カテゴリー: 内省

  • ♯90 人生で最も大切なものは「時間」だ

    90回目の投稿になります

    さて、今回は「人生で最も大切なもの」について考えてみました

    私は、今、人生で最も大切なものは「時間」だと思っています

    「今」と書いたのは、以前は違う認識の時もあったなあと思い返したからです

    大学生の時なんかは「お金」だったかもしれないし、20代の頃は「仕事や社会的承認」だった気がします

    今は仙人みたいな生き方になりつつありますが^^、若い頃はそれなりに競争心や自己顕示欲などもあったように思います

    そういった時も経て、今は「時間」だと自信をもって言える感覚があります

    時間が大切だと私が思うに至ったきっかけが2つあります

    1…激務による適応障害

    前職は中学校教員でした^^

    朝7時出勤でまともな休憩時間なし、21時退勤、帰宅後も持ち帰り仕事、土日も部活の大会引率などでつぶれる

    マジでプライベートなし、という日々でした。使うヒマなくてお金は貯まったけどね^^

    転勤した3校目に人間関係で色々あり休職

    その時に「定年までこの感じで働いて、60歳とかでまあまあな退職金もらって、んで、その人生って何?」と思うに至りました

    そもそも60歳までたどり着くまでに死ぬんじゃね?と^^

    この辺は、気が向いたらまた書こうと思います^^

    2…父の死

    父が72歳で死にました。その時に何となく「自分も72歳で死ぬ」と仮に設定しました^^

    そうすると、「あれ、俺の人生あと30年くらい?健康寿命とかでいえば20年?今くらいの感じで体が動くのってあと10年とかじゃね?」と思うに至りました

    お金を貯めるだけじゃなく使う方にシフトしたり、マラソンに挑戦したりしているのも、父の死を自分ごととして捉え始めたのがきっかけなのかもしれません

    さて、「時間」を重要視すると、次のような意識の変容が私には起きました

    1…やらなくていいことが明確になる

    FPの資格を取り、自分の家計を徹底的に棚卸ろししました

    すると、基本給とNISAでのインデックスファンドの積み立てで日常生活費と将来の必要資金はメドがたつことがわかりました

    そこで私は、残業と昇進を手放しました

    その時間を「読書、マラソン、自炊」など自分が好きだと思える事に充てています

    生活の質が爆上がりです^^好きな事に取り組める時間が長いと自己肯定感も上がりやすいと思います

    2…選択の回数を減らす(自動化)

    服は無印良品で2パターンを2セットとかで買い、シーズンごとに着まわしています

    よく会う人は「こいつ、毎回同じ服やな」と思っていることでしょう^^

    でも、それも、朝「今日は何着ようかな」の時間や選択に使う脳のリソースを消費したくないと思っているからです

    これ、マラソン練習していて気付いたんですが、走っている途中に選択の場面が増えると、脳が疲れるのか走るのがきつくなってくるんです

    ノープランで走り始めて「ペース上げようかな?次曲がろうかな?やっぱもう1つ先にしようかな?」とかだと、疲れを感じるんです。走る前に、ペース、コース、キロ数などをシミュレートして走るのとでは全然違います

    「選択」に脳のリソースを使わないようにすることで、自分の好きな事に使う時間や脳のフレッシュさを確保しています

    3…資産形成との関連

    株価の推移を見ると、定期的な下落、暴落はあるものの、長期で見ると右肩上がりに上昇してきた歴史的経緯があります

    私は、自分が死ぬくらいまでは少なくとも資本主義経済は続くと思っているので、長期投資を継続しようと思っています

    投資を始めると、自分の投資した評価額の上昇が楽しみになります。特に、私が買っているインデックスファンドなどは、10年以上寝かしておいてからの複利がどんどんエグくなっていきます

    そうするとできるだけ長く世の中を見ていきたい気持ちになります

    そのためには長生きしたくなるし、健康に気を遣うようになります

    投資家や稼ぐ力のある人が筋トレやランニングをする人が多いのも、こういった理由からかもしれません

    投資は、1秒でも早く始め、できるだけ長く株式市場にお金を置き続ける事が正しい解だと勉強して理解しました

    さて、今回は「時間の大切さ」について書いてみましたが、人との関係性については矛盾を抱えている事も正直あります

    人間関係はマラソンのようにじっくり時間をかけて醸成していくものだと私は思っています

    急に盛り上がった関係性は、ダメになるのも早い気がするからです。焦らずゆっくりとが基本思考です

    でも、交通事故で急におばあちゃんを失ってからは、「この人と会うのは今日が最後かもしれないぞ」という気持ちも出てくるようになりました

    そうすると、短距離思考になるというか、できる事、やってあげられる事はやっておきたい気持ちにもなります

    でも、そうすると、相手からは距離の詰め方早いと思われるかもなあなんて複雑な気持ちになったりもしますね^^

    ま、そんな矛盾した心理を抱えつつ生きるのが人間なのかもしれません

    少し脱線しました。この「長期目線」と「短期目線」については、また日を追って書いてみたいと思います

    あなたが、人生で最も大切だと思う事はなんですか?^^

  • ♯87 桜梅桃李

    87回目の投稿になります

    漢字検定の勉強をしていて、とっても素敵な四字熟語に出会いました^^

    「桜梅桃李」

    「おうばいとうり」と読みます

    文字通り、桜、梅、桃、李(すもも)という4つの花の名前を並べた言葉ですが

    「それぞれが素敵な花を咲かせるように、他人と比べることなく、自分に誇りをもって生きていく事が大切だ」

    という意味をもつ四字熟語です

    優しい気持ちになるというか、心が暖かくなるというか…

    素敵な言葉に出会えて幸福度が上がった感じがしたので、このブログで共有させていただきます

    私、ドラクエが好きで、特に「4」が好きです

    仲間になるキャラは、それぞれ特色があります

    魔法は使えないけど攻撃力が強い戦士タイプ、逆に攻撃力は弱いけど強力な呪文で大ダメージを与える魔法タイプ、生き返らせたり回復させたり補助魔法で戦闘を有利にする僧侶タイプ

