カテゴリー: 内省

  • ♯98 習慣化に必要なのは、意欲より仕組み化では?

    98回目の投稿になります

    さて、今回は「仕組み化」について考えてみたいと思います

    すごくマニアックというか、感覚的な話になりますので、読み進める際はご注意ください^^

    まあ、こちらにいつも来ていただいている読者様はもう慣れていると思いますが^^

    私は、周囲の人から、「毎日よく頑張るね」的な事を言われる事があります

    マラソン練習、資格や検定の勉強、筋トレなどなど

    周囲の人は私を「意欲がある人」「意識が高い人」「継続力のある人」と思っているかもしれません

    でも、違います^^私は、めんどくさがりな面もあるし、ラクしたいし、怠惰だし、気を抜くと部屋とかすぐ荒れ始めるし^^

    という事で、私はいつからか、自分の意志や意欲を過信せず「仕組み化」「自動化」する事で継続する術を身に付けていきました

    私が実践している事例をいくつか書いてみます

    私が、いかに意欲というものを信頼していないか、ラクしたいかがわかると思います^^

    ・毎月貯金する

    これはもう「先取り貯金」に尽きます

    「1か月節約頑張ろう!そして、残ったお金を貯金しよう」だと、意志、意欲の問題になってきます

    1か月間、事あるごとに「節約節約」とか「これは買うべきか買わざるべきか」みたいな判断をするのって疲れます

    なので、給料日に「5万円先に貯金。あとの20万は次の給料日までに好きに使ってOK」とする

    そのために、給与は第1口座と第2口座に分け、第2口座に5万円自動入金されるようにしています

    さらにその5万を、NISA枠を埋めるために、毎月1日にインデックスファンドを自動購入するように設定しています

    あ、ちなみに、第1口座の20万もだいたい使い切らないので残額は貯蓄になるんですけどね^^

    これが、私のイメージする「仕組み化」の最もイージーなものです

    ・毎日勉強する

    私がここ数年、資産形成やFP、漢検などの勉強が習慣づいたやり方はこれです

    「出勤前、玄関に、その日やるページのテキストとノートを開いて置いておく」です^^

    玄関ってのが、ちょっと狂気じみていますね^^

    でも、これだと、帰ってきた時に絶対目に入ります。そして、これは人それぞれかもしれませんが、私は、未完了のタスクがあるとやってしまいたくなります

    心理学だと「ツァイガルニク効果」とかって言いますね^^

    帰宅後、着替える前にそのまま30分~60分お勉強です

    部屋着に着替えると、やる気がなくなりそうで怖いので、仕事の制服のままお勉強です^^

    もう1つ勉強で「仕組み化」している事があって、それは、「わざとキリの悪いところで終わらせとく」です

    漢字検定の問題が見開き40問あったら、35問とかでやめて〇つけまでして終わります

    そして翌日、キリの悪い36問目から始めます

    これはすごく感覚的な話なんですが、そのページの1問目から始めるのと、途中の36問目から40問目までやって、その勢いのまま次のページに突入するのでは、後者の方が心理的負担が少ない気がするんです

    ・朝ラン

    寝る前にトイレの前にランニングの服と道具を置いときます

    翌朝起きたら、トイレ行った時にそれが目に入る

    ランニングの服に着替えると「まあ、服着たし、走りますか」みたいになります^^

    これが、朝起きて、衣装ケースからTシャツ出して靴下出して、キャップと補給ゼリー用意して、サングラスはどこだっけ?…とかやってると、たぶんその作業の途中でめんどくさくなります^^

