カテゴリー: 内省

  • 一人時間はマスト

    40回目の投稿になります

    さて、今回は「一人時間はマスト」です

    私は、一人の時間がないとちょっとしんどくなってきます

    以前、「静かな人の戦略書」という本の紹介の時にも書きましたが、私にとっての一人時間は「疲れを回復させ、メンタルを整理する大切な時間」なんです

    特に精神的な疲れ(人間関係での気遣い・たくさんの選択や決断など)を癒す時間が私には必要です

    そういう時間に本を読んだり、料理をしたり、ドライブしたりして回復するのです

    例えばドライブだと、運転という作業は必要だけど運転自体に100%のリソースを割かなくてもいい。そうすると、その脳の余白みたいな部分で色々と考えを巡らせる中で気づきが起きたりするんです

    最近は小説を読んで本の世界に行く事で、脳が休まるような感覚を覚えます。そういう時間がすごくいいんです

    ただし、これを正直に外に発信すると、軋轢を生むことがあるという事も理解しています

    その具体例を挙げてみます

    例えば友人や恋人、家族と旅行へ行く時です。特に3泊4日とかそれくらいの旅行をイメージしてみます

    旅行って、常に行動を共にするのが基本じゃないですか(なにを当たり前なことをと思った方は外向型かもしれません^^)

    もちろんそれは理解しているので、1泊2日とかなら我慢できるんです。でも2泊以上になると、ずっと人といる事がしんどくなってきてしまいます

    もう人間関係不適合者ですね^^

    私は、家族だろうが恋人だろうが、3日目とかに半日別行動を取れるみたいな行程が理想です^^

    例えば家族で沖縄に行ったとして、父母妹は国際通りで買い物したいなら、私は一人で沖縄戦の戦地巡りしてくるみたいな^^

    これ、提案してみても見事に却下されるのでもう言わないんですが、私はどうもそんな感じなんですよね

    わかってくださる方いますか?^^

    「じゃあ、一人で行けよ!」っていう声が聞こえてきています^^その通りです。もう一人旅が一番楽ですね^^

    少し脱線しますが、私、普段は人見知りであまり積極的に話しかけたりしないんですが、旅行先ではすごくフランクに会話できるんですよね^^

    あれ、なんなんですかね?同じ方いらっしゃいます?^^

    たぶんですけど、自分のバックボーンを知らない人には、ある程度恐れないで話せるのかなと思ったりします

    話を戻します

    「ひとり」って「孤独」とか「淋しい」みたいなイメージとくっついている事もあると思いますが、私からすると全然違うんですよね

    私にとって「ひとり」とは、主体性であり、自己決定であり、責任であるという感じです

    つまり、自分の行動は他者に振り回されることなく取りたい。他者と一緒に行動すると、私は自己主張せず他者を優先してしまう事がわかっているからこそ、ひとりでいる時間を意識的に作るようにしています

    それに、自分一人で考え、取った行動については、良くも悪くも自分の責任となるので、「自分はどういう事が好きで、嫌いなのか」ということが見えやすくなる気がします

    そうすると少しずつ自己理解が深まってくる感じがするんです

    だから、同居する家族がいたとしても、仕事帰りに1時間カフェに寄って帰るとか、そういう感じでひとり時間を生み出す感じですかね

    「ひとり○○」については、カラオケ、焼き肉くらいなら何の抵抗もなく楽しめてます

    あとは、なんだろう。40歳になるまで夜遊びを全くしてこなかったので、バーとか行ってみようかな^^

    あれ?バーって一人で行くもの?そもそもバーは夜遊びじゃないか^^

  • 友だち100人できるかな?

    36回目の投稿になります

    訪問者数、ビュー数共に少しずつではありますが増えてきており、嬉しい限りです^^初めまして様も、いつもご覧いただいている読者様もありがとうございます^^

    さて、今回は「友だち100人できるかな?」です

    先に言っておきますが、今回はしょうもないです^^最近重い話題が続いていたので、ちょっとライトな感じでいきます^^

    今の若い世代はわかりませんが、小学校入学くらいで、こんな歌教わりませんか?

