カテゴリー: 内省

  • 長谷川あかりさん

    64回目の投稿になります

    少し前に「馬」というタイトルの文章を書いてみたんですが、それ以降、「スポーツベッティング」のサイトへ誘導するっぽいコメントが付くようになりまして、閉口しています^^

    「あ、コメント来てる!どれどれ」

    と思って開くと「スポーツベッティングの世界へようこそ!」的なスパムコメント^^

    設定でブロックできると思うので、なんとかします

    あ、先日の追いLINEがどうたらこうたら書いた投稿に初めてコメントが付きました^^

    嬉しいものですね^^ありがとうございます

    さて今回は「長谷川あかりさん」です

    料理家の方で、タレント業などもされているようですが

    長谷川あかりさんの作るレシピが、簡単なのにとっても美味しくて、しかも独創的なんです

    私、料理が好きで普段はほぼ自炊なんですが、何品か作ってみて、すっかり長谷川あかりさんのファンになってしまいました^^

    最近作ってみたレシピをいくつか書いてみます

    ・「ちくわとじゃがいものバター煮」

    材料は、ちくわとじゃかいものみ。調味料も塩と料理酒とバターだけ

    これを、じゃがいもが隠れる位の水量で煮ていく。煮る前に調味料も全部入れちゃう。水気が飛んだら塩で味を調えて完成

    特別な手順も調味料もなし。ですが、めちゃくちゃウマいんです^^ビックリします

    本人もYouTubeでお話をされていますが、入れてないはずのたらことかホタテとかの味がするんですよね^^

    たぶん、ちくわの主成分である「すり身」のダシが出てるのかな。バターのコクもあって最高です。週1くらいでヘビロテしてます^^

    あ、そうそう。やっと、写真の添付ができるようになりました^^

    今回は、実際に作った料理の画像を載せてみたいと思います

    こんな感じです

    美味しそうでしょ^^

    ・「塩マーボー豆腐」

    豆腐の水切り不要、油不要、使う調味料は豆板醤と塩だけ。豆腐だけでもOK。お好みでひき肉やえのき茸など入れてもいい

    これも、何も特別な工程はないのに、とっても美味しいです

    これを知ったら「もと」を買う必要ないですね

    今回は、冷蔵庫にひき肉もきのこもなかったので、ハムを細かく切って入れてみました^^

    私、先月このレシピを知ったんですが、歯の手術で柔らかい物しか食べれない日々が続いていたので、その時期に知りたかったですね こちらも、こんな感じです^^

    料理の周りが汚い^^

    ・「マグロとアボカドのドレッシング和え」

    マグロとアボカドを角切りにし、ドレッシングで和えるだけ。黒コショウかけてもいい

    あと、このレシピのいいところは、アボカドの食感がなめらかなので、マグロは安い赤身の方が美味しいということです

    ドレッシングも色々な種類でも美味しいです。私のオススメは「にんにくポン酢」かな

    これもめちゃくちゃ美味しかった^^

    最近は、SNSやYouTubeを見ながら長谷川あかりレシピを作るのが楽しいです

    料理って、私にとってはメンタルを整える趣味というか作業の1つです

    食材を切ったり、調味料を合わせたり、マルチタスクになるように手順を見通したりという事をしていると

    仮に悩みや疲れがあったとしても、作業に没頭することで忘れられる感覚があるんですよね

    「瞑想」とか「マインドフルネス」とか言う言葉がありますね

    呼吸を整えて、何も考えない「無」の状態を作ることがメンタルに良いみたいな

    私、それ、ダメというか向いてないんですよね^^

    「ハイ、座禅を組んで、ゆっくり呼吸して何も考えませんよ~」って言われてもね…

    考えちゃうんですけど^^

    これ、わかってくれる方いませんかね?^^

    ただ目を閉じて呼吸しているだけだと、なんか色々考えちゃうんです^^

    「さっき、○○さんに変な言い方しちゃったかな。後でLINEしておこうかな。でも、LINEだとニュアンス伝わらないから次会った時に話した方がいいだろうな。あ、ダメダメ、今は何も考えちゃいけない時間だった^^よし、考えない考えない。あれ?今、『考えないってことを考えちゃってる』んじゃね?^^」

