いよいよ北海道マラソンです
8時45分スタート!!
完走、そして4時間30分切り目指して頑張ります
スマホから投稿してみました笑

読書記録「嫌われる勇気」
著者:岸見一郎・古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
初版:2013年12月
前回に続き、アドラーです^^
前回までは「課題の分離」「何があったかではなく、どう解釈したか」「他者と比較しない勇気」などについて、本を基に私の考えなどを書いてみました
今回はその続きです
・「ほんとうの自由」とはなにか
アドラーは「自由とは、他者から嫌われる事である」と言いました
これは、わざわざ嫌われるような生き方をしろとか、悪行を働けと言っているのではありません
あなたが誰かに嫌われているという事は、それはあなたが、他者にどう思われるかよりも先に、自分がどうあるかを貫いている証拠である
つまり「自由に生きている証」であると
いやー、その通りですよね^^
人それぞれ考え方や趣味嗜好は違います
Aさん、Bさん、Cさん…全ての人に嫌われないようにするためには、それぞれの考え方に自分を合わせる事が必要であり、それってもう「自分がない状態」ですよね
他者からどう見られるかという事ばかりを気にするという事は、自分の人生を生きていない事になるし
「気にする」という事こそ、自分が傷つきたくないという自己への執着につながっているのかもしれません
だって、関係が壊れる事だけを恐れて他者と関わるのは、心理的安全性がないというか、すごく不自由な感じがします
そのパワーバランスを、その人と一生続けるの?って思っちゃいますし^^
本のタイトルでもありますが、この「嫌われる勇気」こそ、評価の軸を他者から自分へ取り戻す事なのかもしれません
・「横の関係」
アドラーは「叱ってはいけない・褒めてもいけない」と言いました
「よくできたね」「すごいね」
こういう褒めるという行為には「能力のある人が、ない人に下す評価」という側面があると
褒めたり叱ったりするのは、アメを使うかムチを使うかの違いでしかなく、背景にある目的は「相手を操作すること」であると
アドラーはこのような縦の関係を否定し、横の関係、つまり意識の上では対等であるという関係の健全さを主張しました
このあたり、すごく興味深いです
叱るのが相手を操作する事を目的とするのは何となく私も理解できます
でも、褒める事も相手を操作する事につながるというのは、すごく新鮮な価値観でした
でも、これを読んでなるほどなと思ったのは、大学で勉強した「支配と社会心理(うろ覚え^^)」みたいな内容です
ヒトラーは、ナチスドイツ政権下で、聴衆に対して時にはドイツ人の優越さを説き、時には現状のダメさをこっぴどくこき下ろし、洗脳といっていい熱狂状態に陥らせ支配しました
この「褒めたりダメ出ししたり」の振れ幅を大きくするのも、縦の関係に基づく支配の1つなのかなと思ったり
横の関係とは、「それはあなたの課題」と課題の分離をした上で、できることを一緒に考える
そして、課題に立ち向かい、行動に移す勇気を持たせる
これをアドラーは「勇気づけ」と呼んで、自身の個人心理学の最も重要な概念としたようです
他者の課題に介入したり自分も背負ったりするのではなく、あくまで行動するのは相手、私はその勇気づけをする存在であるという事なのかなと思ったりしました
これを読んで、私も横の関係を意識した人間関係を作っていきたいなと思いましたね^^
いや、この資本主義が君臨する世の中、たぶん普通に生きていれば縦の関係になると思うんですよね
「ありのままのあなた」の存在自体をお互い認め合った上で、それぞれの課題に対してできる事を考え、それぞれが行動する
そんな関係性を築ける人に出会えたらいいなと思いますね
あ、出会えたらいいなだと他責っぽくなるから、自分が実践していけばいいんですね^^
今日も長くなっちゃったんですが、まだ
「自己肯定」ではなく「自己受容」
「信用」ではなく「信頼」
こんな内容も残ってまして、もう少し書いてみたいと思っています
という事で、次回もアドラー紹介にお付き合いください^^
全くの別件ですが、いよいよ明後日、北海道マラソンに挑戦してきます
1月からコツコツ努力を重ねたひとつの集大成
昨日、最後の練習を終え、体調はすごくいいです
しかも、当日の天候も「曇り・最低16度、最高24度」という、願ってもないくらいの最高の天気になりそうです^^
まずは完走ですが、4時間30分切りという目標目指して、精一杯頑張ってきます!