    「1年生になったら♪1年生になったら♪友だち100人できるかな♬」

    希望に満ち溢れた歌でいいですよね。曲調も明るく、この時期にもぴったりな歌です

    しかし、しかしですよ。ここで私のグルグル考える変な癖(へき)が顔を覗かせます^^

    ・「友だち100人できたら、逆に大変じゃない?」

    いや~、あまのじゃくですね^^リアル世界で言ったらヤバい奴にされそうですが、ちょっと書いてみます

    友だち100人もいたら、大変じゃないですか^^

    話したり会ったり遊んだりするのも大変だし、一人一人にかける時間も薄くなってしまう気がします

    私は「広く浅く」より「狭く深く」タイプなので、互いの事を分かり合える人が1人でもいれば十分じゃないかと思ってしまいます

    ・「それって、自分を殺してない?」

    100人はそれぞれ考え方も行動も違いますよね。その100人と仲良くできるということは、それぞれの考え方や行動に自分が合わせるという事であり、それは他人軸なんじゃないかと思ったりする訳です

    児童向けの歌に何を言っているんだという感じですね^^

    作詞された詩人まどみちおさんに盾突くつもりも毛頭ありません^^

    でもね、私がちょっと思っているのは、世の中、「友だちがいること=良いこと」と考える向きがあるんじゃないかということです

    その考え自体は全く否定しません。ですが、それはあくまで考え方のひとつであり

    私は「友だちがいることはいいこと。だけど、いてもいなくてもいい。いなくても特に問題はない」と思うんですよね

    つまり、友だちがいないとか少ないとかっていうのはただの現象であって

    「友だちがいない=自分はダメな奴」というような、自己の価値に結び付けるような事はしなくていいんじゃないかと、40を過ぎたこの年齢になって思ったりする訳です

    しかも、学校を卒業して社会に出るとわかりますが、学生時代の「同じ年齢の数十人がクラスという集団で過ごす」という状況はとても歪(いびつ)です

    しかも高校なんて、受験によって階層化された均質な集団になりがちです

    そこを社会のすべてだと捉える必要はないと思うし、クラスで友だちできないなら、異端であることを誇っていいと思いますね^^

    このブログを読んでいる人で子どもはあまりいないとは思いますが、小学生、中学生、高校生の皆さん

    友だちは、いたらいたで素晴らしいことだと思うけど、いなくても全然大丈夫なんで^^

    私、友だちほとんどいませんけど、時間が足りないくらい楽しく充実した毎日過ごしてますんで^^

    もって生まれた特性や性格もあると思うのでね

  • 自己犠牲で自己肯定感を上げない

    32回目の投稿になります

    食べログ3.7より2.0くらいのお店の方が、ハズレも多いだろうけど、自分にドンピシャな店に出会えるのではないかと思ったりしている今日この頃です^^

    全然関係ない書き出しでスミマセン^^ちょっと内容が重めなので、ふざけた序文になりました^^

    さて、今回は「自己犠牲で自己肯定感を上げない」です

    だんだん書くネタもなくなっていくかと思いましたが、まだまだありそうです

    ジョギングしているときにふと思い浮かぶことが多い気がしています。忘れてしまうので、帰ってすぐメモに殴り書きする的な^^

    今はだいぶ改善した自覚がありますが、私は子どもの頃から、自己肯定感が低い人だったと思っています。原因はなんなんでしょう?今度深掘りしてみようかな^^

    自分に自信がないとき、私がやってしまっていたのが、タイトルにもある通り「自己犠牲による自己肯定感上げ」です

    自分自身にこれと誇れるものがなかったり(正確に言うと、たぶん人並みまたはそれ以上にできることがあったとは思いますが、その良さを自認できていない状態)、長所を見ずに短所にばかり目が向いてしまっていたりすると

    自分を犠牲にするくらい誰かや職場に尽くすことで「必要とされている感」を求めに行ってしまう事がありました

    でも、これって、ホントにいい事?みたいな問いを、この場で自分に投げかけてみます

    相手の言う事を断らずに聞いたり(ひどい時には自分からすすんで何かを提供するような挙動を見せたり)、時間外勤務を倒れる寸前まで頑張ろうとしたり、という事を以前はよくしてしまっていました