    彼らがバランスよくいる事で、個性あるパーティーとなります

    戦士タイプだけでも、魔法タイプだけでもクリアは難しい

    つまり、それぞれが輝ける良さを持っているのですね

    私はドラクエで表してみましたが、もう少し若い方なら、ポケモンの「○○タイプ」とかの方がイメージしやすいかもしれません^^

    私自身は「何タイプ」なのかな?

    戦士タイプではないのは確かです^^回復系の呪文で傷をいやしたり混乱を治したりしてパーティーを支える僧侶系かな^^

    だいぶ脱線しました^^

    「桜梅桃李」は、努力しなくていいよという事ではなく、仮に何物にもならなくても「今のあなた自身が尊い存在ですよ」と伝えてくれているような気がします

    そもそも、四字熟語って誰か作った人がいるんですかね

    いるならば、「桜梅桃李」っていう四字熟語を考えた人ってすごくオシャレな方だなあって思います

    すももの花ってどんなだろうと思って調べてみました

    白くて可憐なかわいい花でした。すももはすももらしく綺麗な花を咲かせています。私は私らしく、あなたはあなたらしく、誰と比べなくても価値ある存在なんだと教えてくれているようです

    すももの花言葉は「独立」だそうです。それも気高い感じがしてすごくいい

    北海道は5月頃が見ごろとのこと。検索したらいくつか公園がヒットしました。来年見に行こうかな^^

    綺麗な花でしょ^^

  • #86 「沼る」を感情論なしに構造的に考えてみた③終

    86回目の投稿になります

    前回の続きです

    「沼る」をできるだけ構造化して過去2回に渡って書いてみました

    今回は、沼落ちしないためにはどうすればいいのかという事。そして、落ちてしまったらどうしたらいいかという事

    これについて考えてみます

    前回の「仕掛ける側の戦略」に「コミュニティを遮断させる」というものがありました

    会社や学校を辞めさせる、家族や友人とケンカさせて関係を切らせる。こうしてその人にとっての「生活や関係性の柱」をどんどん奪い取って、依存先1本にしてしまう

    じゃあ、柱を再構築しましょうと^^向こうが柱を失わせてくるのであれば、こっちは柱を再構築すればいい

    書籍によると、脱依存に向けては「客観的な視点」と「分散」が大切だという事です

    沼にハマっている人が、もし柱が依存先1本であるなら、そこと関係ない人、趣味、コミュニティを増やしてみましょうと

    そして、依存先への割合を少しずつ減らし、新しいチャレンジに時間を投下してみましょうと

    そうすれば多様な価値観、多様な世界が飛び込んできて、自分の行動や価値観を見直す契機になり得る的な事が書かれてありました

    例として興味深かったのが、相談する相手についてです

    脱依存についての1歩目としては、現状を誰かに全部話す事が良いとされているようです

    そして、その対象は「家族でもなく、友人でもなく、自分の事をよく知らない第三者」がいいと書かれてあった事です

    自分が依存状態であることを家族や友人に話すのはハードルが高いし、特に家族などは今後も長期に渡って関係性が続く

    であるならば、信頼できるけどこっちの事を詮索してこないみたいな人

    本では、その最適任者として「スナックのママ」と書かれてありました^^妙に納得感がありました^^

    さて、色々調べて私が感じたのは、「淋しさや孤独感を他者で埋めようとしない」事の大切さです

    孤独感を感じる事はいけない事だという概念を捨てて、「孤独を感じる事は普通」といったん受け入れ、自分の中の常識を転換させる

    そして、自分ひとりでもできる事に時間を使ってみる

    それは、資格の勉強かもしれないし、読書、編み物、パズル、ドライブ、色々あると思います(個人的には、起業に向けての勉強なども面白いかなと思っています)

    依存は、孤独や淋しさの隙間に入り込んできます

    けれども、孤独や淋しさは必ず感じるものと自分の中で仮説を立てる

    じゃあ、その隙間をなにで埋めるのか

    それを他者に求めるのではなく自分に求めるという思考の整理がいいのではないかと思いました

    どうせ、死ぬときはひとりだしね^^

    長ぇ^^もう終わりますので^^

    色々調べて私がすごくいいなと思った記述がありました。それは依存症カウンセリングの先生の言葉です

    「依存は病気です。病気って事は必ず治ります。依存で苦しむ人はたくさんいます。だとすれば、それはあなただけのせいではないという事です。依存はあなたが育てられた環境による所が大きいです。そのせいにしちゃいましょう。あなたのせいではありません」