116回目の投稿になります
「優しい」とか「真面目」とかって、いい事だと思いますか?
「強さ」ってなんだとおもいますか?
この書き出しで
「あ、なんかこいつ、重めの話をしそうだぞ」と思った方は、常連様かもしれません^^
前回アドラーについて書いた時の「何があったかではなく、どう解釈したか」を、最近色々な事に当てはめて考えています
そうすると、最近は「当たり前を疑う」というか、今までの自分の価値観を再定義してみようみたいな感じになっています
うまく言えてない気がしますが^^例として「優しさ」「真面目さ」「強さ」について、今の自分なりの解釈を書いてみたいと思います
自分の中の感覚的な話なので、やや抽象的になるかもしれませんが、ご容赦ください^^
・「優しさ」
→人に優しくしなさいと育てられてきました
これについては異論ありませんし、人に優しくできる自分でありたいと思っています
優しさに対して優しさで返されるとすごく嬉しいし、同じくらいのギブとギブの関係になれたときは、そういう人との縁は絶やさずにいたいなと思ったりします
しかし、優しさという言葉の中に安住してしまうと、私は「あれもこれも優しさだから」と思考停止に陥りやすい人だとも思います
例えば、何でも相手任せになって優柔不断で決断力が乏しくなったり…
相手に嫌われないように我慢してしまっている現状であっても、それを「献身的な優しさ」と自らをだますような解釈をしてしまったり…
本質は自分の意志の弱さなのに、「優しさ」という言葉で自分を納得させ、自己犠牲を加速させてしまう事もありました
これは、自己肯定感の低さというか、自信のなさからきていて
「もっと優しくしないと、この関係は維持できないのではないか」
と考えてしまうからかもしれません
でも最近は、自分が無理を重ねて維持される関係性は長く続かないよなって思って
大事な人にこそ、なるべく素の自分を出してみようと思ったりしています
「私は、基本優しい人間だ。だから、私が素の自分を出しても、失礼な感情を抱かせる事にはならないはずだ」
という風に自分を信じて、怖いけど素直な自分を出してみるってのを最近は意識しているかもしれません
思い返すと、私は、優しくすることのモヤモヤをずっと抱えていた気がします
相手に優しさをもって接しますよね
でも、相手からは優しくされない
そうすると、自分も相手に優しく接したくなくなる
今は、「どう頑張っても合わない人っているよな」とか「なんだアイツ」って思えます^^
でも、以前の私は
「誰に対しても優しくしないといけないのに、この人には優しくできない。って事は、そんな自分はダメなんじゃないか」的な思考に陥っていました^^
良くないですよね^^でも、以前の私は、絶対に優しくしなければ!優しくできない自分はおかしい!
みたいにネガティブな矢印が自分に向いてしまっていた気がします
優しい事はいい事だけど、優しくする事にこだわって自分を殺してしまうような事は良くないなって思えるくらいには成長したかもしれません^^
気付いたら、もう1300字も書いてしまいました^^
すごーく感覚的で抽象的な事を書いてしまいましたが、付いてこれましたか?^^
真面目さと強さについての考察は、次回にしたいと思います
こういう感じで、優しさや真面目さについて考えながら走っていたら、気付いたら10キロ走ってました^^
マラソン大会の本番も、少し重めの議題を用意して考えながら走る作戦もあり?なんて^^
そしたら、時間を忘れて距離を稼げる?