    自分を犠牲にして相手を優先することは美徳のように見えます

    特にそれが、一見すると人助けのように見える行為だったり、職場の危機を救うように見える行為だったりすると、その行為自体を否定されることはほとんどありません

    自ら気付いてブレーキを踏まない限り、どんどんエスカレートしてしまいます

    考え方の角度を変えると、相手を優先しすぎることは、自分のことを全く顧みていないことになります

    相手がテイカーだったり、ブラックな職場だったりすると、この構図はどんどん深みにはまっていく感じがします

    貸したお金なんて返ってこないし、過労で倒れたら取り返しのつかない事になることだってある

    他者や職場に振り回される事は、その時その時を考えれば、最も安易というか流された消極的選択であるように今は思えます

    つまり、自分の考えを押し殺し、主張せず尽くすことは、言い換えると相手と勝負していないというか事態を先送りしているだけという気がします

    気持ち的な借金がどんどん膨らみ、返済が滞ったままという感覚といいますか…

    「ノー」と断ることへの罪悪感、勇気のなさが原因なのかもしれません。もう少し深掘りすると、「ノー」と言えないという事は、自分を大切にしていないことにもつながるのではないかと思ったり…

    この辺りは、堂々巡りするだけで、明確な正解みたいなものを見出しづらい感じなんですよね

    だから、臨界点を越えると、ある日突然いなくなるみたいな事になるんですよね^^

    やっぱり「あの人(職場)に必要とされている自分に価値がある」っていう感覚は、いびつだなと思いますし、「変だな」と思えるメタ認知を獲得できて良かったなと今は思えますね

    これについては、最近読んだ本があります

    社会学者であり心理学者の加藤諦三さんの本で「無理をして生きてきた人」という本です

    長くなるので金曜日の書籍紹介で詳しく書こうと思いますが、自分の事、自分の母親の事がドンピシャで書いてあって、吐きそうになりながら読了しました^^

    もし、このブログをお読みのあなたが同じような感覚(過度な自己犠牲による自己肯定感上げ)を抱いているとするなら、私は

    「あなたは存在しているだけで十分尊い」と伝えたいですね^^

    たぶん、そういう生きづらさを抱えている人って、真面目で優しい人なんですよ

    だから「存在しているだけで十分」という言葉も「努力しなくていいって事ですか?それってダメじゃないですか?」みたいに思っちゃう気がするんです。以前の私がそうだったので^^

    重たい内容でごめんなさい^^

    最後までお付き合いいただきありがとうございました!続きは金曜日に^^

  • 考察「あごマスク」

    28回目の投稿になります

    先にお断りしておきますが、今回の投稿は、過去イチしょうもない内容になっておりますので、読まなくてもけっこうでございます^^

    ホントにしょうもないです。読んだところで得るものは特にございません。あなたの貴重な時間を奪わないよう先に申し上げておきます^^

    今回の内容は、「あごマスク」についてです

    2020年のコロナ禍くらいから、あごマスクの人の思考が気になっています^^「本人に聞けよ!」と思われるかもしれませんが、自分と思考回路が異なりそうな人と関わってもいいことなさそうなので聞けません^^

    あ、全くバカにしている訳ではありません

    現代社会は多様性を尊重する世の中ですので、様々な価値観があっていいと思っています。あくまで私の疑問という形で書いてみたいと思います

    また、反論も大いにけっこうです。この場で疑問を解消できれば素晴らしいことでございます

    では、本題

    私、あごマスクの人を見ると、純粋に「え?どこを守っているの?」って思ってしまうんです^^ちなみに鼻を出してマスクしている人も、ほぼ同義です

    マスクは、次のような用途で用いられるものだと私は思っています

    1,他者からの感染を防ぐ

    2,自分から他者への感染を防ぐ

    3,鼻、喉の保温、保湿

    4,顔を隠したい

    1つ目2つ目については、マスクってどちらかというと、自分から他者へ感染させない事がメインみたいですね

    また、N95のような医療用マスクでないと、感染防止効果はそんなにないなんて事も聞いたことがあります

    私は、冬には3つ目の理由で付けることもありますし、仕事中には4つ目の理由で付けることもあります

    しかし、ここであごマスクです。私が純粋に疑問に思っていることをいくつか書いてみます

    ・感染防止効果0だよ~

    ウィルスは鼻や喉から侵入し、粘膜から感染します。当たり前ですね^^コロナ禍の時などは、目から感染するなんていう報道も目にしました

    あごを一生懸命守っても、あごからは感染しませんよ~って思っちゃいます^^

    ・無理して付けなくてもいいんだよ~

    2020年、緊急事態宣言が出され、外出時にはマスクの着用が求められました

    正確には義務ではなかったのですが、お店や病院、公共交通機関などはマスクの着用を義務付ける所ばかりだったので、実質義務みたいなものだったと記憶しています

    仮にその時なら感覚的に理解もできるんです

    マスクはしたくない(または必要性を感じない)でも、着用を求められる。反抗心というか、アンチテーゼというか、「ここ(あご)にマスクしてるからええやろ」的な事でのあごマスクなら、ある程度合理性はあるかなと思ったりするわけです

    でも、今は、着用は完全に任意です。私も、自分が体調不良の時以外はほとんど着用していません

    だから、あごにマスクするならしなくていいのになって素朴な疑問が出てきちゃうんです^^

    ・場面によって上げたり下げたりしてる?

