91回目の投稿になります
さて、今回は「殺してやるよって言ってみて気付いた事」です。かなり不穏なタイトルですね^^
以前、ヨルシカの「ポスト春」という曲を好きな歌紹介として書きました
その中に「殺してやるよ」っていう歌詞があります
ボーカルsuisさんが、優しくかわいい声で「はあ、殺してやるよ♪」って歌うんです^^
それをドライブ中に車内で口ずさんでいたときに「あれっ?」と気付いた事があったんです
「私、今までの人生、『殺してやる』って声に出して言ったことないかも^^」という事に
まあ、物騒な言葉なので当たり前といえば当たり前なんですが^^
ここで私が提唱してみたいのは、次の事です
それは
「普段言い慣れてない言葉は、いざ必要な時に出てこないのではないか」
という事です
例を挙げます
私、ありがとうって言い慣れています。なにかしてもらったら無意識に「ありがとうございます」って言えます
別に善人ぶる訳でもありませんが、そこは素直に自分のいいところかなあと思っています
でも、「イヤです」とか「やめてください」とか「それはできません」っていう言葉は言い慣れてません
だから、気持ち的には断りたい場面でもうまく言葉にできなくて「わかりました」ってなってしまう事があります
「殺してやるよ」と言う必要はないかもしれませんが^^私にとっては、断る事や反論する事、イヤだと主張する事などは、ちゃんと事前に練習して回数を重ねておかないと、ここぞという場面で言えない気がするんです
「ごめん、私はそこまではできないかな」
「同じ部分もあるけど、私の考えとはだいぶ違うかな」
「そういう言葉はちょっとイヤだな」
これでもだいぶマイルドな気はしますが^^こういう事を実際に言っておくのって、自分にはすごく大切な事だと思いました^^
今までの経験上、自分が他者との関係で苦しさを覚える時って、たいてい断れなくて相手ペースで物事が進んでいった時が多かったと思います
そこに、自己犠牲的な観点も加わると、「自分が我慢さえすれば波風は立たない」となって、余計に力関係に差のある付き合いになってしまう
だから、自他の境界線を明確にして、「ここまではできるけど、ここからは私はできない」という事をちゃんと主張する事が大切なのだと思いました
そのためには、「イヤだ」「できない」という事を口に出す練習をする
これってすごく大切な事なのではないかと、「ポスト春」の「殺してやるよ♪」のくだりを聴きながら思ったわけです^^
さらに少し深く掘るなら、断っても付き合いが変化しない人こそが、本当に大事な人というか関係性なのではないかと思ったりもします
なぜなら「それはイヤ」と言った相手(私)の心情も理解して尊重しようとしてくれる人だと思うからです
「殺してやるよ」っていうワード1つから、こんな感じで思想を広げてしまいます^^
特に一人でドライブしてる時なんかは考え放題です^^
運転席横には付箋とペンが置いてあって、赤信号の時に要点だけ書き殴ってます^^
北海道も蒸し暑い日々になってきました。読者様も元気に日々を過ごされますよう
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