あ、でも、それだと大会自体を楽しめなさそうなんで、やっぱやめます^^
では、また次回に
いつもありがとうございます

いきなりの手書きの図はなんなんだと思われたと思います^^スミマセン^^
あと、バスの絵の下手さには触れないでください。中学時代、美術が2で推薦を取れなかった男なんで^^
今回は、親切心について、そして親切心が予期せぬ方向へ行った場合にどう考えるかについて書いてみたいと思います^^
私は、バス運転手です
先日、こんな事がありました
夜9時台の最終バス。Aを出発して、B営業所前を通り、Cのバス停を通過して、Dが終点です。その後、点線部分を回送してバスはB営業所に戻り、業務を終えます
いつも通り運行し、終点のDにバスを停めました。Dは「○○ダム前」で、家もなく真っ暗で、最終バスでは降りる人はいません
忘れ物がないか車内を確認するため運転席を降り後ろへ歩き出すと、ありました
忘れ物が
いえ、忘れ物ではありません
高校生の女の子が熟睡していました^^
体に触れるのも良くないので、声を掛けます
全く起きません^^
私のスマホのアラーム音を最大にして顔の近くで流します
起きました
私「終点ですよー」
学生「あ、スミマセン。やばい、ここどこですか?」
私「終点の○○ダム前ですね」
学生「スミマセン、寝過ごしちゃって…降ります」
私「はい」
と言って、2人で前のドアへ。定期券を確認し、学生さんはバスの外へ…
行きませんよね^^私、さすがに声かけます
私「降りたかったの、ここじゃないよね?」
学生「はい。Cのバス停です」
私「あー、さすがに真っ暗なダムに女の子一人で置いてけないんで、近くまで乗っていきますか?この後、このバスはB営業所まで回送で戻るので、Cの近くまで乗せますから」
学生「あー、でも、申し訳ないです」
私「家族の方が迎えに来られますか?」
学生「母は夜勤でいないと思います」
私「無理にとは言わないですけど、状況的に近くまで乗ってもらった方が、私も安心なので、そうしませんか?」
学生「ありがとうございます。スミマセン、お願いします」
という事で、Cの近くで学生さんは
「本当にごめんなさい。今後、このような事がないように気を付けます。ありがとうございました」
という非常に気持ちの良い礼儀正しい言葉を残してバスを降りていきました
ここまでならいい話ですよね^^私も「人助けできたなあ」みたいな気持ちで帰路につきました
翌日も仕事を終えて営業所に戻ると、所長が渋い顔をして「○○君、ちょっといい?」と私を呼びます
「昨日、回送のバスに人乗せた?」と言われました
そうなんです。回送のバスにお客さんを乗せてはいけないんです
でも、あれ?なんで所長が知ってるの?誰にも言ってないはずなんだけど、と思っていると
「さっき、ある学生のお母さんから電話きて『娘が寝過ごしたけど、とっても親切な運転手さんに近くまで送ってもらったみたいで。本当にお世話になりました。その運転手さんにくれぐれもよろしくお伝えください』と電話あったんだよね」
とのこと^^
所長からは「勝手な事をしないように」と指導を受け、私も「申し訳ありません。今後、このような事がないようにします」と返し、その場は終わりました
さて、ここから考察です^^
私は親切心で学生さんを乗せました。学生さんはその事をお母さんに報告したのでしょう。そして、お母さんは感謝を伝えるために営業所へ電話をした
誰も悪くないのに、良くない方向へ行く事ってあるんだなあと思いました^^
あ、でも実際は、悪いのは私です
回送に客を乗せてはいけないというルールを破ったのですから
仮に回送中に事故があったりすると、大きな問題になります
でも。でもですよ。その状況で真っ暗なダム前に、「ルールだから」と女の子を1人置いていくのは、人としてアリですか?^^
世の中って、こういう綺麗事で片付かない現実的な問題ってありますよね
自分の責任を回避するなら、営業所に電話をかけて指示を仰ぐのがいいんでしょうね
でも、その電話で「ルールなんで、降ろしてください」って言われたら、私は降ろすのか?
まだ結論が出ていません^^
機械のように無感情で仕事ができれば、それに越した事はないんですけどね^^
読者様が私の立場に置かれたら、どうしますか?