    でも、バスとか地下鉄とか、「今が付ける時でしょ?」っていう時もあごマスクっていう人もいるんですよね。肌感覚ですが、あごマスクの方は、常にあごマスクっていうイメージがあります

    あと、あごマスクって、上げ下げすることであごに付着しているウィルスを口内に取り込むことになり、あまり衛生的でないともいいますよね

    う~ん、謎が深まる^^

    ・あご寒いのかな?

    これか?これなのか?^^

    ごめんなさい^^あの、バカにしているつもりは全くないんです

    私、人間観察しちゃう癖があるんです

    5歳くらいの我が子のえりあしだけ長くして髪染めてるお父さんとか、車高低くして排気ふかしてコンビニ入るときにバンパーこすってる若者とか、私の価値観では理解不能な方を見ると、「なぜそういう挙動を取るんだろう?」「どういう考え方なんだろう?」って気になって考えちゃうんです

    こんなしょうもない事に1500字も使ってしまいました^^

    最近、重めの内容が多かったので、ふざけた訳ではないのですが、私の中でクリクリクリクリ考えてもうまく消化できなかった話題を投げてみました

    貴重なお時間を取っちゃってゴメンね^^

    これに懲りず、またお越しください

  • エピクテトス

    24回目の投稿になります

    近所のツルハに売っている「好烏龍(ハオウーロン)」という飲み物がおいしすぎて、毎日飲んでます。マンゴーとオレンジのジュースでウーロン茶感は全くないのですがとても好きです

    私、一度気に入った物や事に出会うと浮気せず添いとげるタイプかもしれません^^昨日、箱で買ってしまいました

    どうでもいい話すぎてスミマセン^^

    さて、今回は「エピクテトス」です。エピクテトスって何?と思われた方もいるかもしれません。古代ギリシャの哲学者です。50年生まれとされているので、今から約2000年前の人です

    エピクテトスが苦悩し、考え、主張したことは、2000年経った現在にも通ずることばかりです

    少なくとも私は、5年前くらいに彼の思想に出会い、大きな影響を受けました

    今回は、その思想の一部と、私がどのように受けとめたかについて書いてみたいと思います

    エピクテトスを理解するキーワードの1つが「軽く見る」です

    自分の人生に関わることは、大きく2つに分けられます。それは

    「自分の力でコントロールできないこと」と

    「自分の力でコントロールできること」です

    エピクテトスは、この「自分の力でコントロールできないこと」は軽く見なさいと言いました。そして、自分でコントロールできることに力を注ぐべきとしたのです

    いくつか具体例で自分なりに考えてみました

    • 自然災害

    例えば地震はいつ来るかわかりません。南海トラフ地震が今後30年で起こる確率は80%と言われても、それは明日かもしれないし30年後かもしれない。これは、自分でコントロールできないことにあたります。それに脅えても仕方がないですよね

    コントロールできることはなにか。それは、水や食料の備蓄であり、避難経路の確認だと思うのです

    • 他者の行動

    例えば、自分が相手に何かをしてあげた時。「こういう感謝の言葉があるんじゃないか」「こういう反応をしてくれるんじゃないか」と思う気持ちはあると思います

    でも、それが全くないとします

    この時、「おかしい!」「不義理だ!」と思っても、相手の気持ちや行動はこちらのコントロールの外なので、仕方がないと「軽く見る」ことがエピクテトス的には大切だということなんですね(難しいですけどね^^)