    そして、走り出す訳ですが、最初の5分くらいは動き出すことに慣れていないので体はしんどいです

    でも、5分くらいたつと、慣れてきて楽になってきます

    車と同じで、発進する時が最もガソリンを使い、60キロとか定速で巡行し出すとガソリン消費は少なくなるみたいなイメージです

    勉強も同じで、始めてしまえば軌道に乗って、30分の予定だったけどもうちょいやろうみたいな感じかな

    適当に挙げてみましたが、こんな感じでできるだけ仕組み化して生きています^^

    自分の脳をハックするような感覚です

    自分の脳をハックする(騙す)事については今いろいろ考えていて…

    あ、また長くなってしまっているので、この話題はまたいつか^^

  • ♯95 全身麻酔をしてみて思った事

    95回目の投稿になります

    私、昨年交通事故(一応書いておくと、こちらの過失0の完全なもらい事故です^^)で右の顔面を強打し、頬とあごの骨を骨折、歯も右側をほとんど失う事となりました

    そして、歯については、インプラントを入れる事にしました

    あ、のっけから重い話でスミマセン^^

    無事、今日、インプラントの治療が終了し、制限なく飲み食いできるようになりました^^

    あ、別に不幸自慢をしたい訳でも、共感を求めたい訳でもありません

    書いてみたいのは、インプラントの手術をする時に行われた「全身麻酔」についての考察です

    今、思い返すと、けっこう新鮮な体験だったなと思ったので、記録がてら書いてみます

    インプラント治療は、インプラントに変える部分の歯を全て取り除きます。私で言えば、右半分をほぼ抜いて、そこに上下各2本のインプラント体を骨に埋め込む

    その時の手術で行われるのが全身麻酔です

    手術台に横になり、麻酔担当の医師から説明を受けます

    そして、麻酔が点滴を通して体内に入ってきます

    そこから、手術終了まで約2時間の記憶がまったくありません^^

    「あー、意識がぼんやりしてきたな」とか「視界がモザイクになっていく」みたいな感覚は皆無^^

    グラデーションで意識が薄れていくのではなく、パッと遮断された感覚です

    意識を取り戻したときは、看護師さんに名前を呼ばれ、目が覚めた感じでした

    そして、その時には、手術箇所の歯はきれいに抜かれ、インプラント体も埋め込まれていました

    10分ほどで意識もはっきりし、看護師さんと会話のやり取り、脈拍、瞳孔の動きなどを確認され、問題なしという事で手術は無事終了となりました

    ここまでが事実と状況の説明になります

    ここからが内省になります^^

    まず考えたのは、「その2時間は、私は生きているといえるのか?」という事です^^

    体は生きているのはわかります。呼吸もしているし心臓も動いてますから

    でも、意識はない。という事は、その2時間は存在していない事になるのではないか?

    周りから見たら明らかに生きているのはわかります。しかし、私の意識の問題としては、その2時間この世界に存在していたと言えるのかということです

    付いて来れていない方は、ここで離脱していただいてもかまいません^^スミマセン

    続けます

    先述したように、麻酔の時は、グラデーションではなく意識は急に途切れました

    その時の状況について思いを巡らせると、自分が死ぬとき、これでいいんじゃないかと思ったんです^^

    ここで言う「死ぬ」は、交通事故や自殺ではなく、年老いたり病気になったりして死ぬ事と定義します

    一般的には「病気になる→余命宣告→治療→衰え→死ぬ」みたいな流れだと思いますが

    余命宣告を受けて、身辺整理や死後の手続きなどを終えて、「もうやり切った」「あとは死を待つだけ」となった場合

    今回の全身麻酔のような形で死を迎えるのってアリだなと思いました

    私、今は、自分の人生を自分でコントロールしている実感がありまして

    それは、キャリアやお金、時間、世間体や社会常識などに対する自分なりの解(マインド)が再構築されたからですが

    他人の言動はコントロールできないからあれこれ考えすぎないとして、自分の事は全てコントロール下において、自分で意思決定したいと思うようになりました

    そうすると、今回の全身麻酔のような形で人生を終えるのって、コントロールできてるなって思うんです

    病気の最後の方って、体も満足に動かないんだろうし、痛いんだろうし、QOLはめちゃくちゃ低いんだろうなって思います^^

    だったら、ある程度の段階で「あ、僕、ここまででいいんで、点滴投入しちゃってください。今までありがとうございました」

    みたいな終え方、いいんじゃないかと思ったりしました

    日本では安楽死については認められていないし、生命尊重や自己決定権など専門家でも見解が分かれるような難しく多様な議論があるので、そこには言及しません

    もしかしたら、私が書いた方法での死に方も、広義では「自殺」に含まれるのかもしれません

    それに、いざ70歳とかになって死が現実的になってきたら「わしゃ、1分1秒でも長く生きたいんじゃ」とか言い出すかもしれないし^^

    こんなことを、札幌の歯医者から帰る道中、運転しながら考えたりしていました

    あ、「殺す」とか「死ぬ」とかって、SNS上でははじかれやすいから、あまり使わない方がいいって言われたばっかりだった^^

    まあ、いっか^^書きたい事を書こう^^

  • ♯94 死にたくなるのは暇だからじゃね?説について^^

    94回目の投稿になります

    さて、今回は「死にたくなるのは暇だから?^^」です

    いつにも増して、穏やかではないタイトルですが、この仮説をできるだけ軽やかに考察してみたいと思います

    現在、私はとても充実した日々を送っていると、自分で自信をもって言えます

    本を読み、勉強し、マラソンの練習をし、レシピサイトを見ながら自炊、たまにギターの練習などなど

    でも、かつての自分(5年くらい前まで?)は「死にたい」って定期的に思う派でした^^

    あ、ちなみに今はそんなに思いません(少しは思うの?^^)

    昔の私と今の私では何が違うのか?考えてみるに、それは

    「やりたい事が明確でそれに集中しているから。そして、それを今後もやり続けていきたいという未来志向があるから」

    といった所でしょうか

    少しカッコつけましたかね^^

    1つ例示してみます

    私は今、マラソン練習を頑張っています。先日も30キロのレースに出ました

    30キロは私のペースでは3時間程度かかります。27キロくらいでは息もあがって脚もかなり疲労を感じました

    でも、ゴールを目指して1歩1歩走っていました

    その時に、息をハアハアさせながらふと思ったんです

    「さすがに今、死にたいって思ってないな」ってことに^^

    死にたいって思う時って、他者からすごくイヤな事をされたとか、自分の許せない面が顕在化してきたとか、SNSで他者と相対的に比較をしてしまう事で落ち込んだりするときだなって思ってたんですけど