    私も適応障害と診断されたとき、同じこと言われてすごく心が軽くなりました

    「病名が付くという事は一般化された症状なので、悪いのはあなたではないし、回復の手順もちゃんとありますから」と

    朝井リョウさんの「インザメガチャーチ」をきっかけに興味をもった「沼る」の世界ですが、すごく勉強になりました

    前回と今回のまとめとしては

    ・ハマる人は、自分で決められなかったり、親の意志が強かったりした人に多い。幼少期の育ちが大きく関係している

    ・依存先は柱を1本にして視野を狭めてくるくるので、その柱を再構築する。一人で楽しめるなにかを探してみる

    ・本人が幸せを感じているなら、他者がどうこう言う問題ではない

    ・「病気=自分だけじゃない」と、症状を一般化する事で気持ちを楽にする

    さて、ここで終わりにしてもいいのですが、1つやり残している事があり、それを掘り起こしてみるか迷っています

    ここまで調べてみて、私自身、沼に陥りやすい気質の持ち主だと思いました

    なぜなら、ハマりやすい人の条件に見事に合致しているからです

    考えてみたい事は、「そもそもなぜ私は、自己肯定感が低く、周りに流され決断できない人間に仕上がったのか」という事です^^

    それを探求するためには、幼少期からの半生を、断片的な記憶を頼りに振り返ってみる事が必要かなと思っています

    SNSという匿名性の高い場だからこそ、こういうのを吐露してもいい気がします。まとまったら投稿するかもしれません。エグすぎたら投稿しないかもしれません^^

    その際は、よろしくお願いします^^

    長くなりました。申し訳ありません。読んでいただいた読者様、ありがとうございます^^

    参考文献

    「インザメガチャーチ」朝井リョウ

    「脱依存脳~やめられないをやめる本~」山下あきこ

    「現代社会の新しい依存症がわかる本」樋口進

    「沼にはまる人々」沢木文

    きゅうりの柴漬けを刻んで混ぜ込んだつくねです^^

    とっても美味しくできました^^ではまた!

  • ♯85 「沼る」を感情論なしに構造的に考えてみた②

    85回目の投稿になります

    前回は「沼る」の構造を、仕掛ける側の視点で書きました

    今回は、ハマる側、つまり客側の視点で書いてみたいと思います

    前回の内容を簡単に振り返ると、沼に落とすシステムとしては

    ・仕掛け1…気軽さ、手軽さをアピール

    ・仕掛け2…強烈な刺激でドーパミンを出させる

    ・仕掛け3…間欠強化で不安や恐怖を促し、深くハマらせる

    ・仕掛け4…コミュニティを遮断し、依存先以外の柱を失わせる

    という感じでした

    では、依存的なものにハマる人とハマらない人の違いはなんなのでしょうか

    こちらもいくつか文献を調べてみました

    ざっくり3つ挙げると

    ・満たされていないと感じている人

    ・真面目な性格の持ち主

    ・自分で判断したり決断したりする事が苦手な人

    でした。例として、有名大学に合格して上京。オウム真理教に入信し、幹部となった人の話がありました

    彼は、子どもの頃から親や大人の言うことに従うことを強要されたり、親が自分の意見に耳を傾けてくれなかったという思いがあったようです

    これは「学習性無力感」とも言われ、「親の言う通りにしないといけないんだな」という諦めに似た感情が、自分の気持ちを抑えることにつながり、ひいては自分の感情より他者の気持ちに引っ張られる人間になってしまう可能性があるとのことでした

    また、受験勉強を通して培われた真面目な性格は、依存に対しても真面目さを発揮してしまうので、深みにはまりやすいという指摘もありました

    これは、非常に危険です。なぜなら、状況が整えば、誰でもハマる可能性があると思えるからです

    例えば私

    子どもの頃、「親の言う通りにしないと」という気持ちはすごくありました。(今は皆無ですが^^)

    自分に自信がなく、何かを決めるのが苦手でした。自ら誘う事はなく、誘われたら行くみたいな他人軸で動き、嫌な事があっても嫌と言えず、押し切られるように付き合わされることもありました

    もしそこに、仕事で適応障害になったタイミングや、孤独感を感じるタイミングが重なれば、コロッと依存の世界にハマる恐れは大いにあったなと思います

    つまり、仕掛ける側の戦略がいいか悪いかの判断は置いておくとして、仕掛けられる側の心が弱っているタイミングに出会ってしまうと、パズルのピースとピースが合致するように、誰しもが落ちる恐れのある構造になっているのではないか

    これを、「ハマりやすい人の特徴」という事でいったん結論付けてみたいと思います

    では、次の観点です

    それは「そもそもハマる事は悪なのか?」という問いです

    悪なのかどうなのかについては、「費やす金額や時間の問題ではない」というのが、色々な文献等を読んで私が感じたことです

    では、悪なのかどうかを判断するたった一つの判断軸としては「それでその人自身が幸せを感じているか。不幸ではないか」

    これに尽きると思いました

    ギャンブル依存の人の話などを読むと、例えばパチンコ屋では高揚感で多額のお金を使ってしまうけど、家に帰ってからは後悔や自己嫌悪で胸が苦しくなると書いてありました

    その人は、その自己嫌悪を埋めるためにまたパチンコ屋へ行くという、負のループにハマっています

    つまり、ハマっているのに内心は楽しんでいないという状況に陥っています

    この例を見ると、お金をたくさん使おうが、時間を費やそうが、見返りがほとんどなかろうが、その人がそれで幸せなら他者が介入する余地はないし、依存ではないのではないかとも思えてきました