    私も、相手に何かをしてあげた時は、した時点でそれはもう自分の中で完結!と思うようにしています

    モヤモヤ感が全くないのかと言われれば0ではありませんが、コントロールできないことに執着しても仕方がないですからね

    来るもの拒まず去るもの追わず的なところがあるのかもしれません

    逆に、義理堅くお礼をしてくれる方は、尊敬の対象になったりします

    今思いましたが、そもそも、「してあげた」という表現自体、見返りを期待している感じで良くないかもしれませんね^^

    私もまだまだ修行が足りません^^

    さて、エピクテトスが他の哲学者と大きく異なる点が1つあります。それは、彼が奴隷身分であったということです

    働くこと、食べること、寝ること、生きる上でほとんどのことを制限されていました。しかし、ここで彼は思うのです。ただ1つ自由なものがあると

    それが「意志」です

    考えること、試行錯誤すること、決断することは、誰からも奪われることはありません。こんな貴重な「意志」を、他人に渡していい訳はない

    自分が何をしたいのか、何を大切にしたいのかが最も大切なのだ、と彼は言うのです

    私は数年前に適応障害を発症し、前職を辞めるまでは、世間体や周囲の目、こうあるべきという社会規範に縛られて生きてきました

    今となってはすごく恥ずかしい話ですが、私は、高校進学も大学受験も、就職も、親の考え(誘導)に引っ張られて生きてきました

    一例を言いますと、国語と社会科が好きなのに、高校は成績が足りているという理由で、普通科より1個レベルの高い理数科へ行きました(なにやってんだ^^)

    このような「他人軸で生きてきた自分」については、今後このブログで大いに語ろうと思います^^

    今は、その反動もあってか、かなり自由を謳歌しているという自覚があるし、なにより毎日が楽しいです^^

    「自分の人生、やりたいように生きる!(ミスったら、その都度考えよう^^)」

    そんな現在の自分を形作る一助となってくれたエピクテトスには、ホント感謝しています

    文字があって、本があって、ホントに良かったです^^

  • 一度見限ると二度と戻らない

    19回目の投稿になります

    私は北海道に住んでいますが、最近は日差しも暖かく、春めいてきました。朝走っていてもとても気持ちいいです。朝日を浴びるとメンタルが整ってくるというのは正しいかもしれないと感じる今日この頃です。太陽、偉大やな^^

    さて、今回は「一度見限ると二度と戻らない」です。だいぶ刺激的なタイトルです^^

    私、自分で言うのもなんですが、穏やかな性格だと思います

    優しいとか、物腰が柔らかいとかそういう表現もできるかと思います。おそらく他者からの評価もほぼ同様であるかと思います

    これまでの人生、大きな声で怒鳴りつけたり、人の悪口を公的な場で言ったりしたことはないと思います。(あ、脳内では悪口祭りが開催されることはあります^^)

    しかし、その性格がゆえに、うまく不満を伝えたりできずにストレスを溜め、結局は相手から見ると急に関係を切られたように感じる行動を起こしてしまうことがあります

    とりあえず「リセット癖(へき)」とでも呼んでおきましょう

    いつもより少し深い所まで話してみるので、「ちょっと重たそうだな」と感じた方は、ここでおやめください^^

    では、書いてみます

    私は、相手に失礼な言葉を吐かれたりわがままな態度を取られても、怒りません

    が、しかし、不満と言うか違和感は当然あります。表に出す平気そうな表情と内面のストレス値にギャップが生じてきます

    相手からすると、何も問題が起きていない人に見えるのかもしれません。だから「今くらいの言葉(態度)は、この人にはOKなんだ」となってしまうのかもしれません

    これが積み重なると、コップに水が溜まっていくようにストレスの水位が上がっていきます

    でも、そのタイミングでも信じてみるんです。「いつか変わってくれるんじゃないか」「そんな人じゃないはずだ」と

    でも、変わらないんですね^^表面張力ギリギリまで耐え、ついに溢れ出すということが起こります。その溢れ出したタイミングが、私が人間関係を切ってしまう臨界点になってしまうのです

    このタイミングにおいても怒りません^^

    関心がなくなるというか、距離を置き、その人の存在ごとなかったことにしてしまう感じですかね(コワ^^)

    一度、そういうことになった人と話すことになったとき「言ってくれれば気を付けたのに」って言われました

    それって結構こちらからすると刃物に近い強い言葉で「え?言われなければ配慮しないってこと?」みたいに思ってしまうんですよね

    だから、その人に対する怒りはなく、ただただ無関心になるという感じでしょうか

    あと、この感覚って二度と戻らないというか「じゃあ、和解してもう一度関係修復を」ってならないんですよね^^たぶん、私の性格に難があるんだと思います。もっと早い段階で「そこ、ちょっと直してほしいんだけど…(にっこり笑顔)」みたいな事が必要なのかな

