕がないと、本を読むという事の優先度が下がるし、読んだとしても心に残りづらい感じがします。

    心に余裕(余白)がないから、いい本でも、内容が入ってくる余地が自分の心にない感じです。あまりうまく表現できないですが、ここを訪れる方ならこのニュアンスわかってくれるのではないかと思います^^

    また、長田さんは、本を「自分にとってのみ大切な記憶というだけでは、どうにもならない」としています。これも大変興味深い話でした

    つまり、自分と相手が同じ本を読み、それを共通の大切な記憶として保持していけることが、多様化、個別化した現代における本の価値であるということなのかもしれません

    しかも、大事なのは「一緒に、ではなく共通の」であるとしています

    私が読んだ本をあなたも読む、あなたが読んだ本を私も読む。読むタイミングが違っても、同じ場所にいなくても、そのような共通の大切な記憶の置きどころが本なのではないかと長田さんは言いたいのかなと読んでいて思いました

    「本は共通の大切な記憶の場所」

    すごく素敵な考え方だなと思いませんか^^ちょっと泣きそうになります^^

    こんな感じで、本や言葉の素晴らしさ、そしてそこから生まれる人としての在り方みたいなものを優しく語りかけてくれる本です

    この本の内容、そしてこの本とどのように出会ったかについてもう少し書きたいのですが、すでに1400字^^いつも1000字程度でと思いながら大幅にオーバーしています

    続きは次回にしたいと思います

  • 読書記録「尾崎放哉全句集」

    読書記録「尾崎放哉全句集」

    著者:尾崎放哉(村上護 編)

    出版社:ちくま文庫

    初版:2008年2月

    17回目の投稿になります。

    今回は小説ではなく俳句の全集になります。「尾崎放哉全句集」です

    ♯5でヨルシカの「嘘月」を紹介したときに少し触れましたが、嘘月が尾崎放哉の自由律俳句をモチーフに作られたと知ってから興味をもち、読んでみました

    ここに来られた方は十分ご承知とは思いますが、俳句は「五・七・五」を定型とし、季語を入れて季節感の中に自己の感情などを表現します

    しかし、自由律俳句は、語数、季語など全て無視しています^^自分の感情のままその1行に注ぎ込むみたいな感じでしょうか

    ただ、今ふと思ったんですけど、「自由律」の「自由」って、五七五の定型があるからこそ「自由」を名乗れますよね。そういう意味では五七五の綺麗な定型の俳句も自由律もどちらも楽しめる人でありたいなと思ったりしました

    さて、尾崎放哉ですが、この全句集の末尾にその生涯が載っていました。大変興味深い人生だったので、ざっくり書いてみます

    東京大学法学部卒のエリート。卒業後生命保険会社に就職も、矛盾だらけの社会に調子を合わせていくことが馬鹿らしくなり、辞職。妻とも離縁し、遁世(世間の煩わしさから離れること。出家の意に近い)

    それが38歳のときであって、死んだのが41歳。この3年間で句作りに没頭。正確に言えば、小豆島に移り住んでからの1年に満たない期間で自由律俳句を作り続けた

    私、尾崎放哉のように、晩年になってから急に光を放ち始める人物が好きなんですよね^^55歳から17年かけて精密な日本地図を作製した伊能忠敬や、ケンタッキーを65歳で創業し成功を収めたカーネルサンダースなどなど

    自分の人生も、まだまだこれからなんじゃないかみたいな気がしてくるんですよね^^勿論、圧倒的な努力が必要なんですがね

    さて、尾崎放哉の俳句を紹介してみますが、その前に前提をおさえておきます。それはなにかというと

    私が俳句の詠み方を全く知らない!

    ということです^^ド素人の解釈をこれからウダウダ書きますので、期待しないで読みすすめてください

    「咳をしても一人」

    「こんなよい月を一人で見て寝る」

    おそらく尾崎放哉の句で最も有名な2句ではないでしょうか。放哉の句を読んでいると、「一人」がよく出てきます。「一人」と表現する背景には、「二人」であることへの希求や、かつては「二人」であったことへの回顧などもあるのかなと個人的には思います。ちなみに全句集には「墓地から戻ってきても一人」という句もあって、ちょっと笑っちゃいました^^切ないっす^^

