♯116 優しさとか真面目さとか強さとか

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116回目の投稿になります

「優しい」とか「真面目」とかって、いい事だと思いますか?

「強さ」ってなんだとおもいますか?

この書き出しで

「あ、なんかこいつ、重めの話をしそうだぞ」と思った方は、常連様かもしれません^^

前回アドラーについて書いた時の「何があったかではなく、どう解釈したか」を、最近色々な事に当てはめて考えています

そうすると、最近は「当たり前を疑う」というか、今までの自分の価値観を再定義してみようみたいな感じになっています

うまく言えてない気がしますが^^例として「優しさ」「真面目さ」「強さ」について、今の自分なりの解釈を書いてみたいと思います

自分の中の感覚的な話なので、やや抽象的になるかもしれませんが、ご容赦ください^^

・「優しさ」

→人に優しくしなさいと育てられてきました

これについては異論ありませんし、人に優しくできる自分でありたいと思っています

優しさに対して優しさで返されるとすごく嬉しいし、同じくらいのギブとギブの関係になれたときは、そういう人との縁は絶やさずにいたいなと思ったりします

しかし、優しさという言葉の中に安住してしまうと、私は「あれもこれも優しさだから」と思考停止に陥りやすい人だとも思います

例えば、何でも相手任せになって優柔不断で決断力が乏しくなったり…

相手に嫌われないように我慢してしまっている現状であっても、それを「献身的な優しさ」と自らをだますような解釈をしてしまったり…

本質は自分の意志の弱さなのに、「優しさ」という言葉で自分を納得させ、自己犠牲を加速させてしまう事もありました

これは、自己肯定感の低さというか、自信のなさからきていて

「もっと優しくしないと、この関係は維持できないのではないか」

と考えてしまうからかもしれません

でも最近は、自分が無理を重ねて維持される関係性は長く続かないよなって思って

大事な人にこそ、なるべく素の自分を出してみようと思ったりしています

「私は、基本優しい人間だ。だから、私が素の自分を出しても、失礼な感情を抱かせる事にはならないはずだ」

という風に自分を信じて、怖いけど素直な自分を出してみるってのを最近は意識しているかもしれません

思い返すと、私は、優しくすることのモヤモヤをずっと抱えていた気がします

相手に優しさをもって接しますよね

でも、相手からは優しくされない

そうすると、自分も相手に優しく接したくなくなる

今は、「どう頑張っても合わない人っているよな」とか「なんだアイツ」って思えます^^

でも、以前の私は

「誰に対しても優しくしないといけないのに、この人には優しくできない。って事は、そんな自分はダメなんじゃないか」的な思考に陥っていました^^

良くないですよね^^でも、以前の私は、絶対に優しくしなければ!優しくできない自分はおかしい!

みたいにネガティブな矢印が自分に向いてしまっていた気がします

優しい事はいい事だけど、優しくする事にこだわって自分を殺してしまうような事は良くないなって思えるくらいには成長したかもしれません^^

気付いたら、もう1300字も書いてしまいました^^

すごーく感覚的で抽象的な事を書いてしまいましたが、付いてこれましたか?^^

真面目さと強さについての考察は、次回にしたいと思います

こういう感じで、優しさや真面目さについて考えながら走っていたら、気付いたら10キロ走ってました^^

マラソン大会の本番も、少し重めの議題を用意して考えながら走る作戦もあり?なんて^^

そしたら、時間を忘れて距離を稼げる?

あ、でも、それだと大会自体を楽しめなさそうなんで、やっぱやめます^^

では、また次回に

いつもありがとうございます

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