    うまく伝わるかわかりませんが、「ゆで卵になっちゃったら、変質しちゃって、もう生卵には戻らないでしょ」っていう感覚です^^

    今、書いてて思いましたが、このような感覚なので、私はだいたいの人には常に敬語だし、パーソナルスペース広めなのかもしれません

    でもね、こんな自分でも、たまにすごく気の合うというか、価値観も近いし一緒にいて落ち着くような人に出会うとすごく嬉しくなったりします

    まだ、人間の心は持ち合わせていると思いたい^^

    今回は、あまりうまくまとめられなかった気がしますが、こんな時もあるということで^^

  • カラオケどう立ち回る問題

    14回目の投稿になります

    アクセス解析によって、思いの外たくさんの方に読まれていることが判明し、ややビビっていますが^^雰囲気は特に変えず続けていきます

    というか、今回は、雰囲気を変えずどころか、めちゃくちゃしょうもない話題です。特に期待せずお読みください^^

    最近、カラオケについて考える機会がありました

    「カラオケについて考えるって何?カラオケって何か考えることあったっけ?」と感じた方は、おそらく外向型だと思われます^^

    ですが、内向型人間にとっては、カラオケって色々なものが渦巻いているんですよね^^

    いくつかのパターンに分けて書いてみます

    1 ひとりカラオケ

    私は40過ぎにして初めて、昨年「ひとりカラオケ」に行きました。以前は「ひとりでカラオケなんて変に思われないかな?」みたいな感覚があって、足が向きませんでした

    でも、「変に思われる対象って誰?店員さん?一期一会の店員さんになんて思われようとよくね^^」「そもそも、お前の事、誰も気にしてないんじゃね^^」というメタ認知が発動し、一人で行きました

    それが、すごく楽しかったんですね^^

    当たり前ですが、自分の好きな曲を歌える。このアーティストのこのアルバムのこの曲!みたいのを誰にも気兼ねせずに歌えるのは、とても楽しいです

    「店員さんがドリンクとか運んできたときに歌うのどうするか問題」については未解決のままです^^まあ、セルフの店もたくさんありますし、特にストレスはないかなといったところです

    2 ある程度の人数でいくカラオケ

    最近はそんな場面がほとんどないので昔を回顧する形になりますが、職場の飲み会とかがこれに該当し、すごくイヤでした^^というか苦手でしたね~

    まず、歌わないというのは場の空気を下げるかなと思うので、その選択肢はなし。選曲は、ここにいる人全員がわかる感じの曲にした方がいいよな。50代の上司もいれば、20代の女性もいるぞ。うーん、スピッツの「チェリー」とかならみんな知ってるかな?あ、でももうちょっとアップテンポの曲の方がいい?「空も飛べるはず」にする?テンポ大して変わらんか^^いいや、入れちゃえ

    歌い始めてからも…

    あ、みんな知ってるっぽい。良かった良かった。前に歌った上司めちゃくちゃ音外してたけど、うまく歌っちゃって大丈夫?ちょっと外した方がいい?(余談ですが、私、おばあちゃんに連れられて詩吟習ってたんで、ほぼほぼメロディー通りには歌えます)まあいいや、できるだけ抑揚なくしてそれなりに歌おう。あ、なんとか終わった。よかったよかった。あー、時間的にあと2まわりくらいあるなあ。帰りてぇ…帰って乱歩(あ、江戸川乱歩のことです^^)読みてぇ…

    って思ってました^^今の仕事はシフト制のため全体の飲み会はないので、かなり気楽です

    3 1対1でいくカラオケ

    次に、1対1で行く時です。「いや、誰かと行く時点で何人とか関係ないやろ?」と思われるかもしれませんが、自分的にはだいぶ違うんですよね。少し書いてみます

    まず、自分の中で1対1で行くのは、かなり親密な相手ということになります。そうすると

    「○○さんってどんな曲歌うんだろう?」と、選曲からその人の内面や考えを知ろうみたいなスイッチが入ってしまうんですよね。「この人、どんな本好きなのかな?」とほぼ同義です^^

    だから、自分も知ってる曲で一緒に盛り上がったり共感したりしたい気持ちももちろんありますが、一方で、私が全然知らないアーティストやマニアックな曲を歌ってほしいと思ったりします