    「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」

    死の間際に作った句であるらしく、けむりを自らの死(火葬)に置き換えたものであるという解釈があるようです。もしそうであるなら「出だした」っていうのが死を悟った感じを表しているのかな

    「いつ迄も忘れられた儘(まま)で黒い蝙蝠(こうもり)傘」

    「いつ迄も」が、放哉がこの蝙蝠傘に注目し向かい合っていた時間的な経過を連想させます。また、「忘れられた儘の」だと、かかる対象が蝙蝠傘だけになるけど、「忘れられた儘で」になると、忘れられた儘なのが、蝙蝠傘だけにとどまらず自分にもかかってくるんじゃないかなみたいに読むこともできそうです。なんか涙出そうになります^^

    ここからは、ド素人の寸評を(俳句に詳しい方スミマセン^^)

    「なんにもない机の引き出しをあけて見る」

    →ないの知ってて開ける切なさ^^

    「夕の鐘つききったぞみの虫」

    →報告相手みのむししかいなかったのかな?^^

    「一本のからかさを貸してしまった」

    →無理して貸さなくてもよかったのでは^^

    「墓のうらに廻る」

    →自分的に最も衝撃的な一句。なにか見つかりましたか?^^

    「法師の太い声と夕日まんまろ」

    →まんまろカワイイ!

    「雀のあたたかさを握るはなしてやる」

    →孤独、優しさ、切なさ色々こみあげてきて涙出そうになる^^この感情は言語化できません^^

    「冷え切った茶をのんで別れよう」

    →放哉にしては珍しく「他者」を感じる句。長い時間おしゃべりできて嬉しいという気持ちが窺えます

    私、尾崎放哉と時代を同じくしていたら、たぶん友だちになれたと思うんですよね^^孤独を愛するけど分かり合える誰かは探しているような感覚とか、なんかわかる気がするんですよね

    尾崎放哉は、作品がこうやって現代にも影響を与え続けていること、どう思うんだろう?^^

  • 読書記録「チ。~地球の運動について~」

    読書記録「チ。~地球の運動について~」

    著者:魚豊

    出版社:小学館コミックス

    初版:2020年10月(全8巻)

    12回目の投稿になります

    今回は本の紹介のターンですが、マンガになります。「チ。~地球の運動について~」です

    地動説を題材に、命がけで真理を求める人物たちの姿がとても魅力的に描かれています。地動説と天動説は、おそらく世界史的にも最も常識が180度変わった事象であると思います

    ラファウ、オクジー、バデーニ、ヨレンタなどなど、地動説に挑む人物がみんな熱量マックスで、読んでいて心が震えます^^

    私はこれを読んで、社会規範や「こうあるべきだ」みたいな同調圧力、多数決なんて気にせず「異端」として行動してみようと思いましたね^^また、学ぶことの大切さも感じたし、信念に基づいて行動できる人がかっこいいなって思いました

    私が、この作品で大好きなシーンがあります。それは第3巻の終盤に出てくる「文字は奇跡」という部分です

    文字を読んでみたいというオグジー君に対してヨレンタさんが言うセリフがすごくいいんです

    そのまま載せるのはなんかあまりよろしくなさそうなので^^要約した形で紹介してみます

    「文字は、時間と場所を超越する

    200年前の情報に涙が流れることもあれば、1000年前の噂話に笑うこともある

    かつていた偉人たちが、私に向かって口を開いてくれる。その一瞬、この世界から抜け出せる

    文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある」

    この辺りを最初に読んだとき、読みながらドキドキしたのを憶えています。自分はなぜ読書が好きなのかを明瞭に言語化してくれた気がしたからです

    確かに、万葉集は男性の書く和歌の方が女性のことをひきづる歌が多いなとか^^

    太宰の自己のだらしなさを憂う短編に笑ったりとか^^

    尾崎放哉の自由律俳句を読んで「あなたの気持ち、わかるよ!って伝えたい」って思ったりとか^^

    確かに「文字は奇跡」だなって思えました

    例えばLINEのやり取りだって、このブログだって、誰かの言葉が誰かに影響を与える訳で、そう考えると、文字は大切に扱いたいなと思ったりしますね

    この作品は、地動説がストーリーの本流ではあるのですが、その中で読み手の自己の生き方を問われているような感じもします

    「不正解は無意味を意味しない」

    1巻に出てくるフベルトさん(あ、スミマセン。登場人物に「くん」とか「さん」とか付けるのは、作品内での呼ばれ方がうつっただけです^^)の言葉です

    とてもかっこいいです

    私はこの言葉に出会って、なんでも挑戦してみようと思ったし、不正解すらもいい経験になると思いました

    なんか熱くなってしまいましたが^^自分に影響を与えてくれた作品です。全8巻と、内容は重厚ですが長すぎないのもいいです。拷問のシーンは若干グロいところもありますが、何回読んでも、読むたびに新たな感動、新たな気づきを与えてくれるマンガです