    その1つ前の段階として「暇だから」ってのがあるんじゃないか

    もしそうであるなら、時間も忘れるほど何かに熱中できるものがあればいいのではないか

    そして、それは、他者との比較で価値を感じる事ではなく、自分の成長にフォーカスできる事だとなおいいのではないかと思ったりしました

    さっき「未来志向」と書いたのは、例えばマラソンだと「来年のこの大会では○○分で走りたい」とか「いつかフルマラソンで4時間切りしたい」みたいな、他者を介在しない目標があるといいのではと思ったからです

    「1位になりたい」とか「半分より上に行きたい」とかだと他者が介在して相対的になっちゃうので、そうじゃないイメージです

    目標を自分のビフォーアフター的に設定する事で、将来の自分を見るのが楽しみになってきて、「生きてた方がおもろそうやな」って思えるんです^^

    少し脱線します

    私、大事な人と会ったり、旅行へ行ったりする時って、その時ももちろん楽しいけど

    その日までに色々計画を練ったり、準備したり、当日を妄想したりする事の方が楽しかったりします^^

    この感覚、当ブログへお越しの方、おわかりいただけませんかね^^

    例えば1か月後に人と会うなら、何話そうかなとか、お土産買おうかなとか、車キレイにしとこうかなみたいな事がマイルストーンみたいになって充実しだすので、あんまり死にたくなくなります^^

    あ、マイルストーンはちょっとカッコつけました^^ワードとして使ってみたかっただけです^^

    話を戻します

    一方、たぶん、あまりよろしくないパターンとしては、「暇だ→SNSをなんとなく見る→華やかな他者(面識あるない問わず)の生活が目に入る→自分と比較してしまう→へこむ」スパイラルに陥る事なのかな

    現代は、YouTubeもXも再生数、インプレッション数で収益が出るので、アップする内容もより過激に、より極端になってきている感じがします

    しかも、一度タップすると、それがアルゴリズム化されて関連動画がどんどん出てくるので、気を付けないと見える世界がどんどん狭くなって先鋭化されやすい

    すごく華やかな生活を送っていそうな人、キラキラした場所で着飾っている人も、発信していない時は地味な生活かもしれません

    死にたいって事は、自分の事を「価値ある存在」と思えていないから?

    価値がないと思うのは、価値ある生活を送っていないから?

    じゃあ、価値ある生活って何?お金?家?権力?

    みたいに考えていくと、「自分で価値設定をする」って事が大事な気がしてきます

    例えば私の月収は、手取りで25万程度です(もう少し欲しい^^)

    支出が月20万円なら幸せかもしれないし、月50万円なら不幸せかもしれない

    「私は、何をしている時が自分らしいと思えるのか」

    「私は誰といる時、無理がなく、自分が好きな自分でいられているのか」

    死にたくなった時には、自分なりの「生活」「好き」「楽しい」のベースラインを内省してみて、他者の目をいったん外してみるのがいいのかもしれません

    なんかうまくまとまっていない気がします

    スミマセン^^

  • ♯91 「殺してやるよ」って言ってみて気付いた事^^

    91回目の投稿になります

    さて、今回は「殺してやるよって言ってみて気付いた事」です。かなり不穏なタイトルですね^^

    以前、ヨルシカの「ポスト春」という曲を好きな歌紹介として書きました

    その中に「殺してやるよ」っていう歌詞があります

    ボーカルsuisさんが、優しくかわいい声で「はあ、殺してやるよ♪」って歌うんです^^

    それをドライブ中に車内で口ずさんでいたときに「あれっ?」と気付いた事があったんです

    「私、今までの人生、『殺してやる』って声に出して言ったことないかも^^」という事に

    まあ、物騒な言葉なので当たり前といえば当たり前なんですが^^

    ここで私が提唱してみたいのは、次の事です

    それは

    「普段言い慣れてない言葉は、いざ必要な時に出てこないのではないか」

    という事です

    例を挙げます

    私、ありがとうって言い慣れています。なにかしてもらったら無意識に「ありがとうございます」って言えます

    別に善人ぶる訳でもありませんが、そこは素直に自分のいいところかなあと思っています

    でも、「イヤです」とか「やめてください」とか「それはできません」っていう言葉は言い慣れてません

    だから、気持ち的には断りたい場面でもうまく言葉にできなくて「わかりました」ってなってしまう事があります

    「殺してやるよ」と言う必要はないかもしれませんが^^私にとっては、断る事や反論する事、イヤだと主張する事などは、ちゃんと事前に練習して回数を重ねておかないと、ここぞという場面で言えない気がするんです