    みたいな^^難儀な人間ですわ^^

    私はたぶん、一生「悟り」みたいな境地には行けないですね^^

    だから、料理のような「作業」をしている方が、包丁を扱ったり火加減を見たりという程よい集中状態を必要とするので、他の事を考えなくていいんですよね

    少し脱線しました^^料理って、節約になるし、好きな具材で好きな量作れるし、ジジイになってもできるし^^

    いい趣味だと思います

    今日も「ちくわとじゃがいものバター煮」作るんだ^^

  • 追いLINE、ダメ、ゼッタイ^^

    60回目の投稿になります

    いつもありがとうございます

    さて今回は「追いLINE、ダメ、ゼッタイ」です

    何かの標語になってたような^^薬物乱用かなんかだっけ

    まあ、タイトルはいいとして、今回は私のLINEについての考えを、主観や偏見たっぷりに書いてみたいと思います

    LINEというのは、扱うのが難しいツールだと思います

    文字による伝達のため、放った言葉のニュアンスや温度感が伝わりにくい面があると思うからです

    対面だと相手の表情でわかる部分もあるし、電話でも声のトーンなどでわかる部分もあると思います

    LINEにはそれがない。だから、必要以上に重く受け取られてしまったり、相手の真意を読み取りにくかったり、などという事が起こりやすいものだと思います

    ここまでは何となく共通理解が図られているかと思います

    ここから、私のLINEの使い方含め、追いLINEについての考え方を書いてみるので、「あなた、変ですよ^^」と思った方は、ぜひご意見いただければと思います^^

    ・「既読無視」という概念がピンとこない^^

    たぶん私がLINEを「なんとなくの会話のやり取り」ではなく「連絡手段」と考えているからだと思います

    自分が送信した内容に、既読が付きますね。こちらからすると、「あ、読んでくれたんだな」ってなるじゃないですか

    だから、私、返信不要ですって思っちゃうんです

    だから、既読無視って普通でしょって^^

    これ変ですか?^^

    「既読=よし、伝わった!」みたいな感覚なんです^^

    仲を深めるのは、会った時に、会話を深掘っていくことで共感や親しみやすさを育むことしか基本無理だと私は思っています

    もちろん、リアルタイムでやり取りする事もありますよ。でも、それは、なにか連絡に付随する内容になりがちですね

    「何してるー?」とか「今ヒマなんだけど」みたいな使い方は皆無ですね^^

    例えば、「22日に約束してたカラオケ、予定通り15時に歌屋○○店で予約するね。不都合あれば返信ください」

    こんな感じで送ります。だから、相手が読んで、特に問題なければ返信いらないって思うんです。だから、既読がついた時点で「相手には伝わった。ミッション完了」みたいに思っちゃうんです^^

    変ですかね^^

    ・普段は、基本「通知オフ」^^

    私、やり取りする人は少ないんですが、基本は通知オフにしています

    なぜかと言うと、自分が読書していたり、こうやってブログを書いたりしている時に通知音が鳴ると、集中が途切れてしまう感覚があるからです

    特に、読書していて本の世界に没頭している時などは、急に現実世界に引き戻された感覚になってしまうので、オフにしています

    LINEを、受動ではなく能動的に使いたいというのもあると思います

    だから、キリのいいタイミングで自らLINEを開いて通知の有無を確認したい、という事で通知オフですね

    ホントに緊急なら電話来るだろうと思っています

    これも変なのかな^^

    ・「?」で終わる質問を投げない

    私から「?」が付く形でのLINEはなるべく送らないようにしています

    理由は、返事を相手に求めているように感じるからです

    気にしすぎと言われる事もありますが、私は、先ほど書いたように、LINEの通知音で自分の集中が途切れるのを嫌うのと同じように、相手の時間を奪いたくないと思ってしまいます

    優しい方などは「気にしないで質問していいよ。その方が楽しいし」などと奇特な事を言ってくれますが、やはりちょっと抵抗がありますね^^

    だから、基本こちら発信では質問を投げない使い方をしています

    そりゃあ友だちもいないし、「私の事、大事に思ってないでしょ」とか言われる訳だ^^これを書いてて色々思い出しました^^

    えーと、大変申し訳ないですが、本題の「追いLINE」の話題に行く前に、すでに1700字です^^

    続きは次週にしようかとも思いましたが、もう少しお付き合いいただけます?^^

    「いいよ」という声が聞こえた気がしたので、続行します^^

    さて、「追いLINE」です(やっと本題^^)

    調べてみると、追いLINEの定義は

    「一度LINEを送り、相手からの返信が来る前に、再度メッセージを送ること。『おーい』『返信まだ?』のように返信を催促する事も。一般的に良くない行為として使われる」とのことです

    なんかすごい話ですね^^自分にはこの感覚が全くないのですが、先日、知人と話の流れで追いLINEが話題となったので(どんな話の流れで?^^)考えてみます

    まず、送信したんですよね。んで、相手から返信がないと

    私なら、追いLINEする前に相手の状況を考えると思いますが、どうなんでしょう

    「忙しいんだろうな」とか「まだ気付いてないのでは」とか「どうでもいいと思われてるかな」とかかな?

    でも、仮に最後のパターンだとしたら、悲しくはあるけど仕方なくないですか?

    それって、それまでのLINEの内容が重かったとか、会った時に魅力が感じられなかったとか、そういう今までの自分の言動で「返す価値ナシ」または「優先度低い」って判断されたって事だし

    追いLINEが嫌われるのって、もしかしたら、送信側の自分本位さが透けて見えてしまうからなのではないかと思ったりしてきました

    あと、返信ペースって人それぞれな気がします

    相手が1日くらい返事しないタイプなら、待つしかないですよね

    私の知人には「LINEは1日1回21時にしか開かない。そこで通知を確認してばーっと返す」という人もいます

    私だって、仕事中は基本見ないし、3時間くらいぶっ通しで読書したりするからその間は見ないし

    それを催促してしまうという事は、やはり自分本位な感じがしてしまいますね

    なんか、結論出た気がします^^追いLINEがダメなのは「自分本位」だからです^^相手を尊重できない余裕のなさから来る行為だからです。以上です!!