114回目の投稿になります
【北海道マラソンに向けて】
34週目(8月17日~8月23日)
| 日付 | メニュー | あと |
| 8/17(月) | 休み | 13 |
| 8/18(火) | 休み | 12 |
| 8/19(水) | 休み ※1 | 11 |
| 8/20(木) | 休み | 10 |
| 8/21(金) | ジョグ15キロ ※2 | 9 |
| 8/22(土) | 休み | 8 |
| 8/23(日) | ビルドアップ10キロ ※3 | 7 |
※1…通院し、ランニング再開OKをもらう。良かったー^^
※2…キロ6分15秒で15キロ。2週間のブランクがあるのでおっかなびっくり。足の痛みなし。足は軽い。心肺も大丈夫そう
※3…キロ7分からスタートし、10秒ずつペースを上げて最後は5分20秒。心肺も程よくゼーゼーして良い練習になった
いよいよ来週30日が目標としていた北海道マラソンになります
北海道マラソンに向けての今までを簡単に書いてみたいと思います
「大人になると、人生の節目は自分で作らないと訪れない」
なんの本かは忘れましたが^^これがここ数年私の頭にあって、色んな事に挑戦しています
その1つがマラソンです
1月2日、箱根駅伝を見ながら「ランナーかっこいいな」って思いました^^安易すぎるきっかけですが、挑戦してみようと思いました
最初は、4キロ先の職場まで歩くだけで疲労困憊でした^^「これ、無理じゃね?」と思ったのをはっきり記憶しています
3月に入り、雪も解け始めた頃、外を走り始めましたが3キロがやっとというありさま
「次の電柱まで頑張ろう」「次の信号まで頑張ろう」と思いながらヘロヘロで走っていました
でも、継続は力なりということわざはその通りで、続けていくと、いつの間にかその3キロが辛くなくなり「あれ?もう3キロ走った?」みたいな感覚になるのがとても嬉しかったです
40歳を過ぎると、色々な事が「良くて現状維持。普通にしてると衰えていく」ものですが、ランニングしていると上向きな成長を実感できます
これは、すごく嬉しい事でした
ギター、料理、資格の勉強、なんでもそうですが、できなかった事ができるようになる事の喜びは、本当に人生を豊かにしてくれます
しかも、マラソン練習は、できるようになるために他者を介在する必要がありません
できるようになった事は全て自分の努力の賜物です。自分の努力が他者の利益に流れる事なくすべて自分に還元される
これは最高の自己犠牲^^自己肯定感爆上がり案件です^^
仕事で変な客にからまれようが、他人から冷たくされようが、そういう外部からの色々な事がまったく気にならなくなりました^^
「ま、いうて、オレ今日20キロ走れたしな~」みたいな^^
4月に10キロ、5月にハーフ、7月に30キロのレースに出場し、目標を達成するごとに自信もついてきました
マラソン練習は、私に色々なメリットをもたらしました
朝ランするようになって早寝早起きが習慣化した、消費カロリーが増えて良く食べるようになった、睡眠の質と量が上がった、頭がすっきりして読書や勉強が捗るようになった、ポジティブシンキングが基本になった、筋肉量が増えた事でからまれても戦えるかもと思えるようになった(ウソ^^)などなど^^
このような自己コントロールの向上は、生活の安定、ひいてはメンタルの安定につながっていると思います
直前にケガしましたが、それも北海道マラソンを完走するための盛り上げるストーリーの1つみたいに考える事にしました
どんな小説だって映画だって、最初から最後まで順調なストーリーなどないですよね。ややこしい人が出てきたり、乗り越えられなさそうな逆境が立ちはだかったり
という事で、あと1週間、できる準備をして楽しく本番に臨んできます
1週間後の30日が本番です
速報をこちらのブログで紹介できるかはわかりません。もしかしたら1~2日遅れるかもしれませんが、必ずお知らせしますので期待してお待ちください
私も、自分に期待して頑張ってきます^^
こちら、私が使っているアシックスのランアプリのスクショです

昨日までの累計走行距離910キロ^^
ジムのマシンなどで走った分も足すと、1000キロは軽く超えてます
1000キロって札幌から東京を越えて静岡くらいまで行くそうです^^
そんだけ頑張ってきたんだから大丈夫だと思う事にします^^
・漢字検定P108~121
→部首で絶望再び^^漢字の意味を丁寧に拾っていくと、同じ漢字が違う形式で出てきた時に対応できる。前半からそれをやっておけば、後半の勉強ペースが上がる