    「ごめん、私はそこまではできないかな」

    「同じ部分もあるけど、私の考えとはだいぶ違うかな」

    「そういう言葉はちょっとイヤだな」

    これでもだいぶマイルドな気はしますが^^こういう事を実際に言っておくのって、自分にはすごく大切な事だと思いました^^

    今までの経験上、自分が他者との関係で苦しさを覚える時って、たいてい断れなくて相手ペースで物事が進んでいった時が多かったと思います

    そこに、自己犠牲的な観点も加わると、「自分が我慢さえすれば波風は立たない」となって、余計に力関係に差のある付き合いになってしまう

    だから、自他の境界線を明確にして、「ここまではできるけど、ここからは私はできない」という事をちゃんと主張する事が大切なのだと思いました

    そのためには、「イヤだ」「できない」という事を口に出す練習をする

    これってすごく大切な事なのではないかと、「ポスト春」の「殺してやるよ♪」のくだりを聴きながら思ったわけです^^

    さらに少し深く掘るなら、断っても付き合いが変化しない人こそが、本当に大事な人というか関係性なのではないかと思ったりもします

    なぜなら「それはイヤ」と言った相手(私)の心情も理解して尊重しようとしてくれる人だと思うからです

    「殺してやるよ」っていうワード1つから、こんな感じで思想を広げてしまいます^^

    特に一人でドライブしてる時なんかは考え放題です^^

    運転席横には付箋とペンが置いてあって、赤信号の時に要点だけ書き殴ってます^^

    北海道も蒸し暑い日々になってきました。読者様も元気に日々を過ごされますよう

  • ♯90 人生で最も大切なものは「時間」だ

    90回目の投稿になります

    さて、今回は「人生で最も大切なもの」について考えてみました

    私は、今、人生で最も大切なものは「時間」だと思っています

    「今」と書いたのは、以前は違う認識の時もあったなあと思い返したからです

    大学生の時なんかは「お金」だったかもしれないし、20代の頃は「仕事や社会的承認」だった気がします

    今は仙人みたいな生き方になりつつありますが^^、若い頃はそれなりに競争心や自己顕示欲などもあったように思います

    そういった時も経て、今は「時間」だと自信をもって言える感覚があります

    時間が大切だと私が思うに至ったきっかけが2つあります

    1…激務による適応障害

    前職は中学校教員でした^^

    朝7時出勤でまともな休憩時間なし、21時退勤、帰宅後も持ち帰り仕事、土日も部活の大会引率などでつぶれる

    マジでプライベートなし、という日々でした。使うヒマなくてお金は貯まったけどね^^

    転勤した3校目に人間関係で色々あり休職

    その時に「定年までこの感じで働いて、60歳とかでまあまあな退職金もらって、んで、その人生って何?」と思うに至りました

    そもそも60歳までたどり着くまでに死ぬんじゃね?と^^

    この辺は、気が向いたらまた書こうと思います^^

    2…父の死

    父が72歳で死にました。その時に何となく「自分も72歳で死ぬ」と仮に設定しました^^

    そうすると、「あれ、俺の人生あと30年くらい?健康寿命とかでいえば20年?今くらいの感じで体が動くのってあと10年とかじゃね?」と思うに至りました

    お金を貯めるだけじゃなく使う方にシフトしたり、マラソンに挑戦したりしているのも、父の死を自分ごととして捉え始めたのがきっかけなのかもしれません

    さて、「時間」を重要視すると、次のような意識の変容が私には起きました

    1…やらなくていいことが明確になる

    FPの資格を取り、自分の家計を徹底的に棚卸ろししました

    すると、基本給とNISAでのインデックスファンドの積み立てで日常生活費と将来の必要資金はメドがたつことがわかりました

    そこで私は、残業と昇進を手放しました

    その時間を「読書、マラソン、自炊」など自分が好きだと思える事に充てています

    生活の質が爆上がりです^^好きな事に取り組める時間が長いと自己肯定感も上がりやすいと思います

    2…選択の回数を減らす(自動化)

    服は無印良品で2パターンを2セットとかで買い、シーズンごとに着まわしています

    よく会う人は「こいつ、毎回同じ服やな」と思っていることでしょう^^

    でも、それも、朝「今日は何着ようかな」の時間や選択に使う脳のリソースを消費したくないと思っているからです

    これ、マラソン練習していて気付いたんですが、走っている途中に選択の場面が増えると、脳が疲れるのか走るのがきつくなってくるんです

    ノープランで走り始めて「ペース上げようかな?次曲がろうかな?やっぱもう1つ先にしようかな?」とかだと、疲れを感じるんです。走る前に、ペース、コース、キロ数などをシミュレートして走るのとでは全然違います

    「選択」に脳のリソースを使わないようにすることで、自分の好きな事に使う時間や脳のフレッシュさを確保しています

    3…資産形成との関連

    株価の推移を見ると、定期的な下落、暴落はあるものの、長期で見ると右肩上がりに上昇してきた歴史的経緯があります

    私は、自分が死ぬくらいまでは少なくとも資本主義経済は続くと思っているので、長期投資を継続しようと思っています

    投資を始めると、自分の投資した評価額の上昇が楽しみになります。特に、私が買っているインデックスファンドなどは、10年以上寝かしておいてからの複利がどんどんエグくなっていきます