    って乱暴に終わるとアレなのでもう少し^^

    でも、基本はやっぱり「相手を思いやる」ってのが大事な気がしますね

    送る相手の生活リズムや仕事の状況、性格などなど

    例えば、「ピアノは夜8時以降弾いてはいけません」みたいなのあるじゃないですか

    それって、隣近所に迷惑だからその通りだと私も思います

    でもね、LINEにおいてはそうとも言えないんじゃないかと思うんです

    例えば送る時間。80歳のおばあちゃんには朝6時に送ってもOKだけど、夜11時に送っちゃダメだと思うんです^^早寝早起きだからね^^

    でも、夜勤の友人には夜11時に送ってもいいと思うんです。逆に午前中は寝てるだろうからやめようみたいな

    例えば送る文の長さ。一般的には「長文LINEは嫌われる」とか言いますね

    でも、長文LINEの応酬を楽しめる共通理解が2人にあるのなら(レアケースかもだけど^^)送ってもいいと思うんです

    だって、好きな人から長文LINE来たら嬉しいでしょ^^私は文字のコミュニケーションが好きなので、長文LINEは歓迎です

    なので、極論を言えば「追いLINEしてもウザがられないような関係性を事前に築いた上で楽しくLINEする」が最適解なのかもしれません

    相手がどんな状況かを考えて、相手を尊重する態度が大事なんじゃないかなと思いますね

    それか、LINEにそこまで心奪われなくてもいいくらいに時間を割ける趣味や勉強に取り組んでみるとか

    うん、なんか、色々勉強になりました^^私も追いLINEはしないけど、LINEの使い方、改めて確認してみようと思いましたね

    今回の内容は賛否ありそうなので、気になる点があれば教えていただければと思います

    2900字になってしまいました^^いつもスミマセン

  • 「こっちは客だぞ!高い金払ってんだぞ!」について^^

    56回目の投稿になります

    大正、昭和くらいの文豪の本を読んでいると、見慣れない漢字、熟語、慣用句、表現を目にします(梶井基次郎「檸檬」の「驟雨(しゅうう)」みたいなイメージ。ちなみに驟雨とは、突然の雨、にわか雨のこと。しゃれてますよね^^)

    そういう言葉を書き留めています

    漢字検定は、高校3年生か大学生くらいに取得した2級で止まっているので、準1級チャレンジしてみようかなと思案中です。難易度高いのかな?

    さて、今回は「こっちは客だぞ!高い金払ってんだぞ!」についての考察です

    私、バスの運転手を仕事としています

    先日1泊2日の貸切の業務中にこんな事がありました

    (一般道を走行中)

    客の代表者(以降「客」)「おい!この先に○○っていう写真撮れる所あるみたいだから、ちょっと寄ってくれや」

    私「申し訳ありません。行程表にない所は基本的に寄れません。駐車場の有無も確認できませんしちょっと難しいですね」

    客「バーっと降りて写真撮ってすぐ戻ってくるから、道路に停めときゃいいじゃん」

    私「社の規則上、ちょっと難しいですね。これ以降の行程がずれ込むと、夕食の時間に差し支えますし」

    というやり取りの後に発せられたのが、今回のタイトル

    「こっちは客だぞ!高い金払ってんだぞ!言う事聞けや!」だったんですね^^

    私が思う「客と従業員の関係」について、少し考えを書いてみたいと思いますね

    私は、客と従業員の立場は「対等」だと思います

    客が提供するものはお金です。お金を支払う代わりになんらかの物またはサービスを受けます

    従業員が提供するのは物またはサービスです。その対価としてお金を受け取ります

    それは、支払いがあった時に「このサービスに対してこの金額」という契約が成されたとされます

    という事は、「客だから」という理由で何でも言う事を聞く必要はないし、「金を上乗せするから」と言われて契約以上の事を提供する必要もないはずなんです

    そういう意味で両者の関係は「対等」であると私は思います

    私で言えば、私はお金をいただいてお客さんをA地点からB地点に安全に運ぶのが仕事

    C地点に寄るのは業務外です

    それは「3000円あげるから」と言われてもお断りしないといけないんです

    でも、お客さんの中には、金を払っているから「客の方が立場が上」と考えて、なんでもかんでも要求してしまう人も、残念ながら一定数いる感じなんですよね

    そういう方は、働いたことないのかな?^^逆の立場になればわかりそうな感じもするんですがね

    あと、「予算をケチる客ほど要求が多い」というのも、この業界あるあるです^^

    この行程だと2泊3日ですよという行程を1泊2日に無理やり詰め込む

    そして各行程の滞在時間が短くなり集合時間に集まらない

    行程が遅れ始める

    高速道路を120キロで行けとか言い出す^^

    断ると「高い金払ってんだぞ!なんとかしろ」とか言う^^

    あ、もう1個あるあるありました

    「高い金払ってる」って言う客は最安のプランである事が多いです^^

    高いプランを選ぶ方で料金の高さを言ってくる人ってホントいませんね

    あ、なんか、ただの仕事の愚痴みたいになっちゃいましたね^^スミマセン

    まあ、先ほどのような事を言ってくる客(あえて客と呼びます^^)って、なんか布石というか前兆があるんですよね

    先ほどの例だと「タメ口」ですね。「おい!」の段階で、ああ、何となくヤバそうだなと思います

    あとは、時間にルーズ、バス車内の至る所にゴミ放置、こちらの挨拶を無視、などなど^^

    やっぱり、お金や時間、気持ちなどの余裕が大切なんでしょうかね

    自分が客側としてサービスを受ける立場の時は、従業員の方の仕事ぶりに感謝できる気持ちを持ち続けたいものですね(年齢性別の差別はいけませんが、できない要求をするのって、50代以降くらいの男性が多いんですよね。私もあと10年もすればそのゾーンに足を突っ込むという自戒の意味も込めて^^)

    もちろん、契約した条件が受けられない時は苦情を言っていいと思います

    例えば、お弁当がホームページの写真と違って実物はすごくしょぼかったとか

    それは契約不履行なので言うべきだと思います

    それ以外の過剰な要求は、少なくなるといいなと思いますね

    働く人はロボットではなく、感情のある人間なんでね

    人によっては、働く事で自分が受けたストレスを、客の立場になった時に発散してしまう人もいるのかな

    それか、強く言って要求が通った事があって、そういう良くない成功体験で味を占めちゃっているとか?