    では、最後の観点です

    それは、沼落ちしないためにはどうすればいいのかという事。そして、落ちてしまったらどうしたらいいかという事

    これについて考えてみます

    あ、その前に^^

    私、今すべてを書き終えて推敲しているのですが、全部で3400字になってしまっています^^

    という事で、ここでいったん切りまして、のちほど「♯86『沼る』を考えてみた③」として投稿いたします

    ではまた数時間後に^^

  • ♯82 「沼る」を感情論なしに構造的に考えてみた①

    82回目の投稿になります

    昨日、予約投稿を忘れたまま寝てしまいまして、本日朝の投稿となっております^^

    今回は「沼る」について構造的に考えてみようと思います

    きっかけは、推し活をテーマにした本「イン・ザ・メガチャーチ」を読んだ事です

    新興宗教にハマっていく女性が描かれているのですが、それが異質に感じる一方で、妙に共感してしまう所もあるというか

    率直に思ったのは「これは、色んな条件が合致すれば自分もハマる可能性あるんじゃね?」という事です

    そこから、ハマる側の心理や、引き込む側のメソッド、つまり構造的なものを知ってみたいと思ったわけです

    「感情論なしに」とタイトルに付けたのは、「沼る」「推す」は程度の問題もあるし、本人が好きでやっているなら他者が制限するものでもないと思うからです

    あと、私の親族に新興宗教に入信している人もいるので、それもあって興味をもちました

    あくまで構造的に捉えてみたいと思います

    いつもより真面目なテイストになるかと思います

    まずは、「仕掛ける側」の戦略です

    ・仕掛け1…気軽さ、手軽さをアピール

    →「無料セミナー」「初回1000円」「ポイントカード作成で5000ポイント付与」。宗教、風俗、ギャンブルなどの依存への入り口は、ハードルの低さ。1歩目を踏み出しやすい仕掛けを工夫しています

    ・仕掛け2…強烈な刺激でドーパミンを出させる

    →宗教だったら不満や淋しさに付け入る、風俗だったら強い刺激やキラキラした空間で甘い言葉をかける、ギャンブルだったら当たった時の高揚感。人の孤独感、満たされない感に入り込み、依存を促す

    ・仕掛け3…間欠強化で深みにはまらせる

    →ある程度依存させたら、与える時と与えない時をあえて作り、客を不安や欠乏に陥れます。これを「間欠強化」といい、依存を進行させる心理テクニックです。宗教だったら「そんな考え方じゃダメ」と急に否定する、風俗だったらわざと素っ気なく扱う、ギャンブルなら当たったり外れたりする。あえて報酬を毎回与えないことで、たまに与えられる報酬が強烈な刺激となる。もっとお金や時間を使わないと刺激が得られないかもしれないと思い込ませ、依存への深みにはまらせる

    ・仕掛け4…コミュニティを遮断させる

    →お金や時間を捻出するためという口実で、現在のコミュニティを遮断させ、客観的な視点を破壊する。宗教だったら特異な発言や行動が増える事で周囲の人間関係が希薄になる、風俗やギャンブルだと使い過ぎによる借金や金銭感覚の麻痺などで仕事や学校を辞めたり、家族や友人関係が切れたりする。このように、第三者の目を届かなくさせる事で、依存度をさらに高めさせる

     これが、色々な書籍や文献を調べてわかってきた、依存に陥れる仕組みの代表的なもののようです

    私が「宗教」「風俗」「ギャンブル」という3事例で説明してみたのは、分野は違うのに構造は全く同じという事です

    という事は、これは「マニュアル化」された仕組みである事がわかります

    仕掛ける側は、これを巧みに使ってきます

    YouTubeで、セミナーで高額販売をする業者の動画を視聴しました

    そこには上記1~4の仕掛けが、まさに行われていました

    「健康酢のボトル」を100円で売る事で集客し(仕掛け1)、色々な日用品を10円だ30円だという破格の金額で売る

    高齢女性は店員を「いい人」と認識(仕掛け2)

    しかし、日が経つごとに「世の中の品物には毒が入っていて健康に害悪だ。そんなのを食べているあなたはおかしい」と急に説教モードになり、客を不安に陥れる(仕掛け3)

    自社の商品はあなたを救うと高額な商品を次々と買わせる。その数日後、来店した女性は次のように言います

    「娘が、『お母さんは騙されてる』って言うからケンカして来た。あの子は真実をわかってない。今日は、何を買わせてくれるの?」(仕掛け4)と

    そして「体内を清める錠剤」を数万円で買って帰っていく

    依存の完成です。そして、なにより怖かったのが、売る側の事務所での会話です

    「あのババアから、あとどれくらい引っ張れそうなの?」

    「あー、だいぶいい感じに落としてるんで、100くらいは今月いけるかなって」

    せめて感謝くらいしろって、ちょっと気分悪くなりました^^

    100って100万の事だと思うんです。私にとってはまったくの赤の他人ですが、その高齢女性がどうなってしまうのかホントに心配です

    では、依存的なものにハマる人とハマらない人の違いはなんなのでしょうか

    調べてみると、これもいくつかの傾向がある事がわかりました

    長くなったので、続きは次回にします

    次回は、沼にはまりやすい人の特徴を、自戒も込めて書きます

    そして、沼に落とすシステムがあるなら、沼から這い上がるシステムも構築可能であるという前向きな視点で、私なりの結論を書いてみたいと思います

    次回は、もう少し明るいトーンで書けそうです^^

  • ♯81 通っていたカフェを閉店させる男^^

    81回目の投稿になります

    最近の投稿は「一度見限ると二度と戻らない」とか「真の優しさとは」とか「インザメガチャーチを通して過去の自分に触れる」とか重めの話題が多かったです

    そして、今後も「沼るの構造」「死にたくなるのは暇だから?」などさらに重くなる予定です^^特に「沼るの構造」は、文献等いろいろ調べたので小論文みたいになってます^^