    そうするとできるだけ長く世の中を見ていきたい気持ちになります

    そのためには長生きしたくなるし、健康に気を遣うようになります

    投資家や稼ぐ力のある人が筋トレやランニングをする人が多いのも、こういった理由からかもしれません

    投資は、1秒でも早く始め、できるだけ長く株式市場にお金を置き続ける事が正しい解だと勉強して理解しました

    さて、今回は「時間の大切さ」について書いてみましたが、人との関係性については矛盾を抱えている事も正直あります

    人間関係はマラソンのようにじっくり時間をかけて醸成していくものだと私は思っています

    急に盛り上がった関係性は、ダメになるのも早い気がするからです。焦らずゆっくりとが基本思考です

    でも、交通事故で急におばあちゃんを失ってからは、「この人と会うのは今日が最後かもしれないぞ」という気持ちも出てくるようになりました

    そうすると、短距離思考になるというか、できる事、やってあげられる事はやっておきたい気持ちにもなります

    でも、そうすると、相手からは距離の詰め方早いと思われるかもなあなんて複雑な気持ちになったりもしますね^^

    ま、そんな矛盾した心理を抱えつつ生きるのが人間なのかもしれません

    少し脱線しました。この「長期目線」と「短期目線」については、また日を追って書いてみたいと思います

    あなたが、人生で最も大切だと思う事はなんですか?^^

  • ♯87 桜梅桃李

    87回目の投稿になります

    漢字検定の勉強をしていて、とっても素敵な四字熟語に出会いました^^

    「桜梅桃李」

    「おうばいとうり」と読みます

    文字通り、桜、梅、桃、李(すもも)という4つの花の名前を並べた言葉ですが

    「それぞれが素敵な花を咲かせるように、他人と比べることなく、自分に誇りをもって生きていく事が大切だ」

    という意味をもつ四字熟語です

    優しい気持ちになるというか、心が暖かくなるというか…

    素敵な言葉に出会えて幸福度が上がった感じがしたので、このブログで共有させていただきます

    私、ドラクエが好きで、特に「4」が好きです

    仲間になるキャラは、それぞれ特色があります

    魔法は使えないけど攻撃力が強い戦士タイプ、逆に攻撃力は弱いけど強力な呪文で大ダメージを与える魔法タイプ、生き返らせたり回復させたり補助魔法で戦闘を有利にする僧侶タイプ

    彼らがバランスよくいる事で、個性あるパーティーとなります

    戦士タイプだけでも、魔法タイプだけでもクリアは難しい

    つまり、それぞれが輝ける良さを持っているのですね

    私はドラクエで表してみましたが、もう少し若い方なら、ポケモンの「○○タイプ」とかの方がイメージしやすいかもしれません^^

    私自身は「何タイプ」なのかな?

    戦士タイプではないのは確かです^^回復系の呪文で傷をいやしたり混乱を治したりしてパーティーを支える僧侶系かな^^

    だいぶ脱線しました^^

    「桜梅桃李」は、努力しなくていいよという事ではなく、仮に何物にもならなくても「今のあなた自身が尊い存在ですよ」と伝えてくれているような気がします

    そもそも、四字熟語って誰か作った人がいるんですかね

    いるならば、「桜梅桃李」っていう四字熟語を考えた人ってすごくオシャレな方だなあって思います

    すももの花ってどんなだろうと思って調べてみました

    白くて可憐なかわいい花でした。すももはすももらしく綺麗な花を咲かせています。私は私らしく、あなたはあなたらしく、誰と比べなくても価値ある存在なんだと教えてくれているようです

    すももの花言葉は「独立」だそうです。それも気高い感じがしてすごくいい

    北海道は5月頃が見ごろとのこと。検索したらいくつか公園がヒットしました。来年見に行こうかな^^

    綺麗な花でしょ^^

  • #86 「沼る」を感情論なしに構造的に考えてみた③終

    86回目の投稿になります

    前回の続きです

    「沼る」をできるだけ構造化して過去2回に渡って書いてみました

    今回は、沼落ちしないためにはどうすればいいのかという事。そして、落ちてしまったらどうしたらいいかという事

    これについて考えてみます

    前回の「仕掛ける側の戦略」に「コミュニティを遮断させる」というものがありました

    会社や学校を辞めさせる、家族や友人とケンカさせて関係を切らせる。こうしてその人にとっての「生活や関係性の柱」をどんどん奪い取って、依存先1本にしてしまう

    じゃあ、柱を再構築しましょうと^^向こうが柱を失わせてくるのであれば、こっちは柱を再構築すればいい

    書籍によると、脱依存に向けては「客観的な視点」と「分散」が大切だという事です

    沼にハマっている人が、もし柱が依存先1本であるなら、そこと関係ない人、趣味、コミュニティを増やしてみましょうと

    そして、依存先への割合を少しずつ減らし、新しいチャレンジに時間を投下してみましょうと

    そうすれば多様な価値観、多様な世界が飛び込んできて、自分の行動や価値観を見直す契機になり得る的な事が書かれてありました

    例として興味深かったのが、相談する相手についてです

    脱依存についての1歩目としては、現状を誰かに全部話す事が良いとされているようです

    そして、その対象は「家族でもなく、友人でもなく、自分の事をよく知らない第三者」がいいと書かれてあった事です

    自分が依存状態であることを家族や友人に話すのはハードルが高いし、特に家族などは今後も長期に渡って関係性が続く

    であるならば、信頼できるけどこっちの事を詮索してこないみたいな人

    本では、その最適任者として「スナックのママ」と書かれてありました^^妙に納得感がありました^^

    さて、色々調べて私が感じたのは、「淋しさや孤独感を他者で埋めようとしない」事の大切さです

    孤独感を感じる事はいけない事だという概念を捨てて、「孤独を感じる事は普通」といったん受け入れ、自分の中の常識を転換させる

    そして、自分ひとりでもできる事に時間を使ってみる

    それは、資格の勉強かもしれないし、読書、編み物、パズル、ドライブ、色々あると思います(個人的には、起業に向けての勉強なども面白いかなと思っています)