読書記録「嫌われる勇気」
著者:岸見一郎・古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
初版:2013年12月
前回に引き続きアドラーです
10年以上振りくらいの再読です
前回読んだときは30歳くらいで、絶賛仕事人間だった時期なのもあったのか、読み終えた時、少し批判的というか「そうか?」みたいな感覚だった事をぼんやり憶えています
ですが、です^^
今回読むと「アドラーさん、その通りですね^^」って感じです^^
最近は少しずつ心も整ってきたからか、半分くらいは「自分もできてるな」、半分くらいは「なるほど、そういう考え方でやってみよう」みたいな感じでした
今回は、この「なるほど、そういう考え方でやってみよう」の部分を中心に書いてみます
・問題は「何があったか」ではなく「どう解釈したか」
アドラーは、自分の性格を「経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって決定される」と考えました
だから、過去に支配される生き方を否定し、「人は変われる」を前提に生きよとしています
これって、自分的にはすごい事だと思います
だって、経験に意味を与えるのは「自分」ですよね
という事は、今の自分が変われば、自分の性格のみならず生き方まで変容させていく事ができるという事になるからです
これは、自分の人生を他者に委ねるのではなく、自分でハンドルを握る事になりますよね
私が目指す生き方にも合致しています
ただ、この生き方を進めようとすると、今までの考え方や行動様式を変えていく必要があります
現状維持バイアスが効きやすい人間にとっては、価値観の転換が自分の知らない不安な世界へ踏み出す事にもなります
また、自分の現状を「過去」に理由づける事もできないため、考え方によっては決断する事への心理的な負荷が高くなるとも言えます
そこで大切になってくるのが、アドラー心理学の肝になる、この言葉になります
・他者と比較しない勇気
はい。アドラーは勇気を持とうと読者に語りかけます
誰とも競争する事なく、ただ前を向いて歩いて行くという事
今の自分よりも前に進もうとする意志にこそ価値がある
他者と比較する事の本当の恐ろしさは、他者全般、ひいては世界を「敵」だとみなすようになるとアドラーは言います
敗者にならずとも、勝ち続けていようとも、競争の中に身を置けば気持ちの休まる暇がない
それが心の疲弊につながり、自信のなさや優越コンプレックスによる他者への攻撃性になって顕れると
私は、今、マラソンを趣味としています
これもまさに「解釈の仕方」「意味づけ」だと思うのです
「1位を取りたい」「あいつには勝ちたい」「平均より前の順位で」などと意味づけすれば、それは他者との比較になります
でも、「完走したい」「4時間30分以内で走りたい」と意味づけすれば、それは、「自分の今、ここ」に集中することになります
そして、これは肌感ですが、後者を目標とした方が嬉しいです
「1位を取りたい」って、他者というこちらの意志ではどうしようもない外部要因に縛られますよね
参加人数、参加者のレベルなど。もし参加者にオリンピック選手がいれば1位を取る可能性は限りなく0ですし、「オリンピック選手がいたから仕方ない」と理由づけちゃう事もできます
それよりは、1歩1歩足を進めてゴールに近づいている自分や、目標時間でゴールできるようにペースを決めて練習している自分の方が価値があるなって思います
まあ、この辺の感覚は40を過ぎたっていう年齢的なものもあるかもしれませんが^^
若い時なら、他者に勝ちたいみたいな感覚はもっとあったかもしれません
私なりの解釈ですが、アドラーが大事だという「勇気」とは、自分の価値観を自分で確定させ、それを他者の目を考えずに貫くことなのではないかと思います
今で1500字^^たぶん来週の読書記録もアドラーです^^
112回目の投稿になります
アドラー心理学に関する本を改めて3冊ほど読みました
一番キャッチーな本は、こちら『嫌われる勇気』かなと思います

本の全貌は明後日金曜日の読書記録で紹介しようと思っていますが
今回は、アドラー心理学の最もコアな部分「課題の分離」について書いてみたいと思います
まず、アドラーは他者からの承認欲求を否定します
むしろ、承認を求めてはいけないとまで言います
承認欲求の多くは、幼少期からの賞罰教育にあるとしています