    なので、今回はさすがにちょっと一服という事で「アホ回」にします^^

    タイトルは「通っていたカフェを閉店させる男」です

    これ、私のことです^^

    先日も、月に1度くらい訪れていた隣町のカフェが閉店しました

    私は、好きで通っていたお店がよく閉店します^^

    でも、それには構造的な理由があると自覚しています

    それは、私が通いたいカフェの条件が次のような事だからです

    ・混んでいない

    ・落ち着いて過ごせる

    ・常連だからといって、オーナーや店員さんが話しかけてこない

    こんな感じです。以前はコメダのモーニングとかよく利用していましたが、おじさんの自慢話やボリューム全開の中国語のやり取りが聞こえてくる事に閉口し、あまり行かなくなりました^^

    さて、先ほどの3条件ですが、デメリットがありまして

    ・混んでいない→収益が良くない

    ・落ち着いて過ごせる→回転率が良くない

    ・話しかけてこない→サービスが良くないと感じる人もいる?

    という事で、閉店につながりやすいのかなと思います

    そこで、私が、カフェの経営者様(特に個人経営者様)に声を大にして言いたいことがあります

    それは「今、経営状態がやばい」とか「つぶれそう」とかを店内やSNSで発信してほしいという事です

    事前に黄色信号である事を知る事ができれば、頻度上げて通いますから^^値上げしても通いますから^^ここがなくなるよりは全然いいですから^^

    って思います

    訪れた時、入り口で読む「閉店のお知らせ」ほど切ないものはありません^^

    「いやいや、そんな気配全然なかったじゃないの^^」っていつも思います

    だから私は、昨今の物価高に対しても、そんなに批判的ではありません

    その企業がつぶれるくらいなら、値上げしてもいいから好きな商品やサービスを提供し続けてほしいと思いますね

    でも、私も気持ちはわかりますが、真面目であるほど弱音を吐きにくいという事もあるかもしれませんね

    例えば、脱サラして、ある程度まとまった資本を投入して始めたカフェの収益が下降している

    そうなったら、どうにもならなくなるまで頑張り続けてしまう、そして限界を越えてやむなく閉店という過程も理解できてしまいます

    私一人が来店頻度や客単価を上げたところで、どうにかなる状況ではないのだろう事は理解していますが

    赤信号点灯じゃなくて、黄色信号くらいで発信してほしいと思いますね

    あれ?終わろうと思ったけど、ちょっと気付いてしまった^^

    これってまさに、以前書いた「一度見限ると二度と戻らない」における私の苦手とする相手状態になっちゃってる?

    私、「閉店するなら、もっと前に言ってよ」って言ってる?^^

    って事は、「経営悪いなら言ってよ」っていう発言自体が利己的ってこと?

    さすがに考えすぎ?

    最後の最後に収集つかなくなるアホ回になってしまいました^^

    終わりです^^

  • ♯78 真の優しさってなんだと考えたら、複雑な気分に^^

    78回目の投稿になります

    ヨルシカの「ヒッチコック」の歌詞に「幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか?一つ線を抜けば辛さになるのはわざとなんでしょうか?」という部分があります

    よく考えられた歌詞だなあと思って聴いていると、ある考えが浮かびました

    それは、幸せから1本抜くと辛さになるなら、辛さに1本足せば幸せになるということです

    「なにを当たり前の事を」と思ったかもしれませんが^^

    もし、今、辛い状況の人がいるなら、なにか小さな事(1本の線)がきっかけで幸せの方へ風向きが変わるのではないかと思ったりしました

    音楽聴きながらマラソン練習していると、こういう考えが浮かんでくるんですよね^^

    なんか、いい発見をした気になってます^^

    前置きが長くなりました。ここから本題です

    「優しさ」ってなんだと思いますか?すごく抽象的かつ人によってとらえ方が異なりそうなテーマを、2つの観点で考えてみました

    ・1つ目は、「雨天の友」です

    意味としては「辛いときに見捨てず支えてくれる友情こそ本物の友情である」です。私の好きな言葉です

    「まさかの友は真の友」ということわざもありますが、私は「雨天の友」の方がシャレてて好きですね

    私は、前職で心を病んで、全てほっぽりだして休職しました

    その後、1人だけ心配の連絡をくれた同僚がいたんですね

    その同僚は、自分も数年前にうつ病を発症していて、その辛さがわかるから連絡してみたとのことでした

    部署が違ったので挨拶程度の関係性でしたが、すごくすごくすごーく嬉しかったですね^^

    今は元気になった訳ですが、私はその事を忘れないし、もし身近な人が同じような状況になったら声をかけてあげられる人でありたいと思っています

    もし、誰かの力になれたら「適応障害になって良かった!」とさえ思うかもしれません^^

    ・2つ目は、「相談されたとき」です

    その相手がどうでもいい人、イヤだと思っている人に対しては、私は

    「そのままでいいと思うよ」とか

    「やりたいようにやるのがいいと思うよ」とか言います

    その方が、エネルギー消費が少ないし、会話があまり広がらない感じになるからだと思うんですよね^^

    一方、自分にとって大切だと思う人から相談を受けた場合、妙に力が入ってしまいます

    じっくり時間を使って対策を調べたり、どうしたらいいか自分なりの考えを一生懸命話したりします

    その結果、なにが起こるかというと

    「重めのアドバイスになって、なんかぎくしゃくした空気になる可能性がある」です^^

    相手は、話したいだけで回答を求めていないのでしょうか、またはガチの解決策を提示されてちょっとひいているのでしょうか^^

    こうなると、悲しい矛盾が発生します。それは

    どうでもいい人からは「私の気持ちを尊重してくれた。いい人」認定され、大切な人からは「そこまでじゃないんだけど。なんか重い人」認定されるというすごーく悲しい事態が発生します^^