    依存は、孤独や淋しさの隙間に入り込んできます

    けれども、孤独や淋しさは必ず感じるものと自分の中で仮説を立てる

    じゃあ、その隙間をなにで埋めるのか

    それを他者に求めるのではなく自分に求めるという思考の整理がいいのではないかと思いました

    どうせ、死ぬときはひとりだしね^^

    長ぇ^^もう終わりますので^^

    色々調べて私がすごくいいなと思った記述がありました。それは依存症カウンセリングの先生の言葉です

    「依存は病気です。病気って事は必ず治ります。依存で苦しむ人はたくさんいます。だとすれば、それはあなただけのせいではないという事です。依存はあなたが育てられた環境による所が大きいです。そのせいにしちゃいましょう。あなたのせいではありません」

    私も適応障害と診断されたとき、同じこと言われてすごく心が軽くなりました

    「病名が付くという事は一般化された症状なので、悪いのはあなたではないし、回復の手順もちゃんとありますから」と

    朝井リョウさんの「インザメガチャーチ」をきっかけに興味をもった「沼る」の世界ですが、すごく勉強になりました

    前回と今回のまとめとしては

    ・ハマる人は、自分で決められなかったり、親の意志が強かったりした人に多い。幼少期の育ちが大きく関係している

    ・依存先は柱を1本にして視野を狭めてくるくるので、その柱を再構築する。一人で楽しめるなにかを探してみる

    ・本人が幸せを感じているなら、他者がどうこう言う問題ではない

    ・「病気=自分だけじゃない」と、症状を一般化する事で気持ちを楽にする

    さて、ここで終わりにしてもいいのですが、1つやり残している事があり、それを掘り起こしてみるか迷っています

    ここまで調べてみて、私自身、沼に陥りやすい気質の持ち主だと思いました

    なぜなら、ハマりやすい人の条件に見事に合致しているからです

    考えてみたい事は、「そもそもなぜ私は、自己肯定感が低く、周りに流され決断できない人間に仕上がったのか」という事です^^

    それを探求するためには、幼少期からの半生を、断片的な記憶を頼りに振り返ってみる事が必要かなと思っています

    SNSという匿名性の高い場だからこそ、こういうのを吐露してもいい気がします。まとまったら投稿するかもしれません。エグすぎたら投稿しないかもしれません^^

    その際は、よろしくお願いします^^

    長くなりました。申し訳ありません。読んでいただいた読者様、ありがとうございます^^

    参考文献

    「インザメガチャーチ」朝井リョウ

    「脱依存脳~やめられないをやめる本~」山下あきこ

    「現代社会の新しい依存症がわかる本」樋口進

    「沼にはまる人々」沢木文

    きゅうりの柴漬けを刻んで混ぜ込んだつくねです^^

    とっても美味しくできました^^ではまた!

  • ♯85 「沼る」を感情論なしに構造的に考えてみた②

    85回目の投稿になります

    前回は「沼る」の構造を、仕掛ける側の視点で書きました

    今回は、ハマる側、つまり客側の視点で書いてみたいと思います

    前回の内容を簡単に振り返ると、沼に落とすシステムとしては

    ・仕掛け1…気軽さ、手軽さをアピール

    ・仕掛け2…強烈な刺激でドーパミンを出させる

    ・仕掛け3…間欠強化で不安や恐怖を促し、深くハマらせる

    ・仕掛け4…コミュニティを遮断し、依存先以外の柱を失わせる

    という感じでした

    では、依存的なものにハマる人とハマらない人の違いはなんなのでしょうか

    こちらもいくつか文献を調べてみました

    ざっくり3つ挙げると

    ・満たされていないと感じている人

    ・真面目な性格の持ち主

    ・自分で判断したり決断したりする事が苦手な人

    でした。例として、有名大学に合格して上京。オウム真理教に入信し、幹部となった人の話がありました

    彼は、子どもの頃から親や大人の言うことに従うことを強要されたり、親が自分の意見に耳を傾けてくれなかったという思いがあったようです

    これは「学習性無力感」とも言われ、「親の言う通りにしないといけないんだな」という諦めに似た感情が、自分の気持ちを抑えることにつながり、ひいては自分の感情より他者の気持ちに引っ張られる人間になってしまう可能性があるとのことでした

    また、受験勉強を通して培われた真面目な性格は、依存に対しても真面目さを発揮してしまうので、深みにはまりやすいという指摘もありました

    これは、非常に危険です。なぜなら、状況が整えば、誰でもハマる可能性があると思えるからです

    例えば私

    子どもの頃、「親の言う通りにしないと」という気持ちはすごくありました。(今は皆無ですが^^)

    自分に自信がなく、何かを決めるのが苦手でした。自ら誘う事はなく、誘われたら行くみたいな他人軸で動き、嫌な事があっても嫌と言えず、押し切られるように付き合わされることもありました