適切な行動を取ったら褒めてもらえる。不適切な行動を取ったら罰せられる。この先にあるのは、「他者の期待を満たすために生きる」こと、つまり「他者の人生を生きる」ことだと
その結果、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、「自分が自分でいること」を抑えて生きてしまう
このようなタイプは真面目な人に多い。親や教師の期待に応えようと苦しんだり、恋人や配偶者に過度な自己犠牲をもって尽くし過ぎて心を病んだりと自分を見失っている場合が多いと
ここまで、過去の自分をアドラーにすべて言い当てられているようで、もう苦笑いしかできません^^
アドラーさん、あんたすごいよ^^私の青年期の生きづらさそのものです
大学生くらいの時期にアドラー心理学に出会えていたら、なんか色々変わったのかなんて思ったり
あ、でも、今幸せだから、あの時の苦悩含めて良しとするかと思ったり^^
本に戻ります
このような承認欲求からの脱却として一石を投じるのが「課題の分離」です
すごく簡単に言うと、ある課題があったとき、「これは、誰の課題なのか?」
「自分の課題ではない場合、それには踏み込まない」
という観点で考えることをアドラーは説いています
子どもが勉強するかしないかは子どもの課題
親が「勉強しなさい」と命じるのは他者の課題に対して踏み込む行為である
「勉強しなさい」と言うという事は、親が子どもの勉強を自分の課題としている証拠
世間体や自分の子育ての成功や支配欲などを満たしたいという自己中心的な承認欲求からの行為である
100万円を用意するのは恋人の課題
あなたが金を貸したり、代わりに働いたりするのは他者の課題に対して踏み込む行為
100万円用意したいという欲求は、他者の課題に踏み込んでまでも自分の承認欲求を満たしたいという、ある意味で自己中心的な行為である
なかなか手厳しいですが、「相手のための行為である」という考えを、アドラーは、「その本質は、承認欲求を満たすための自己中心的な行為である」としています
これはおもしろいというか、ハッと何かを目覚めさせる角度の視点だなと思いました
ここで、少し補足があります
アドラーは、自分の課題と他者の課題を分離する事を説いていますが、それはイコール放任主義というわけではありません
勉強にしてもお金にしても相手に「それはあなたの課題だよ」と伝える事が大切としています
そして、相手がどのような決心を下すのか。ライフスタイルを変えるのか、または変えないのか
これは相手の課題であり、こちらはそこに介入すべきではないとしています
アドラーは、課題の分離を「ここから先は自分の課題ではないという境界線を知る事」としています
他者の課題に介入する事、他者の課題を抱え込んでしまう事は、自らの人生を重く苦しいものにしてしまうと言います
話の前半に戻ります
このような悩みを抱えるのは、真面目な人に多いとありました
そうであるならば、他者は真面目な人に対して「他者の課題を自分の課題であるかのように錯覚させ、押しつけてくる」恐れがあるということです
数年前に「いただき女子」という事件がありましたね
その女性は、SNS上で知り合った男性に、親の手術や借金などの話をして多額のお金をゲットしていたというものです
アドラー的には、手術費用や借金は女性の課題であり、男性の課題ではない
でも、女性は男性に対し、お金を出せば恋人関係になれるかのようなやり取りをし、男性から自発的にお金を出させるようなマニュアルまで作っていたとのこと^^
巧みな心理テクニックですが、これは「女性の課題に男性を完全に取り込んだ」と言えるでしょう
この「課題の分離」、癖づいてくると「これはだれの課題か」を考える事ができるようになるし、相手の課題に入り込まない方が相手と対等な関係性を構築できるという事に気付けたりします
次回ももう少しアドラー心理学、書いてみたいと思います
111回目の投稿になります
昔から視力は良くて、これまで目で困った事はなかったのですが、最近仕事を終えると目が疲れてぼやけて見える感じが出るようになってきました
たぶん、加齢と仕事が原因です^^
特に夜にバスの運転をすると、車内は明るく外は暗い。フロントガラスに車内の光が反射して見づらい。その状態で目を凝らして見るので疲れるんだと思います
そこで、目の保護という事で、プライベート、仕事を問わず日中はサングラスを付ける事にしました
それから3か月ほど経った時、ふとある事に気が付きました。それは