    誰に対しても「そのままでいいよ」スタンスがいいんでしょうかね

    でもね、私はどうしても「そのままでいいよ」っていう回答は、不誠実な気がするんですよね

    特に、自分にとって大切な人に対しては

    読者様、どう思います?^^

    最近の私は、以前のビビりの自分とは真逆で「やらない後悔よりやる後悔」みたいな感じになっています(数年前とは別人のよう^^)

    変な空気になるリスクも抱えて、自分はこう思うという事を伝えようという気持ちに今はなっています

    仮にその時は響かなくても、もし5年10年経った時にふと思い出すみたいな事でもあれば、「それで本望だ」的なね^^

    という事で、ひとまずの結論としては

    ・優しさとは、相手が辛い状況の時に手を差しのべられる事

    ・相談の回答は、大切な人には「そのままでいいよ」とは言わずに、全力で回答を投げ返してみる。その結果、関係がおかしくなっても仕方ない^^

    この2つを行動指針にしたいと思います

    あなたは、「本当の優しさ」ってなんだと思いますか?

  • ♯77 「一度見限ると二度と戻らない」を再検証したら、解が出た^^

    77回目の投稿になります

    今回は「一度見限ると二度と戻らないを再検証したら解が出た」です^^

    ♯19にて一度書いたものを、自分なりにブラッシュアップというか改めて考えてみました。もしお時間ありましたら♯19も再読していただけると嬉しいです

    前回私は、二度と戻らない事の例として「ゆで卵になっちゃったらもう生卵には戻れない」って書いてます

    我ながらうまい事書いてんなーと思いましたね^^その思いは基本的に今も変わりないです

    では、なぜ改めて深掘ってみようと思ったかというと、最近ずっと考えてる「時間の大切さ」と「自分軸を持つ」が今回の事にも当てはまりそうと思ったからです。少し書いてみます

    まず1つ目の「時間の大切さ」についてです

    二度と戻らないという感情に行きつくまでには「その人に対して我慢してきたたくさんの時間」が存在すると思います

    友人、恋人、家族…

    「次は変わってくれるはずだ」という思いは、相手に期待する事であり、「変わってくれるという判断をした自分」を信じるということであり、それは、かけた時間が長ければ長いほど強くなるかもしれません

    ただ、冷静に考えると、かけた時間やお金や感情の大きさというものは、今までのものは取り返せないけど、これからのものは考え方次第で変えられるとも言えます

    つまり、その人にエネルギーを使う事の徒労に気付き、私の行動が変わるきっかけになれるかもしれない

    「他の事に時間を使った方がいい」と思うようになるかもしれない

    では、なぜ何も言わずに去るのか?それは、一度見限ると、とにかくその人に与えたくないし、与えられたくないと思うからかもしれません

    例えば、怒ったり泣いたり説明したりという行為をすると、もしかしたらそれが相手を改心というか変えるきっかけになってしまうかもしれないみたいに考えたりもします

    もうそういう気付きすらも与えたくないという感情がある事に気が付きました^^

    私、けっこう冷酷かもしれません^^

    こうやって心の中で損切りするのは、自らの精神を守るためだと思います

    怒るのは得意ではないし、怒りたくない。だから、少しずつ関係を薄くしていき、さっといなくなるのです

    そのあと、相手が「これからは変わるから」と言ってくることがあります

    若かりし頃の私は、そこで情が出て「わかったよ」と言って許して関係を継続した事もありました

    でも、その後、結局同じことの繰り返しになることがほとんどでした

    なので、今は、相手の申し出でやり直す事はなくなりました^^

    次に「自分軸を持つ」です

    期待しては裏切られ、期待しては裏切られ、を繰り返すと、自分がすり減っていくというか期待した自分がなんてバカだったんだろうという感情が湧きだし、それが自身のメンタルを低下させる要因になります

    でも、相手の行動は制御できないことを腹落ちして理解できていれば、期待するという感情も、裏切られてメンタルを低下させる感情も必要ない

    つまり、見限るとは「判断を他人に委ねずに自分で決める」というポジティブで主体性のある行為だと考えます

    じゃあ、その判断材料はなんなのかという事になります

    私は、やっぱり「発言より行動を見る」事じゃないかなと思います

    いくら優しそうな事や甘い事を言ってきても、実際相手が自分に対してどのような行動を取るか、または自分に対してどのような行動を取るよう求めるか

    行動の部分に本質が出るのではないかと思います

    それを評価軸にして自分で判断する

    あと、期待しては裏切られを繰り返す時って、視野というか見える世界が狭くなっている気もします

    世界は広いですから、疲弊してまで関係を続ける必要もないのかもしれません。しかもそういう時って、相手はそんなに疲弊していなかったりするしね^^

    私は、「一度見限った」という事実、その判断をした自分の方を信じたいと今は思います

    そもそも、相手との関係性で大事なのは、その人の前では自分は落ち着く、本音を話せるみたいなのが大事

    相手が怒るんじゃないかとか、機嫌を損ねないような行動を取らなきゃとか、そういう思考になっている時点で、心理的安全性がないというか、緊張状態にあると思うし、それって健全じゃない