    NHKで放送されていたアニメの方も欠かさず観ていて、好きすぎて、録画したものをDVDに保存して繰り返し鑑賞しています^^

    主題歌がサカナクションの「怪獣」ヨルシカの「アポリア」「へび」です。どちらもとっても好きなアーティストで、「怪獣」のオープニングの高揚感、「アポリア」「へび」のエンディングの余韻感(こんな言葉はない?^^)がとても良いんですよね

    あ、まだまだ書きたいことあるんですが、現段階で1383字も^^書きすぎてしまうから、だいたい1000字でやめようと思っているのに^^

    ということで、この辺で

    これを前編にして、次回後編にしてみようかな

    勇気をもって行動してみようと思わせてくれる素晴らしい作品です

  • 「檸檬」(梶井基次郎)を読んで

    読書記録「檸檬」

    著者:梶井基次郎

    出版社:角川文庫

    初版:1925年1月

    ページ数:288ページ

     9回目の投稿になります。投稿時間を事前設定できるので、書き溜めることもできるので、自分のペースで書けて良いです

    今回は本の紹介になります。梶井基次郎の「檸檬」です。

    私は2013年に角川文庫より出された文庫本を持っています。この文庫は、レモンを彷彿とさせる鮮やかな黄色の装丁になっており、そこも好きなところです。

    「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)え続けていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか…」

    えたいの知れない不吉な塊。私の心にもある気がします^^でも、ここ数年はなくなったかな。いや、でも正確に書くとすれば、なくなったのではなく、今はメンタルがとても安定しているので心の中ですごく小さくなっているとでも言った方がいいかもしれません。

    20代くらいの頃は、漠然とした将来への不安や、色々考えすぎて疲弊する感覚だったりとか、「不吉な塊」大きかったなぁという印象です。まあ、これからも、何がきっかけで大きくなり始めるかなんてわかりませんが^^

    作品の中では、この「不吉な塊」が、果物屋で買った檸檬を握ることで変化していきます。詳細は読んでもらうとして、こういう事を書くと非常に気味悪がられそうですが、書いてみます。

    私は、檸檬を読んだ後、不意に試したくなって実際にレモンを買って握ってみたことがあるんです^^

    これが、とても素晴らしい経験でした。心地よい冷たさ、皮の上にわずかに感じる湿り気、掌に程よくずしりとくる重み、鼻を抜けるさわやかな香り。

    特に重みについては、握った手の先から「不吉な塊」が蒸気になって蒸発していくような心地よい錯覚を覚えました。

    今でも、その時の不思議な感情を憶えています^^

    あと、この作品の素晴らしいなと思うところは、読んでいて情景がとてもよく浮かぶというところです。

    果物屋の描写ですごく好きな箇所があります。

    それが「店頭に点(つ)けられた幾つもの電燈が驟雨(しゅうう)のように浴びせかける絢爛(けんらん)は、周囲の何物にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ」という箇所です^^

    どんな店を想像するかは人それぞれですが、なんとも美しい文章だなと思います。この作品には(というか梶井基次郎の作品は)、情景描写がとても美しいものが多いように思います。

    ちなみに驟雨とは、急に降り出す雨、にわか雨のことだそうです。この時期の作品は、読みながら辞書が必要ですね^^

    1925年(大正14年)の作品ということですが、梶井基次郎の作品は他の作品も含め、現代の口語に近く読みやすいです。文体も、肺尖カタルや神経衰弱の人が書いたとは思えない、なんとも言えない爽やかさがあって、自分はスラスラ読めます。

    「桜の樹の下には」「ある心の風景」などもすごく好きな作品です。短編が多く、どの作品もすぐ読めるので、サクッと読みたい方にもオススメな作家だと思います。

  • 読書記録「静かな人の戦略書」を読んで

    読書記録「静かな人の戦略書」

    著者:ジル・チャン(神崎朗子訳)