    そう考えると、契約内のサービスは真摯に提供するけど、それ以上の事は毅然と断るという従業員(会社)側のきっちりとした線引き(態度)も必要なのかもしれませんね

    最後、少しまとまりがなくなった気もしますが、思った事を書いてみました

    読者様方も色々なお仕事をされていると思いますが、共感していただける部分があれば幸いです

    生きづらい世の中ですが、なんとか手を取り合って乗り切っていきましょう^^

  • 外見を褒める事ができません^^

    52回目の投稿になります

    最近、Spotifyのアイコン変わりましたよね^^

    よく見るとミラーボールですが、緑の虫がこっちに口を開けているみたいな感じがして、タップする時ちょっと躊躇します^^指を噛まれそうみたいな

    そんなしょうもない事考えてる40代男、絶対イヤですよね^^これもここだから言える事ですね^^

    さて、今回は「外見を褒める事ができません」です

    先に言いますが、今回のはあまり共感してもらえなさそうな気がしています。なぜなら自分でも「それはどうなの?」と思う部分もあるからです^^

    あまり期待せず続きをお読みください

    例えば女性に会うとして、会った時「かわいいね」「綺麗だね」と言えません^^

    「かわいいなあ」「綺麗だなあ」と思ってはいます^^

    なぜ言えないのかを自分なりに考察してみました

    まずは、褒める事自体が恥ずかしいという事ではなさそうです。外見以外の部分は普通に褒める事ができます

    では、なんなのか?

    これは、私は、外見を褒める事を「タダ」とか「軽い」とか思っているからじゃないかと

    もう少し詳しく書いてみますね

    「かわいい」って褒めるのって、その場ですぐ言えちゃうから、なんか軽い感じがしちゃうんですよね

    それなら、相手と会話する中で発見した内面の素晴らしさ、努力している事に対しての尊敬などを言葉に出して褒めたいと思ってしまいます

    「その考え方って自分にない感覚でカッコイイ」とか「相手を思いやる気持ちが素敵だね」とか「○○を教えてくれて楽しかったありがとう」とかは全然言えます

    それと、自分が褒められる側になったと仮定した時に、「カッコイイ」とか「その時計(服、靴)ステキ」とかってあまり嬉しくないのもあるかもしれません

    「褒める」という事がすごく大事な行為だと思いすぎているんでしょうか

    でも、外見を褒めるのって、今の若い世代とかだと男女問わず美容整形やスキンケアなどお金や時間をかけてしっかりされている方も多いので、それは私が言う所の「努力」になりますよね

    そう考えれば「かわいいね」も日頃の努力を褒めている事になるような気もしてきます

    あれ?今回の内容、過去イチしょうもない気がしてきた^^

    会った瞬間にふわっと軽く「○○ちゃんかわいいね!」とか言える人を見ると、羨ましいとは思いませんが、なんか感心しちゃいますね^^

    この件に限らず、私はもっと色々適当でいいんでしょうね

    これの亜種として、「どっちが似合うかな?」問題もあります^^

    女性が私に「ねぇ?髪長いのと短いの、どっちが似合うかなあ?」と聞いてきた場面です

    その時の私の脳内はこんな感じです

    「自分の好きにしたらいいと思うけど。あ、でもこれそのまま言ったら波紋を起こしそう。どうでもいいっていう意味合いじゃないんだよ。ほら、ファッションとかオシャレとか全く見識のない私が判断すべきじゃないんじゃない?そもそも私といる以外の時間もある訳だからやっぱり自分で決めた方がいいような…」

    などと考えた結果、「どっちも似合うと思うよ」などという、なんの毒にも薬にもならない事を言ったりします^^

    でも、「本当に心から○○の好きにしたらいいと思うんだ」と言ったら地獄になりませんか?^^

    同じような事例として、服を一緒に見に行った時の「これとこれ、どっちが似合うと思う?」も私にとっては難題です

    たぶん微分積分の方が簡単だと思います^^

    「え?これ、本当に50:50で悩んでる?実は70:30くらいでどっちかに傾いていて、それをオレに後押ししてほしいみたいな感じになってない?それだとしたら正解を選ばないといけないよね。個人的には左だけど、ファッションセンスないからどうしよう」

    で、「どっちも似合ってるよ」になる訳です^^

    書けば書くほど40代男の悩みじゃないですね^^もうやめます

    もう解決法はわかっているんです

    それは「頭の中でぐるぐる考えている事全てを相手にさらす」事です^^

    それで、「あなたはそういう人だもんね^^」と笑って流してくれる人と関係性を深めていくしかないと思っています

    または、ありがたい事に相手が私の事を好きだと思ってくれていて、私の意向に沿いたいという事なのであれば「髪、短い方がいいよ」とか「左の服がいいよ」とか言えばいいんです