    40も過ぎると、世の中には色々な人がいる事を知ります

    私が学んだことの1つは、「徹底したテイカー気質の人もいる」という事実です

    私は、相手になにかしてもらったら、感謝の気持ちでなにかお返ししたくなるし、実際お返しします

    心理学の用語で「返報性の心理」とか言いますね

    でも、世の中には、この感覚がまったくない人もいます

    つまり、お返し精神が全くなく、相手から受け取るだけ受け取ろう、もう少し過激に言うと、搾り取れるだけ搾り取ろうみたいな感覚の人もいるってことです

    ここを認識できないと

    「私がこれだけやっているんだから、相手もいつか私になにかを返してくれるだろう」

    っていうふうに思っちゃう気がします

    これも執着のひとつの事例かもしれません

    という事で、またまた長くなりましたが、私のひとまずの「解」としては

    ・状況を常に客観視して違和感を察知する

    ・自分の価値観を相手にも当てはめない事が大切。徹底したテイカー気質の人もいる

    ・発言より行動を観察する

    ・見限って消える事は、自分を守るためであり、主体的に判断を下すポジティブな行為である。逃げでもなんでもなく、自分を取り戻すための正当な行為であると認識し、罪悪感を持たない

    このような感じに落ち着きました^^

    書いていて思いましたが、私はせっかくの限られた時間は、本音で話せて、緊張状態にならない心理的安全性が担保された人と過ごしたいなと思いました

    いつもより感情が出すぎているかもしれません^^

  • 意味がわからないから☆1^^

    72回目の投稿になります

    最近は、読書、マラソン、ブログ、料理などうまく時間を使えている気がしていて、日々充実しています

    充実感があるからか、色々な事にチャレンジングになったし、一喜一憂せず冷静に物事を楽しめるようになった気がします

    10年前くらいの自分に声をかけられるなら「10年後、自由に楽しく生きてるから、なんとかやりすごせ!」と伝えたいですね^^

    あの時の、何かにおびえ、必要以上に気を遣い、自己犠牲を美徳とするというか「自分は幸せになる価値がない」みたいに思っていた自分はどこへ行ったんでしょう^^

    人間、数年で別人になるもんですね

    色々なきっかけをくれた人や本、あと自分に感謝ですね^^

    さて今回は「意味がわからないから☆1」です

    まずはこのタイトルの意味がわからないですね^^

    先月、咽頭炎になり家の近くの耳鼻咽喉科に行きました。そのときに気付いた事をもとに書いてみたいと思います

    ここ数年、耳鼻咽喉科にお世話になった事がなかったので、ネットで検索しました

    そして、自宅から最も近い医院を調べてみたところ、次のような文字が目に入りました

    「口コミ評価…☆1.9」

    いやいや、☆1.9は低すぎでしょ^^ヤバい病院なの?^^

    と思って口コミを見てみる事にしました

    「受付の人があり得ません。こっちを見ずに話すし、マイナンバーカードの提示がわからないと言ったらため息つかれるし。最悪でした(☆1)」

    「受付の人が不愛想で、腹が立ってきます。先生の対応は普通です(☆1)」

    こんな感じのが並んでました^^

    これに強烈に違和感を感じる私はおかしいですか?ここに来ていただいている読者様は、私と似た感覚の方が多いと思うのですが、今の世の中ってこんな感じですか?

    いやいや、ちょっと待ってくれと。病院は何しに行く所ですかと。つらい症状を治しに行くんでしょうと

    それなのに、評価の主軸が「受付の人の態度」なのはおかしくないですか?^^

    なんか、こういう「評価の観点」や「定義」がずれることで、おかしな方向へ行く事って、人との会話でもしばしばありませんか?

    あ、ちなみにその医院の先生は普通に親切で、処方された薬で良くなりました

    受付の方は事務的でしたが、全然気になりませんでした^^

    スミマセン、少し脱線します

    私、あまり接客に重きを置かないんです

    例えば深夜のコンビニの店員さんが、すごく元気に接客されているのを見ると

    「いや、もう少し省エネで、適当でいいよ~」って思っちゃいます^^

    人それぞれ重視するポイントが異なるんでしょうか

    似たような事で私が気になることを2つほど挙げてみます

    読者様方は共感していただけますでしょうか?それとも私の感覚がおかしいんでしょうか?読みながら判定してみてください^^

    ・アマゾンの商品サイトで☆1

    「DVD1枚が大きな段ボールに入って届きました。なんという過剰包装でしょうか。これならレターパックとかで十分です。エコじゃない!(☆1)」

    →私が世間知らずなだけかもですが、例えばアマゾンにおけるDVDのレビューは、作品の中身についてですか?それとも発送の良し悪しについてですか?^^

    私は前者だと思っているので、上記のレビューで☆1は、なんかかわいそうな気持ちになります^^

    ・書評で☆1

    「読んでみたけど、まったく面白くない。というより、内容が難しくて、意味がわからない。買って損した。(☆1)」

    →いやいや^^内容が難しくて意味がわからないから☆1って^^それは、ご自身の読解力が乏しいからではありませんかと

    ある意味、強いメンタルの持ち主という感じでしょうか?

