♯95 全身麻酔をしてみて思った事

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95回目の投稿になります

私、昨年交通事故(一応書いておくと、こちらの過失0の完全なもらい事故です^^)で右の顔面を強打し、頬とあごの骨を骨折、歯も右側をほとんど失う事となりました

そして、歯については、インプラントを入れる事にしました

あ、のっけから重い話でスミマセン^^

無事、今日、インプラントの治療が終了し、制限なく飲み食いできるようになりました^^

あ、別に不幸自慢をしたい訳でも、共感を求めたい訳でもありません

書いてみたいのは、インプラントの手術をする時に行われた「全身麻酔」についての考察です

今、思い返すと、けっこう新鮮な体験だったなと思ったので、記録がてら書いてみます

インプラント治療は、インプラントに変える部分の歯を全て取り除きます。私で言えば、右半分をほぼ抜いて、そこに上下各2本のインプラント体を骨に埋め込む

その時の手術で行われるのが全身麻酔です

手術台に横になり、麻酔担当の医師から説明を受けます

そして、麻酔が点滴を通して体内に入ってきます

そこから、手術終了まで約2時間の記憶がまったくありません^^

「あー、意識がぼんやりしてきたな」とか「視界がモザイクになっていく」みたいな感覚は皆無^^

グラデーションで意識が薄れていくのではなく、パッと遮断された感覚です

意識を取り戻したときは、看護師さんに名前を呼ばれ、目が覚めた感じでした

そして、その時には、手術箇所の歯はきれいに抜かれ、インプラント体も埋め込まれていました

10分ほどで意識もはっきりし、看護師さんと会話のやり取り、脈拍、瞳孔の動きなどを確認され、問題なしという事で手術は無事終了となりました

ここまでが事実と状況の説明になります

ここからが内省になります^^

まず考えたのは、「その2時間は、私は生きているといえるのか?」という事です^^

体は生きているのはわかります。呼吸もしているし心臓も動いてますから

でも、意識はない。という事は、その2時間は存在していない事になるのではないか?

周りから見たら明らかに生きているのはわかります。しかし、私の意識の問題としては、その2時間この世界に存在していたと言えるのかということです

付いて来れていない方は、ここで離脱していただいてもかまいません^^スミマセン

続けます

先述したように、麻酔の時は、グラデーションではなく意識は急に途切れました

その時の状況について思いを巡らせると、自分が死ぬとき、これでいいんじゃないかと思ったんです^^

ここで言う「死ぬ」は、交通事故や自殺ではなく、年老いたり病気になったりして死ぬ事と定義します

一般的には「病気になる→余命宣告→治療→衰え→死ぬ」みたいな流れだと思いますが

余命宣告を受けて、身辺整理や死後の手続きなどを終えて、「もうやり切った」「あとは死を待つだけ」となった場合

今回の全身麻酔のような形で死を迎えるのってアリだなと思いました

私、今は、自分の人生を自分でコントロールしている実感がありまして

それは、キャリアやお金、時間、世間体や社会常識などに対する自分なりの解(マインド)が再構築されたからですが

他人の言動はコントロールできないからあれこれ考えすぎないとして、自分の事は全てコントロール下において、自分で意思決定したいと思うようになりました

そうすると、今回の全身麻酔のような形で人生を終えるのって、コントロールできてるなって思うんです

病気の最後の方って、体も満足に動かないんだろうし、痛いんだろうし、QOLはめちゃくちゃ低いんだろうなって思います^^

だったら、ある程度の段階で「あ、僕、ここまででいいんで、点滴投入しちゃってください。今までありがとうございました」

みたいな終え方、いいんじゃないかと思ったりしました

日本では安楽死については認められていないし、生命尊重や自己決定権など専門家でも見解が分かれるような難しく多様な議論があるので、そこには言及しません

もしかしたら、私が書いた方法での死に方も、広義では「自殺」に含まれるのかもしれません

それに、いざ70歳とかになって死が現実的になってきたら「わしゃ、1分1秒でも長く生きたいんじゃ」とか言い出すかもしれないし^^

こんなことを、札幌の歯医者から帰る道中、運転しながら考えたりしていました

あ、「殺す」とか「死ぬ」とかって、SNS上でははじかれやすいから、あまり使わない方がいいって言われたばっかりだった^^

まあ、いっか^^書きたい事を書こう^^

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