    ただそれだけなんです^^

    でも、それもなんか相手を支配しているような感覚になってしまって気後れしてしまうんですよね

    「自分なんかが、そんなそんな」みたいな

    こんなしょうもない話題に長々付き合っていただきスミマセン

    今日も1700字^^

  • 他者に期待しない

    48回目の投稿になります

    昨日のハーフマラソンから一夜明け、足が生まれたての子鹿です^^プルプルしてます

    フルマラソンだと私はどうなってしまうのでしょうか^^

    さて、今回は「他者に期待しない」です。またまた重くなりそうなタイトルですができるだけライトに書いてみたいと思います^^

    「ま、そんなものだろうな」

    という感情がいつも頭の片隅にあります。例えば約束が守られなかったとき、例えば相手の発言と行動が一致していないとき、例えば嘘をつかれたとき

    そういう時には、怒りよりも先ほどの言葉が浮かびます

    なので、最近は、不義理な事があっても怒る事は全くと言っていいほどなくなりました。怒らなさ過ぎて逆に怖いと言われることもあります^^

    この前、この「怒り」について少し考えるタイミングがありました

    私はなぜ、他者に対して「キレる・怒鳴る」という行為をしないのかという事についてです

    「オレはこんなに怒っているんだぞ」という事を相手に伝えるためには、キレたり怒鳴ったりするのが最もわかりやすいとは思います

    でもね。私はそれ以上に「怒鳴るという行為を自分自身が良しとしていない」みたいな感覚があるんですよね

    だから、怒鳴るより、急にその人の前から姿を消すみたいな動きをしちゃうんですよね^^

    すごーくカッコつけて言うと「怒鳴ることは自分の美学、美意識に反する」みたいな感じです^^

    カッコつけてますねー^^

    話を戻します。自分の中での「他者に期待しない」というのは、言い換えると「自分がコントロールできない領域については、関心を持たない」という感じでしょうか

    そのように考えれば、期待するという行為自体が、不確定なものに自分の想いを託す事になり、それは良くも悪くも執着や依存を生み出してしまう遠因になるような気がするんです

    執着や依存は、相手が上の立場になりやすく、過度な自己犠牲によるいびつな関係になりやすいですし

    だから私は必要以上に期待しないのかもしれません

    人間関係で言うと「来る者拒まず、去る者追わず」といったところかもしれません

    でも、私はお釈迦様ではありませんから、不義理な事に出会った時は、それなりにイライラするし、失望します

    イヤな思いを必要以上に感じないようにするための予防的措置みたいな感じで、「他者に期待しない」のがいいと思おうとしているのかもしれません

    この辺りは、まだ自分の中で結論が出ず揺れている感じですね

    孔子は「40にして惑わず」と言いましたが、私は惑ってばかりです^^不惑には程遠いですね^^

    少し角度を変えて考えてみます。それは、「じゃあ、何に期待するのか?」という事です

    それは「自分」なんだろうなと最近は思っています

    自分のなにに期待するのか?

    それは、自分の可能性、頑張る姿勢、ダメな所も受け入れる強さ的な事でしょうか

    環境や状況的には不遇で、抜け出す事が難しい状況でも、考えたり自分を励ましたりすることについては誰もが平等にできると思います

    あ、これ、すごくいい表現ですが、フランクルの「夜と霧」に書いてありました^^とってもいい本だったので、後日紹介します

    長々と書いてきましたが、他者に期待しない事の最も大きな効用について書いて終わります

    それは、「考え方や価値観が合う人に不意に出会ってしまった時の感動がエグい」という事です^^

    急に仮面外してさらけ出したくなります^^

  • カフェでテイクアウトできない^^

    44回目の投稿になります

    今朝、私が住む地域でまあまあ大きめの地震がありました

    震源に近い訳ではなかったのですが、私の住む自治体では震度4という事でした。緊急地震速報はドキッとさせられますね

    私は運輸(交通)系の仕事をしているので、朝からダイヤが乱れ、忙しい1日でした。地震の時、私は出勤途中でした。(しかも朝ラン中でした^^)どこにいても「今、災害が起こったら?」みたいな想定も大切なのかもしれませんね

    さて、今回は「カフェでテイクアウトできない」です^^

    急にゆるい内容です^^何となく共感してもらえなさそうな雰囲気が漂っていますが、書いてみますね

    商品やサービスを購入するとき、私は購入金額の内訳に考えを巡らせる変な癖があります

    例えば美容室で髪を切って支払った代金が5000円だとしたら、「3000円は店員さんの人件費、500円はシャンプーや顔剃りなどの消耗品費、500円は土地やテナント費、200円は水道光熱費、あと300円は…なんだ?」みたいに^^