「仕事中、変な客にからまれなくなった」という事です^^
私はバス運転手ですが、接客業をしていると、様々なお客さんがいますよね
ここに来ていただいている読者様も、接客に関わる仕事をされている方が多いのではと推察します
肌感ですが、こちらに「ありがとう」って笑顔で言ってくれる素敵なお客様が3割
無言で支払いを済ませる特に可もなく不可もなくといった感じのお客さん6割
「この人にこの後災いが降り注ぎますように」と思っちゃう嫌な客1割といったところでしょうか^^
最終バスに乗ってくる酔っ払いオジサン2人が大声で話している。こちらが車内マイクで「他のお客さんもいますので、もう少しお静かにお願いします」と言うと「うるせーな!口ごたえすんじゃねーよ!」みたいな^^
事故で渋滞が起き、15分ほど遅れて運行中、乗ってきたオジサンが大きな声で「おい、何分遅れてるんだ!JRに乗り遅れたら弁償しろよ!」みたいな^^
赤信号で止まっていると「おい、さっきのバス停で降りれなかったから、今ここで降ろせ」。こちらが「バス停以外では乗降できませんので、次のバス停で降りてください」と言うと「前は降ろしてくれたぞ。お前使えねーな」って言ってくるオジサンみたいな^^
あれ?なんか思い付いた例が全部オジサンだったんだけど^^
オジサンが偉そうだったりクレーム付けがちだったりするのは、私なりの考察があるんですが、それはまた今度書いてみます^^
話を戻します
サングラスを付けるようになってから、そのようなめんどくさいやり取りがほぼなくなったんですよね
接客の感じを変えた訳でもないんです
変わったと言えば、サングラスをかけた事と、マラソン練習で髪がうざったいのでツーブロックにしたくらいです^^
どっちにしても以前より見た目はややいかつくなりました^^
私たちが生きるこの社会は、見た目がいかつくなると絡まれないという事でいいですか?^^
若い女性が、黒髪から金髪にしただけで痴漢に遭いにくくなったみたいな話も聞いたりしますし
もしそうであるなら、良くも悪くも自分に関わってくる人を、外見をどうするかで変える事ができそうですよね
例えば男性は、どんな女性と付き合いたいかで、戦略としてオラオラ系になったり中性的な感じになったりキャラ付けする事を考えるかもしれません
女性も、清楚系やギャル系、メイクの濃さなどを相手に合わせたりするのかもしれません
例えば私は、女性を好きになるとき、その人の内面(考え方や好きな事、嫌いな事など)を好きになる事が多いです
一方私は、タトゥーを入れている女性は好きじゃないです。恐怖を感じます^^
そうすると、ある女性が私にとってめちゃくちゃ内面が魅力的でドンピシャな人だったとしても、タトゥーが入っていれば、私は仲良くなろうとしない訳です
タトゥーが怖いからです^^
話がだいぶそれましたが、バスの運転手ってなんか下に見られがちというか、強い態度に出られやすい気がするんですよね
「職業に貴賎なし」だと思うんですがね^^
だから、サングラスがそのパワーバランスを均衡化してクレームを抑制するのであれば素晴らしい事です^^
見た目が与える影響って、とても大きいのではないかと、サングラスを通して思ったりしたのでした^^
今週頑張ったこと 8/16
110回目の投稿になります
【北海道マラソンに向けて】
33週目(8月10日~8月16日)
| 日付 | メニュー | あと |
| 8/10(月) | 休み | 20 |
| 8/11(火) | 休み | 19 |
| 8/12(水) | 休み | 18 |
| 8/13(木) | 市営ジムで自転車1時間 ※1 | 17 |
| 8/14(金) | 休み | 16 |
| 8/15(土) | 休み | 15 |
| 8/16(日) | 市営プールで歩く ※2 | 14 |
※1…足を付かなければ痛くないという感じに回復してきたので、自転車こぐ。太ももとお尻にいい感じの負荷。これ、もっと前からやっとけばよかったんじゃね?^^
※2…だいぶ回復してきた。市営プールで歩いてみる。水の浮力で負担が少ないのもあって痛みなし。これからも、疲れが溜まってきたらプールいいんじゃないの?という新しい気付き^^ケガしたからこそ発見できた
週の走行距離…0キロ 月間走行距離43キロ
8月の月間走行距離目標…180キロ 月間進捗率23%
→回復に努める。今週はまったく走らなかった。走らないと体がムズムズするんですけど^^これも一種の依存?