    もしそこに、仕事で適応障害になったタイミングや、孤独感を感じるタイミングが重なれば、コロッと依存の世界にハマる恐れは大いにあったなと思います

    つまり、仕掛ける側の戦略がいいか悪いかの判断は置いておくとして、仕掛けられる側の心が弱っているタイミングに出会ってしまうと、パズルのピースとピースが合致するように、誰しもが落ちる恐れのある構造になっているのではないか

    これを、「ハマりやすい人の特徴」という事でいったん結論付けてみたいと思います

    では、次の観点です

    それは「そもそもハマる事は悪なのか?」という問いです

    悪なのかどうなのかについては、「費やす金額や時間の問題ではない」というのが、色々な文献等を読んで私が感じたことです

    では、悪なのかどうかを判断するたった一つの判断軸としては「それでその人自身が幸せを感じているか。不幸ではないか」

    これに尽きると思いました

    ギャンブル依存の人の話などを読むと、例えばパチンコ屋では高揚感で多額のお金を使ってしまうけど、家に帰ってからは後悔や自己嫌悪で胸が苦しくなると書いてありました

    その人は、その自己嫌悪を埋めるためにまたパチンコ屋へ行くという、負のループにハマっています

    つまり、ハマっているのに内心は楽しんでいないという状況に陥っています

    この例を見ると、お金をたくさん使おうが、時間を費やそうが、見返りがほとんどなかろうが、その人がそれで幸せなら他者が介入する余地はないし、依存ではないのではないかとも思えてきました

    では、最後の観点です

    それは、沼落ちしないためにはどうすればいいのかという事。そして、落ちてしまったらどうしたらいいかという事

    これについて考えてみます

    あ、その前に^^

    私、今すべてを書き終えて推敲しているのですが、全部で3400字になってしまっています^^

    という事で、ここでいったん切りまして、のちほど「♯86『沼る』を考えてみた③」として投稿いたします

    ではまた数時間後に^^

  • ♯82 「沼る」を感情論なしに構造的に考えてみた①

    82回目の投稿になります

    昨日、予約投稿を忘れたまま寝てしまいまして、本日朝の投稿となっております^^

    今回は「沼る」について構造的に考えてみようと思います

    きっかけは、推し活をテーマにした本「イン・ザ・メガチャーチ」を読んだ事です

    新興宗教にハマっていく女性が描かれているのですが、それが異質に感じる一方で、妙に共感してしまう所もあるというか

    率直に思ったのは「これは、色んな条件が合致すれば自分もハマる可能性あるんじゃね?」という事です

    そこから、ハマる側の心理や、引き込む側のメソッド、つまり構造的なものを知ってみたいと思ったわけです

    「感情論なしに」とタイトルに付けたのは、「沼る」「推す」は程度の問題もあるし、本人が好きでやっているなら他者が制限するものでもないと思うからです

    あと、私の親族に新興宗教に入信している人もいるので、それもあって興味をもちました

    あくまで構造的に捉えてみたいと思います

    いつもより真面目なテイストになるかと思います

    まずは、「仕掛ける側」の戦略です

    ・仕掛け1…気軽さ、手軽さをアピール

    →「無料セミナー」「初回1000円」「ポイントカード作成で5000ポイント付与」。宗教、風俗、ギャンブルなどの依存への入り口は、ハードルの低さ。1歩目を踏み出しやすい仕掛けを工夫しています

    ・仕掛け2…強烈な刺激でドーパミンを出させる

    →宗教だったら不満や淋しさに付け入る、風俗だったら強い刺激やキラキラした空間で甘い言葉をかける、ギャンブルだったら当たった時の高揚感。人の孤独感、満たされない感に入り込み、依存を促す

    ・仕掛け3…間欠強化で深みにはまらせる

    →ある程度依存させたら、与える時と与えない時をあえて作り、客を不安や欠乏に陥れます。これを「間欠強化」といい、依存を進行させる心理テクニックです。宗教だったら「そんな考え方じゃダメ」と急に否定する、風俗だったらわざと素っ気なく扱う、ギャンブルなら当たったり外れたりする。あえて報酬を毎回与えないことで、たまに与えられる報酬が強烈な刺激となる。もっとお金や時間を使わないと刺激が得られないかもしれないと思い込ませ、依存への深みにはまらせる

    ・仕掛け4…コミュニティを遮断させる

    →お金や時間を捻出するためという口実で、現在のコミュニティを遮断させ、客観的な視点を破壊する。宗教だったら特異な発言や行動が増える事で周囲の人間関係が希薄になる、風俗やギャンブルだと使い過ぎによる借金や金銭感覚の麻痺などで仕事や学校を辞めたり、家族や友人関係が切れたりする。このように、第三者の目を届かなくさせる事で、依存度をさらに高めさせる