    ちょっと気持ち悪いですか?^^

    今日は、この考え方が前提の話を書くので、ついて来れなさそうな方は離脱していただいてもかまいません^^スミマセン

    この考えをカフェのコーヒーに適用する訳です

    例えばスタバでスターバックスラテを飲むとします。トールサイズで500円です

    そうすると、私はこんな風に考えてしまうんですね

    「イートインとテイクアウトで、どうして価格が一緒なの?^^」と

    私にとってカフェのコーヒーを飲むという行為は「店内の雰囲気を楽しみながら、本を読んだり、PCで作業させてもらったりする事」が大きな要素なんです

    店内の雰囲気込みの500円なんです

    この感覚、わかっていただけますか?^^

    好きな文庫を持って、コーヒーと本以外なにも自分を妨げる事のない状況で読書を小1時間楽しむ

    最近は「サードプレイス」なる言葉もあって、家と職場(学校)以外の第3の場所として、素になれる場所の1つとしてカフェがあるように思います

    私なんかは、職場では分厚い仮面をかぶっていますし^^それは友人であっても家族であっても、本当の素の自分で付き合う事ってほとんどないんです

    だから、誰も自分の事を知らないであろう場所で、誰にも邪魔されず本を読める場所というのが貴重なんです

    こういう考え方もあって、カフェは場所を味わうものでしょ?っていうのが「テイクアウト=もったいない」になるのかもしれません

    私は500円のうち、400円くらいを「場所代」として支払っている感覚なんです^^

    今、我に返りましたが、これただのケチなオジサンの話になってます?^^

    あと、これも今思いつきましたが、やっぱりネットの匿名性って使い方次第でいいものでもありますよね

    例えばリアル世界の知人にこの件を話してしまうと、その人と出かけて「カフェ寄る?」的な話になったときに、相手の心の中で「あ、こいつ、テイクアウトしたくない人だ!」って思われるの、イヤじゃないですか^^

    あと、これって全然「内省」じゃないですね^^オジサンの変なこだわりに読む時間取らせてスミマセンでした

    最近、投稿内容の振れ幅が大きい気がします。好きにやってるブログだから、ま、いっか

    なんか今日の内容、すごく不毛な感じがする…。でも、もう20:30だ。いいや、投稿しちゃえ!

    これに懲りず、またお越しください^^

  • 一人時間はマスト

    40回目の投稿になります

    さて、今回は「一人時間はマスト」です

    私は、一人の時間がないとちょっとしんどくなってきます

    以前、「静かな人の戦略書」という本の紹介の時にも書きましたが、私にとっての一人時間は「疲れを回復させ、メンタルを整理する大切な時間」なんです

    特に精神的な疲れ(人間関係での気遣い・たくさんの選択や決断など)を癒す時間が私には必要です

    そういう時間に本を読んだり、料理をしたり、ドライブしたりして回復するのです

    例えばドライブだと、運転という作業は必要だけど運転自体に100%のリソースを割かなくてもいい。そうすると、その脳の余白みたいな部分で色々と考えを巡らせる中で気づきが起きたりするんです

    最近は小説を読んで本の世界に行く事で、脳が休まるような感覚を覚えます。そういう時間がすごくいいんです

    ただし、これを正直に外に発信すると、軋轢を生むことがあるという事も理解しています

    その具体例を挙げてみます

    例えば友人や恋人、家族と旅行へ行く時です。特に3泊4日とかそれくらいの旅行をイメージしてみます

    旅行って、常に行動を共にするのが基本じゃないですか(なにを当たり前なことをと思った方は外向型かもしれません^^)

    もちろんそれは理解しているので、1泊2日とかなら我慢できるんです。でも2泊以上になると、ずっと人といる事がしんどくなってきてしまいます

    もう人間関係不適合者ですね^^

    私は、家族だろうが恋人だろうが、3日目とかに半日別行動を取れるみたいな行程が理想です^^

    例えば家族で沖縄に行ったとして、父母妹は国際通りで買い物したいなら、私は一人で沖縄戦の戦地巡りしてくるみたいな^^

    これ、提案してみても見事に却下されるのでもう言わないんですが、私はどうもそんな感じなんですよね

    わかってくださる方いますか?^^

    「じゃあ、一人で行けよ!」っていう声が聞こえてきています^^その通りです。もう一人旅が一番楽ですね^^

    少し脱線しますが、私、普段は人見知りであまり積極的に話しかけたりしないんですが、旅行先ではすごくフランクに会話できるんですよね^^

    あれ、なんなんですかね?同じ方いらっしゃいます?^^

    たぶんですけど、自分のバックボーンを知らない人には、ある程度恐れないで話せるのかなと思ったりします

    話を戻します

    「ひとり」って「孤独」とか「淋しい」みたいなイメージとくっついている事もあると思いますが、私からすると全然違うんですよね

    私にとって「ひとり」とは、主体性であり、自己決定であり、責任であるという感じです

    つまり、自分の行動は他者に振り回されることなく取りたい。他者と一緒に行動すると、私は自己主張せず他者を優先してしまう事がわかっているからこそ、ひとりでいる時間を意識的に作るようにしています

    それに、自分一人で考え、取った行動については、良くも悪くも自分の責任となるので、「自分はどういう事が好きで、嫌いなのか」ということが見えやすくなる気がします

    そうすると少しずつ自己理解が深まってくる感じがするんです

    だから、同居する家族がいたとしても、仕事帰りに1時間カフェに寄って帰るとか、そういう感じでひとり時間を生み出す感じですかね

    「ひとり○○」については、カラオケ、焼き肉くらいなら何の抵抗もなく楽しめてます

    あとは、なんだろう。40歳になるまで夜遊びを全くしてこなかったので、バーとか行ってみようかな^^

    あれ?バーって一人で行くもの?そもそもバーは夜遊びじゃないか^^

  • 友だち100人できるかな?

    36回目の投稿になります

    訪問者数、ビュー数共に少しずつではありますが増えてきており、嬉しい限りです^^初めまして様も、いつもご覧いただいている読者様もありがとうございます^^

    さて、今回は「友だち100人できるかな?」です

    先に言っておきますが、今回はしょうもないです^^最近重い話題が続いていたので、ちょっとライトな感じでいきます^^

    今の若い世代はわかりませんが、小学校入学くらいで、こんな歌教わりませんか?