    出版社:ダイヤモンド社

    初版:2022年6月

    ページ数:343ページ

     6回目の投稿になります。ルーティーン化した方が自身の習慣に染みこんでいくかなと思ったので、

    月曜21時…内省にかかわる投稿

    水曜21時…好きな音楽にかかわる投稿

    金曜21時…好きな本(読書記録)にかかわる投稿

    みたいな感じで考えています。このペースだと、週に3本投稿で、これからの10か月で年末までに120本程度の投稿になりそうです。自分的にほどよい負荷がかかって良いのではないかと考えています。

    5本ほど書いてみて、私はやっぱり「書く」ということが向いているということがわかりました^^しかも、匿名性があるネット内なので、ある程度本音で書けますし、今のところほとんど誰にも見られていないのもいいです^^なんの収益にもなっていませんが、純粋にアウトプットすることが楽しいです。

    こんな感じで肩肘張らず続けていければと思っています。

    長くなりましたが、今回は本の紹介です。「静かな人の戦略書」という本です。読後の感想は「あ、これ、私のことが書いてある」でした^^

    この本は、いわゆる「内向型」の人の特徴を、著者自身の経験などを介してまとめ、内向型の性格を生まれ持った強みとして生きていくすべを紹介しています。

    私は、内向型の人間だと強く自認しているので、仲間がいたような感覚になりました。

    本書で取り上げられている内向型の特徴をいくつか挙げてみると

    ・たくさんの人と話すより、一対一でじっくり話すことが好きだ

    ・疲れたときは、とにかく家に帰って休みたい

    ・軽い雑談がストレスになる

    ・できるだけ人混みは避けたい

    ・物事について熟考し、細部まで分析することが好きだ

    ・話すよりも書く方が、自分の言いたいことを明確に表現できる

    ・話すときは、慎重に言葉を選ぶ

    ・自分が話しているときは視線をそらす(最も適切な内容、表現方法を探しながら話すため)

    いやいや、もうこれそのまま私じゃないの^^と、読みながらにやけてしまいました。上記の項目が、そのまま私の取説になります^^

    前回の投稿(ヨルシカの「噓月」)で、話した内容はよく憶えているのに、相手の顔が思い出せなくなることがあると書きましたが、その答えがここにあったかもしれません。

    確かに私も、自分が話しているときは視線をそらしていることが多いなあと思ったりしました。

    特に印象的だったのが、「元気を取り戻す方法」という箇所の次の記述です。

    「内向型の人間がエネルギーをチャージするには、ひとりになる時間が必要だ」

    その通りなんですよね。人によっては「仕事疲れたから、パーっと飲みに行くか!」みたいな疲れの取り方もあるみたいですが、それは「外向型」であって、私のような内向型の人間は、その飲み会でさらに疲れが増すことになります^^

    行くなら、一人で落ち着いたカフェに行きたいんです^^

    それは、どんなに親しい人とでもそうなります。同居する家族がいても、付き合っている彼女がいても、私は1日の中で一人の時間が確保できないと、しんどくなっていきます。

    この感覚がわかる人と生活したいですね^^

    本書の中で、新しい見方を得られたなと思ったハイライトは、「内向型の人間は、友人が少ない」の部分です。

    内向型の人は、相手を深く理解しようという人が多い。そのため、友人の定義を「互いに気心が知れた間柄で、信頼できる人。一緒にいて居心地の悪さや不安を感じることがない人。どちらかが困ったときは、すぐにかけつけ、全力で助けようと思える人」ときわめてハードル高く設定する。そのため、自分は友人が少ないという認識になるというのです。

    これは、その通りかもしれないなと思いましたね。もしかすると、人によっては、なんとなくLINE交換した人とかも「友人」カウントする場合もあるのかもな~、私はその感覚ないな~みたいに思って、友人が少ないということも、ポジティブに捉えられるようになりました。

    自分の事を、内向型、恥ずかしがり屋、自己肯定感低めなどと思ってしまう人にオススメの本です。

    本の帯に書かれていた一文がすごく良かったので、それを紹介して終わりにします。

    「この本は、静かで、思慮深く、優しく、時に過小評価されている人の強い味方となる本である」