     これが、色々な書籍や文献を調べてわかってきた、依存に陥れる仕組みの代表的なもののようです

    私が「宗教」「風俗」「ギャンブル」という3事例で説明してみたのは、分野は違うのに構造は全く同じという事です

    という事は、これは「マニュアル化」された仕組みである事がわかります

    仕掛ける側は、これを巧みに使ってきます

    YouTubeで、セミナーで高額販売をする業者の動画を視聴しました

    そこには上記1~4の仕掛けが、まさに行われていました

    「健康酢のボトル」を100円で売る事で集客し(仕掛け1)、色々な日用品を10円だ30円だという破格の金額で売る

    高齢女性は店員を「いい人」と認識(仕掛け2)

    しかし、日が経つごとに「世の中の品物には毒が入っていて健康に害悪だ。そんなのを食べているあなたはおかしい」と急に説教モードになり、客を不安に陥れる(仕掛け3)

    自社の商品はあなたを救うと高額な商品を次々と買わせる。その数日後、来店した女性は次のように言います

    「娘が、『お母さんは騙されてる』って言うからケンカして来た。あの子は真実をわかってない。今日は、何を買わせてくれるの?」(仕掛け4)と

    そして「体内を清める錠剤」を数万円で買って帰っていく

    依存の完成です。そして、なにより怖かったのが、売る側の事務所での会話です

    「あのババアから、あとどれくらい引っ張れそうなの?」

    「あー、だいぶいい感じに落としてるんで、100くらいは今月いけるかなって」

    せめて感謝くらいしろって、ちょっと気分悪くなりました^^

    100って100万の事だと思うんです。私にとってはまったくの赤の他人ですが、その高齢女性がどうなってしまうのかホントに心配です

    では、依存的なものにハマる人とハマらない人の違いはなんなのでしょうか

    調べてみると、これもいくつかの傾向がある事がわかりました

    長くなったので、続きは次回にします

    次回は、沼にはまりやすい人の特徴を、自戒も込めて書きます

    そして、沼に落とすシステムがあるなら、沼から這い上がるシステムも構築可能であるという前向きな視点で、私なりの結論を書いてみたいと思います

    次回は、もう少し明るいトーンで書けそうです^^

  • ♯81 通っていたカフェを閉店させる男^^

    81回目の投稿になります

    最近の投稿は「一度見限ると二度と戻らない」とか「真の優しさとは」とか「インザメガチャーチを通して過去の自分に触れる」とか重めの話題が多かったです

    そして、今後も「沼るの構造」「死にたくなるのは暇だから?」などさらに重くなる予定です^^特に「沼るの構造」は、文献等いろいろ調べたので小論文みたいになってます^^

    なので、今回はさすがにちょっと一服という事で「アホ回」にします^^

    タイトルは「通っていたカフェを閉店させる男」です

    これ、私のことです^^

    先日も、月に1度くらい訪れていた隣町のカフェが閉店しました

    私は、好きで通っていたお店がよく閉店します^^

    でも、それには構造的な理由があると自覚しています

    それは、私が通いたいカフェの条件が次のような事だからです

    ・混んでいない

    ・落ち着いて過ごせる

    ・常連だからといって、オーナーや店員さんが話しかけてこない

    こんな感じです。以前はコメダのモーニングとかよく利用していましたが、おじさんの自慢話やボリューム全開の中国語のやり取りが聞こえてくる事に閉口し、あまり行かなくなりました^^

    さて、先ほどの3条件ですが、デメリットがありまして

    ・混んでいない→収益が良くない

    ・落ち着いて過ごせる→回転率が良くない

    ・話しかけてこない→サービスが良くないと感じる人もいる?

    という事で、閉店につながりやすいのかなと思います

    そこで、私が、カフェの経営者様(特に個人経営者様)に声を大にして言いたいことがあります

    それは「今、経営状態がやばい」とか「つぶれそう」とかを店内やSNSで発信してほしいという事です

    事前に黄色信号である事を知る事ができれば、頻度上げて通いますから^^値上げしても通いますから^^ここがなくなるよりは全然いいですから^^

    って思います

    訪れた時、入り口で読む「閉店のお知らせ」ほど切ないものはありません^^

    「いやいや、そんな気配全然なかったじゃないの^^」っていつも思います

    だから私は、昨今の物価高に対しても、そんなに批判的ではありません

    その企業がつぶれるくらいなら、値上げしてもいいから好きな商品やサービスを提供し続けてほしいと思いますね

    でも、私も気持ちはわかりますが、真面目であるほど弱音を吐きにくいという事もあるかもしれませんね

    例えば、脱サラして、ある程度まとまった資本を投入して始めたカフェの収益が下降している

    そうなったら、どうにもならなくなるまで頑張り続けてしまう、そして限界を越えてやむなく閉店という過程も理解できてしまいます

    私一人が来店頻度や客単価を上げたところで、どうにかなる状況ではないのだろう事は理解していますが

    赤信号点灯じゃなくて、黄色信号くらいで発信してほしいと思いますね

    あれ?終わろうと思ったけど、ちょっと気付いてしまった^^

    これってまさに、以前書いた「一度見限ると二度と戻らない」における私の苦手とする相手状態になっちゃってる?

    私、「閉店するなら、もっと前に言ってよ」って言ってる?^^

    って事は、「経営悪いなら言ってよ」っていう発言自体が利己的ってこと?

    さすがに考えすぎ?

    最後の最後に収集つかなくなるアホ回になってしまいました^^

    終わりです^^