    「1年生になったら♪1年生になったら♪友だち100人できるかな♬」

    希望に満ち溢れた歌でいいですよね。曲調も明るく、この時期にもぴったりな歌です

    しかし、しかしですよ。ここで私のグルグル考える変な癖(へき)が顔を覗かせます^^

    ・「友だち100人できたら、逆に大変じゃない?」

    いや~、あまのじゃくですね^^リアル世界で言ったらヤバい奴にされそうですが、ちょっと書いてみます

    友だち100人もいたら、大変じゃないですか^^

    話したり会ったり遊んだりするのも大変だし、一人一人にかける時間も薄くなってしまう気がします

    私は「広く浅く」より「狭く深く」タイプなので、互いの事を分かり合える人が1人でもいれば十分じゃないかと思ってしまいます

    ・「それって、自分を殺してない?」

    100人はそれぞれ考え方も行動も違いますよね。その100人と仲良くできるということは、それぞれの考え方や行動に自分が合わせるという事であり、それは他人軸なんじゃないかと思ったりする訳です

    児童向けの歌に何を言っているんだという感じですね^^

    作詞された詩人まどみちおさんに盾突くつもりも毛頭ありません^^

    でもね、私がちょっと思っているのは、世の中、「友だちがいること=良いこと」と考える向きがあるんじゃないかということです

    その考え自体は全く否定しません。ですが、それはあくまで考え方のひとつであり

    私は「友だちがいることはいいこと。だけど、いてもいなくてもいい。いなくても特に問題はない」と思うんですよね

    つまり、友だちがいないとか少ないとかっていうのはただの現象であって

    「友だちがいない=自分はダメな奴」というような、自己の価値に結び付けるような事はしなくていいんじゃないかと、40を過ぎたこの年齢になって思ったりする訳です

    しかも、学校を卒業して社会に出るとわかりますが、学生時代の「同じ年齢の数十人がクラスという集団で過ごす」という状況はとても歪(いびつ)です

    しかも高校なんて、受験によって階層化された均質な集団になりがちです

    そこを社会のすべてだと捉える必要はないと思うし、クラスで友だちできないなら、異端であることを誇っていいと思いますね^^

    このブログを読んでいる人で子どもはあまりいないとは思いますが、小学生、中学生、高校生の皆さん

    友だちは、いたらいたで素晴らしいことだと思うけど、いなくても全然大丈夫なんで^^

    私、友だちほとんどいませんけど、時間が足りないくらい楽しく充実した毎日過ごしてますんで^^

    もって生まれた特性や性格もあると思うのでね

  • 自己犠牲で自己肯定感を上げない

    32回目の投稿になります

    食べログ3.7より2.0くらいのお店の方が、ハズレも多いだろうけど、自分にドンピシャな店に出会えるのではないかと思ったりしている今日この頃です^^

    全然関係ない書き出しでスミマセン^^ちょっと内容が重めなので、ふざけた序文になりました^^

    さて、今回は「自己犠牲で自己肯定感を上げない」です

    だんだん書くネタもなくなっていくかと思いましたが、まだまだありそうです

    ジョギングしているときにふと思い浮かぶことが多い気がしています。忘れてしまうので、帰ってすぐメモに殴り書きする的な^^

    今はだいぶ改善した自覚がありますが、私は子どもの頃から、自己肯定感が低い人だったと思っています。原因はなんなんでしょう?今度深掘りしてみようかな^^

    自分に自信がないとき、私がやってしまっていたのが、タイトルにもある通り「自己犠牲による自己肯定感上げ」です

    自分自身にこれと誇れるものがなかったり(正確に言うと、たぶん人並みまたはそれ以上にできることがあったとは思いますが、その良さを自認できていない状態)、長所を見ずに短所にばかり目が向いてしまっていたりすると

    自分を犠牲にするくらい誰かや職場に尽くすことで「必要とされている感」を求めに行ってしまう事がありました

    でも、これって、ホントにいい事?みたいな問いを、この場で自分に投げかけてみます

    相手の言う事を断らずに聞いたり(ひどい時には自分からすすんで何かを提供するような挙動を見せたり)、時間外勤務を倒れる寸前まで頑張ろうとしたり、という事を以前はよくしてしまっていました

    自分を犠牲にして相手を優先することは美徳のように見えます

    特にそれが、一見すると人助けのように見える行為だったり、職場の危機を救うように見える行為だったりすると、その行為自体を否定されることはほとんどありません

    自ら気付いてブレーキを踏まない限り、どんどんエスカレートしてしまいます

    考え方の角度を変えると、相手を優先しすぎることは、自分のことを全く顧みていないことになります

    相手がテイカーだったり、ブラックな職場だったりすると、この構図はどんどん深みにはまっていく感じがします

    貸したお金なんて返ってこないし、過労で倒れたら取り返しのつかない事になることだってある

    他者や職場に振り回される事は、その時その時を考えれば、最も安易というか流された消極的選択であるように今は思えます

    つまり、自分の考えを押し殺し、主張せず尽くすことは、言い換えると相手と勝負していないというか事態を先送りしているだけという気がします

    気持ち的な借金がどんどん膨らみ、返済が滞ったままという感覚といいますか…

    「ノー」と断ることへの罪悪感、勇気のなさが原因なのかもしれません。もう少し深掘りすると、「ノー」と言えないという事は、自分を大切にしていないことにもつながるのではないかと思ったり…