    「良くない自分軸」と名付けてみました^^

    いや、私もありますよ。読み始めたけど、難解で何言ってるかよくわからん本が

    でもね、私は「あ、自分はまだこの本を読むレベルに達していない」って思うんですよね

    でも、考えようによっては、そういう理由で☆1を付けちゃえる人の方が生きやすい感じもしますね

    しょうもない事をダラダラ書いてスミマセン^^

    少し話題を変えます

    私は、口コミとかレビューとかを書いた事がありません

    というか、色々な事に思いを巡らせすぎてしまって、書けないという言い方が正しいと思います^^

    私の感じた事は、当たり前ですが「私の主観」なので、他の人に当てはまるかどうかはわからない

    なので、自分がいいと思ったものでも、他の人にとってはそうでもないかもしれない

    あ、でも、それよりも、商品やサービスを提供する側の事をより考えちゃうかもしれないです

    売る側が売りにしたい事と違う事を褒めても、それは販売戦略やブランディングと違うから嬉しくないんじゃないかとか思っちゃいます

    「お前1人の口コミなんて、そんな影響力ねえよ!」

    って誰か言ってください^^

    ここの読者様方だけは共感していただけると嬉しいです

    しょうもない話に1900字^^いつもホントにありがとうございます

  • 月末ルーティーン~家計管理~

    68回目の投稿になります

    昨年、ファイナンシャルプランナー3級を取得しました

    きっかけは、転職でした

    メンタルを病んで休職した時は、視野が狭くなっていたのもあって、「この仕事をやめたらオレの人生もう終わり」的な感覚でした^^

    その時に私を救ったのが知らないうちに貯まっていた貯金でした(激務で使うヒマなかった説あり^^)

    仮に無職になっても数年は生きのびれるという安心感を覚えたとき、退職に踏み切ることができました

    そこから、お金の勉強を本格的に始める事になります

    NISA枠で投資信託積み立てたり、個人向け国債買ったり資産形成を進めることで、お金(資産)は精神安定に大きく寄与してくれています

    今回は、私の月末ルーティーンである「家計管理」について書いてみたいと思います

    • 家計管理その1…収入の把握

    ・会社員としての月給 

    ・副業収入 

    ・株や投資信託や債券の利益

    • 家計管理その2…支出の把握

    ・固定費(住居費、光熱費、親への仕送りなど) 

    ・投資信託(NISA)への積み立て 

    ・変動費(食費、日用品費、娯楽費など) 

    ・特定期にかかる大きめの支出(自動車税、NHKなど)

    • 家計管理その3…純資産の把握

    収入から支出を引いて月単位の収支と純資産額を出す

    これを月末のたびに自作のエクセルシートに打ち込んで、1円単位で算出します^^

    1円単位は、さすがに狂気じみてますよね^^

    さて、これが当ブログの「内省」のどこと関連するのかという事ですが、それは「支出」です

    私は楽天経済圏で生きているので、ほぼ全ての支出を楽天カードまたは楽天ペイで済ませています

    そうすると、アプリで「なににいくら使ったか」を月ごとに把握する事ができます

    その使いみちについて振り返るんです

    「自分は何にお金を使っているのか」それがつまるところ、自分の思想というか、何を重視して生活しているのかという指標の1つになる感じがするんですね

    考える点は次の3つです

    • その1…月収支を赤(マイナス)にしない

    →まず、「身の丈」を考えます

    収入以上の支出はしないと決めています

    今より資産がなかった若い時も「収入<支出」になった事はないと思います

    おばあちゃんも「シュンや、借金はしちゃいかん。借金は幸せが逃げるでな」と言っていましたので^^

    おばあちゃん、私、言いつけを守って生きてますよ^^

    最近はありがたい事に投資信託の収益がいい感じなので、NISAに積み立てるためのお金を先取りしてしまったら、後は頑張って使い切るようにしています^^

    よく言えば真面目な人生でしたが、裏を返せばあまり冒険しない人生だったなと思っているので

    自分の人生を取り戻すかのように、生き急ぐかのように体験や経験にお金を使っていますね^^

    • その2…価値のある支出、価値のない支出に分ける

    →これについては、支出の「額」ではないイメージです

    50000円の支出でも価値があると思えればそれで良し、100均の商品であっても無駄だったなと思えば反省します^^

    しかも買った物やサービスが価値あるものだったかって、少し時間が経過してからわかるものじゃないですか

    例えば、この本は何度も読む愛読書になったから価値ある買い物だったなとか、この服は買う時はいいなと思ったけど1回しか着てないじゃんとか

    そういう感じで「価値」を月末に仕分け、次回以降の買い物の際に思い出すようにしています

    • その3…価値の判断は変化しうる事を認識する

    →今までは価値があると思って買っていた物、利用していたサービスについても、定期的にその「熱」を客観視するようにしています

    経済の世界だと「損切り」とか「サンクコスト」とか言います

    今まで使ったお金や時間が多ければ多いほど、惰性で買い続けたり利用し続けてしまう事もあると思います

    使っていた時間やお金が無駄だったと思いたくないという心理的な抑制が大きいと、不要だとわかっていてもそれに目を背ける的な事もあるので、「これは本当に必要な支出か」を月末に冷静に考えるようにしています

    さてさて、色々と小難しい事を書いてきましたが、お金って生きるのに大切な要素だと思います

    お金がある事と幸せは必ずしもイコールにはならないと思います

    資産家でも孤独な人もいれば、貧乏してても夢に向かってキラキラしている人もいると思います

    でも、お金がある事と不幸せじゃないはイコールになる気がします

    なんやかんやお金で解決できる事もあるし、ある程度のお金がある事で選択肢や自由度が増えます

    仮に私が貯蓄0だったら、転職する決断もできずダラダラ仕事を続け、その辺で死んでたかもしれません^^

    だから、私にとって家計管理はメンタルを保つ重要なルーティーンになっているんです

    お金の事ってすごく大事な事なのに、親から教育を受ける事もないし、周りの人と話すのも少し抵抗がありませんか?

    そういう事も気軽にお喋りできる人がほしいですね^^