    なんなら、知らなかった曲を後で家で聴いたりしてそのアーティストを聴き始めたりします

    でも、自分がそれ(マニアックな曲を入れること)をするにはちょっと抵抗あるんですよね

    なんか、書いててめちゃくちゃめんどくさいヤツだなと思い始めてきました^^

    「知らん歌聴かされて、暇なんじゃないかな」とか思っちゃうんですよね

    でも、最近は「1対1で行くくらいの仲だったら、好きな曲歌ってね~って言えばいいだけの話やろ」と思えるので、口に出して言えばいいだけですね^^

    こんな1800文字も使って書くような内容じゃなかったような気がしますが、少しでも共感できる方いらっしゃいましたら嬉しいです^^

    結論としては「ごちゃごちゃ言ってないで歌いたい曲歌えや!」ってことになるんですけどね^^

    まあ、めんどくせえヤツですわ^^終わりでーす^^

    次は、もっとちゃんとした内容を…

  • たくさんの人が読んでくれてた^^

    13回目の投稿になります

    本当なら更新しないタイミングなんですが、「へぇ」と思ったことがあったので、感情が新鮮なうちに、本日2本目書いてみます^^

    私は、このブログ、ワードプレスでドメインを作成し投稿しています。月額900円ほど、年額10000円ちょっと課金しています。「課金したからには投稿を続けるよね?」と自らに負荷をかける意味も込め、有料ブログにしました^^

    そんなことはどうでもいいんですが、あまり機能もわからず投稿を続けていたところ、さきほど、「アクセス解析」という項目があることに気付きました

    クリックしてみたところ、次のようなデータが

    2/27~3/5の1週間

    ・PV数…総数1695、平均242

    ・UU数…総数338、平均48

    え?こんなにたくさん読まれてたの?^^

    始めたばかりだし、なんとなく訪問者数3とかなのかなって思ってたけど、予想よりたくさんの人が訪れていてくれたことが判明しました

    逆にお聞きしたいんですが、なにきっかけでここに来られたんでしょうか?^^

    すごく気になります

    あと、「UU数」って何?^^

    ちょっと調べてみました

    UU数とはユニークユーザー数の略で、「計測期間中に、何人があなたのブログを訪問したかを示す指標」とのことです

    ちなみにPV数とはページビュー数の略で「閲覧されたページ数の合計」です

    ん?じゃ、UU数が338ってことは、1週間で338人がこのブログを訪問してくれたってこと?

    来すぎじゃね?^^

    しかも、1週間毎日来てくれた人がいたとしてもそれは「カウント1」らしいので、純粋に338人来てくれてたってことになりますね

    あと、PV数がUU数の約5倍ということは、平均して5つくらいは読んでいってくれているということか~

    もしかしたら全部読んでくれた方もいるのかなあ~。時間使わせちゃってスミマセン、じゃなかった^^たくさん読んでくれてありがとうございます!油断するとすぐネガティブ方向へ行きそうになるのでね^^

    自己理解促進のために始めたブログなので、ビュー数みたいなのはこれからもそれほど気にせず書いていくのだとは思いますが、たくさんの方に訪れていただくのは嬉しいことです

    ちなみに、私、まだコメントというものをいただいたことがありません。これをお読みのそこのあなた!どのような経路でここに辿りついたのか、または記事の感想など残していただけると泣いて喜びます^^

    では、皆様、体調に留意され、良い週末をお過ごしくださいませ

  • 敬語

    10回目の投稿になります。投稿のペースがつかめてきた気がします^^

    変わらずのんびりとやっていきます^^

    さて、今回は「敬語」です。

    私は、家族と友人(といっても、ほとんどいませんが^^)以外と話すときは、ほぼ敬語です。

    初対面の人にはもちろん

    店員さんにも

    職場の上司にも

    職場の後輩にも^^

    これについて考えてみたいと思います

    まずは、自分自身の認識として「他者には丁寧であるべきだ」というのがあります。飲食店などでたまに、店員さんにすごく上から目線で話す人を見かけますが、あれはなんなんでしょうね^^

    客はお金を払う、店は食べ物というサービスを提供する、本来その関係性は対等であるはずなのに。「俺は金払ってるんだから!」みたいなことなのかな~

    見ていてあまり気持ちのいいものではありませんね

    あ、めちゃくちゃ脱線しました^^

    あとは、ぶっちゃけると「敬語の方が楽」というのもあります。

    相手と会話するとき、その都度「この人は自分より年上だ。だから敬語だ。」「この人は新人さんだ。だからタメ口で。」「この人は、年上だけど勤続は私の方が長い。これは、えーっと、どっち?^^」みたいな判断は感情のリソースを消耗するので、全部まとめて敬語が楽というのもあります。