    この辺りは、堂々巡りするだけで、明確な正解みたいなものを見出しづらい感じなんですよね

    だから、臨界点を越えると、ある日突然いなくなるみたいな事になるんですよね^^

    やっぱり「あの人(職場)に必要とされている自分に価値がある」っていう感覚は、いびつだなと思いますし、「変だな」と思えるメタ認知を獲得できて良かったなと今は思えますね

    これについては、最近読んだ本があります

    社会学者であり心理学者の加藤諦三さんの本で「無理をして生きてきた人」という本です

    長くなるので金曜日の書籍紹介で詳しく書こうと思いますが、自分の事、自分の母親の事がドンピシャで書いてあって、吐きそうになりながら読了しました^^

    もし、このブログをお読みのあなたが同じような感覚(過度な自己犠牲による自己肯定感上げ)を抱いているとするなら、私は

    「あなたは存在しているだけで十分尊い」と伝えたいですね^^

    たぶん、そういう生きづらさを抱えている人って、真面目で優しい人なんですよ

    だから「存在しているだけで十分」という言葉も「努力しなくていいって事ですか?それってダメじゃないですか?」みたいに思っちゃう気がするんです。以前の私がそうだったので^^

    重たい内容でごめんなさい^^

    最後までお付き合いいただきありがとうございました!続きは金曜日に^^

  • 考察「あごマスク」

    28回目の投稿になります

    先にお断りしておきますが、今回の投稿は、過去イチしょうもない内容になっておりますので、読まなくてもけっこうでございます^^

    ホントにしょうもないです。読んだところで得るものは特にございません。あなたの貴重な時間を奪わないよう先に申し上げておきます^^

    今回の内容は、「あごマスク」についてです

    2020年のコロナ禍くらいから、あごマスクの人の思考が気になっています^^「本人に聞けよ!」と思われるかもしれませんが、自分と思考回路が異なりそうな人と関わってもいいことなさそうなので聞けません^^

    あ、全くバカにしている訳ではありません

    現代社会は多様性を尊重する世の中ですので、様々な価値観があっていいと思っています。あくまで私の疑問という形で書いてみたいと思います

    また、反論も大いにけっこうです。この場で疑問を解消できれば素晴らしいことでございます

    では、本題

    私、あごマスクの人を見ると、純粋に「え?どこを守っているの?」って思ってしまうんです^^ちなみに鼻を出してマスクしている人も、ほぼ同義です

    マスクは、次のような用途で用いられるものだと私は思っています

    1,他者からの感染を防ぐ

    2,自分から他者への感染を防ぐ

    3,鼻、喉の保温、保湿

    4,顔を隠したい

    1つ目2つ目については、マスクってどちらかというと、自分から他者へ感染させない事がメインみたいですね

    また、N95のような医療用マスクでないと、感染防止効果はそんなにないなんて事も聞いたことがあります

    私は、冬には3つ目の理由で付けることもありますし、仕事中には4つ目の理由で付けることもあります

    しかし、ここであごマスクです。私が純粋に疑問に思っていることをいくつか書いてみます

    ・感染防止効果0だよ~

    ウィルスは鼻や喉から侵入し、粘膜から感染します。当たり前ですね^^コロナ禍の時などは、目から感染するなんていう報道も目にしました

    あごを一生懸命守っても、あごからは感染しませんよ~って思っちゃいます^^

    ・無理して付けなくてもいいんだよ~

    2020年、緊急事態宣言が出され、外出時にはマスクの着用が求められました

    正確には義務ではなかったのですが、お店や病院、公共交通機関などはマスクの着用を義務付ける所ばかりだったので、実質義務みたいなものだったと記憶しています

    仮にその時なら感覚的に理解もできるんです

    マスクはしたくない(または必要性を感じない)でも、着用を求められる。反抗心というか、アンチテーゼというか、「ここ(あご)にマスクしてるからええやろ」的な事でのあごマスクなら、ある程度合理性はあるかなと思ったりするわけです

    でも、今は、着用は完全に任意です。私も、自分が体調不良の時以外はほとんど着用していません

    だから、あごにマスクするならしなくていいのになって素朴な疑問が出てきちゃうんです^^

    ・場面によって上げたり下げたりしてる?

    でも、バスとか地下鉄とか、「今が付ける時でしょ?」っていう時もあごマスクっていう人もいるんですよね。肌感覚ですが、あごマスクの方は、常にあごマスクっていうイメージがあります

    あと、あごマスクって、上げ下げすることであごに付着しているウィルスを口内に取り込むことになり、あまり衛生的でないともいいますよね

    う~ん、謎が深まる^^

    ・あご寒いのかな?

    これか?これなのか?^^

    ごめんなさい^^あの、バカにしているつもりは全くないんです

    私、人間観察しちゃう癖があるんです

    5歳くらいの我が子のえりあしだけ長くして髪染めてるお父さんとか、車高低くして排気ふかしてコンビニ入るときにバンパーこすってる若者とか、私の価値観では理解不能な方を見ると、「なぜそういう挙動を取るんだろう?」「どういう考え方なんだろう?」って気になって考えちゃうんです

    こんなしょうもない事に1500字も使ってしまいました^^

    最近、重めの内容が多かったので、ふざけた訳ではないのですが、私の中でクリクリクリクリ考えてもうまく消化できなかった話題を投げてみました

    貴重なお時間を取っちゃってゴメンね^^

    これに懲りず、またお越しください