    もともと私は、自己のパーソナルスペースがやや広めかもと思います

    自分の事をガードしたくなるから、相手にも必要以上に踏み込まない。その1つとして敬語を使って、相手と一線を引くみたいなところもあるのかもしれません。

    ただですね^^ここから少しぶっちゃけますが、私は以前から「年上だから敬語はマスト」ということに、どうもしっくりきていない気がします。

    年齢で人の価値って測れるのかなっていつも思います

    だって、年上だけどしょうもない人もいますし^^、年下だけど聡明で利発で尊敬できる人もいます。年齢が上ってだけで敬意の対象になるのかなと思ってしまいます。

    あと、「俺は年上だ」「俺は上司だ」とか自分で言っちゃう人って、人を数値とか肩書きみたいな見えるもので判断しがちだと思います。

    でも、本当に大切なのは中身なんじゃないかなと。

    でも、その「中身」って可視化されにくいし、ある程度関係を深めないとわからないこともあるから難しいですね^^

    私のことはいったん置いておいたとして、私は、敬語で丁寧に接する人が大きな声で怒鳴ったり、キレたりしているのを見たことがありません。

    敬語で接する人は、情緒が安定しているというか、そんな気がしますね。

    最後に、これ、けっこうリトマス試験紙みたいだなと思うことがあります。それは、こちらが礼儀正しく敬語で接していると、まともな人は同じくらいの礼儀で返してくれるけど、ヤバめな人はナメてかかってくることがあることです^^

    関係を深めたい人とそうでない人が自然と選別されていくという…ね^^

  • 怒られているのを聞くのがしんどい^^

    7回目の投稿になります。今回から、

    月曜21時…内省的な投稿

    水曜21時…好きな曲の投稿

    金曜21時…好きな本(読書記録)の投稿

    という感じで投稿していきます。「投稿していきます」って言ったところで、固定の読者がいるわけでもないんですけどね^^

    ブログ投稿を生活に馴染ませルーティーン化したい意味合いもあります。長期で続けていければ、自己理解も促進されていくのではないかという感じです。

    さて、今回は「怒られているのを聞くのがしんどい」です。なんか重くなりそうなタイトルですが明るくいきます^^

    私は、他の誰かが怒られているのを聞くのがとっても苦手です。例えばオフィスで同僚が上司に呼ばれて怒られているのを同じスペースにいるので聞こえてくるみたいな感じです。なんなら、自分が怒られている方が気が楽まであります。

    そんな時、私は行きたくもないトイレに行くふりをし、数分席を外します。そして、数分経って戻ると「まだ、怒られてるのかい!」みたいな事もあります^^

    自分なりに分析してみるに、たぶん、その状況を自分ではどうすることもできないのが、いたたまれないからかなあと思ったりします。

    怒られる原因を作ったのはその同僚なんだろうし、自分が「まあまあ」みたいに介入できる訳でもないし、なんか無力感みたいなものがあるのかな。「オレ、何を聞かされてんの?」みたいに思っちゃうんですよね。

    今思い返すと、子どもの頃からそれが苦手でした。自分は関与していないケンカした2人を、先生がめっちゃ指導しているのを聞かなきゃいけないみたいなのが、すごく嫌でした。

    しかも、学生の頃は、今みたいにトイレに逃げる事もできず、ただ聞かなきゃいけないし。

    指導が必要な状況はあるだろう事はわかるので、当事者だけが別室でやってくんないかなあって、いつも思っています。

    似たような事でしんどいのが、飲食店で、ベテランのパートのおばちゃんとかが、若い新入りの女の子の働きぶりを怒ってるのが聞こえちゃってる時とかですかね。

    「お水、早く出して!」

    「ボーっと立ってないで、トレー並べて!」

    いやいや、客(私)に聞こえちゃってますけどっていう。これ、しんどいんですよね。わかってくれますかね^^

    いや、その指導は、閉店後でいいやん。それか、客のいない裏でやってくれればいいやん。もう、このやり取りが聞こえてきた段階で、頼んだ料理出てきてませんけど、帰りたくなります^^

    お金戻ってこなくていいから、帰りたい…。

    しかも、その怒ってたおばちゃんに「はい、お待たせしました!味噌ラーメンです!ごゆっくりどうぞ!」と満面の笑みで言われたりすると、もうこのおばちゃんがサイコパスにしか見えなくなってきてしまいます^^

    ただただ自分が気にしなきゃいいだけの話なんですけどね。

    色々気づきすぎてしまうのも考えものですね^^