→16日現在、痛みなし。18日に再度病院へ。良くなっていますように^^
・レースペース決定
| 距離 | ペース | 平均ペース | 合計タイム | 備考 |
| 1 | 7:00 | 7:00 | ||
| 2 | 6:30 | 6:45 | ||
| 3 | 6:30 | 6:40 | ||
| 4 | 6:15 | 6:34 | ||
| 5 | 6:15 | 6:30 | 32:30 | |
| 6 | 6:00 | 6:25 | ||
| 7 | 6:00 | 6:22 | ||
| 8 | 6:00 | 6:19 | ||
| 9 | 6:00 | 6:17 | ||
| 10 | 6:00 | 6:18 | 1:03:00 | |
| 15 | 6:15 | 6:19 | 1:34:45 | 11.1スポンジ 13.2氷 |
| 20 | 6:15 | 6:20 | 2:06:30 | 20.2チョコパン、スポンジ 24.8塩タブ、スポンジ |
| 25 | 6:15 | 6:20 | 2:38:15 | |
| 30 | 6:15 | 6:20 | 3:10:00 | 31.3氷 |
| 35 | 6:15 | 6:21 | 3:41:45 | |
| 40 | 6:15 | 6:21 | 4:13:30 | |
| ゴール | 4:28:30 | トイレ+1分、応援?+1分 |
という事で、予定より超強気に4時間30分切りの目標を設定しました^^
・レースプランイメージ
| ・スタートラインをまたいだ時に計測スタート ・スタート後は混雑するので、絶対焦らない。仮にキロ8分とか想定以上に進めなくても焦らない ・3キロまではキロ6分30秒以上速くしない。体が走る事に慣れる前にペース上げると心拍数が上がり、疲労感を覚えるのが早くなる ・給水は必ず取る。飲む用と体にかける用。給水地点での接触に注意 ・氷は短パンのポケットに入れる。少しずつ溶けて足を冷やす。スポンジは捨てずに手に持ってみる。給水地点ごとに水を吸わせて走りながら体を拭く ・5キロから10キロまではゆるい下り。19キロまでに平均ペースを6分20秒まで回復させる ・11キロ以降は、ひたすらキロ6分15秒をキープ ・「百里を行く者は九十を半ばとす」のことわざに従い、35キロ地点でまだ30%くらい余力があるのが理想。35キロ過ぎにペース上げられれば最高。完全に未知の距離なので、自分を信じるのと最後は根性^^ ・ペースと5キロごとの通過タイムの理想を腕に書いておく ・30度を超えるような暑い日になりそうなら、無理せず設定ペースを落とす。11キロ以降は5秒落として6分20秒ペースで。35キロ以降上げられればギリ4時間30分 |
来週のこのブログが北海道マラソン前最後の投稿なので、今までの経過含め、色々書いてみたいと思っています
マジで頑張ります^^
【今週のクリエイティブ】
・読んだ本
手塚治虫「アドルフに告ぐ」
→久しぶりに読んだけど、とっても面白い
「自分とかないから~教養としての東洋哲学~」
→「空の思想」おもしろすぎてメンタル上がった^^
アンドレ・ジット「地の糧」
→2回目読んだけど、まだよくわからない^^
・漢字検定P92~107
→今週は「読み」分野中心で、正答率高くてご機嫌です^^あと数日で「頻出A」終わる。このペースでいけば10月終わりくらいには受検できそう

【今の脳内】
・今後のマラソン予定
10月4日(日)札幌ハーフマラソン
10月11日(日)白老ハーフマラソン
→これで今シーズンのレースは終わりかなあ。冬に旅行を兼ねて本州のレースに出てみようかな^^
→5月の豊平川ハーフマラソンの記録が2時間2分。どちらかで2時間切りたい
→冬、北海道ではマラソン大会がないので、旅行も兼ねて本州のレースにエントリーしようか考え中
・風邪ひいたりケガしたりすると、日常のありがたみがわかる。幸せのラインが下がって良い
読書記録「人でなしの恋」
著者:江戸川乱歩
出版社:創元推理文庫
初版:1926年10月
109回目の投稿になります
あなたは、幼少の頃から手放さず、ずっと愛着を持っていた物や人形はありますか?
どちらかと言うと女性にその割合は多いのかもしれませんが、私にもありまして、それは「タオルケット」です^^
しかも、新品じゃなく、使い古して洗濯を何度もして手ざわりがケバケバになったやつです^^
ちょっと変態っぽい感じになりましたが、そのケバケバをさすっていると安心するんです
「急にお前の癖(へき)を語り出してどした?^^」と思われたかもしれませんが、今回紹介する「人でなしの恋」のお話の肝が、まさにこの「愛着のある人形」なのです
話は、京子という19歳の女性が、門野(かどの)という男に嫁入りした所から始まります
門野は「家に引っ込みがちで女嫌いという噂もあり」、京子は心配していたが、門野は京子に優しく、しばらくは「夢のような新婚生活」を送ります
しかし、半年ほどたった頃から京子は違和感を抱きます
夜な夜な離れの土蔵に行く門野
浮気相手がいるのではと、こっそり後を追う京子
そこで、門野が愛していたのは…
この先、書いちゃっていいんでしょうか?^^
まあ、核心に触れない程度なら大丈夫でしょう^^
門野が愛していたのは女性の人形でした
「私は京子を愛そうと努めたのだけれど、悲しい事に駄目なのだ。若い時から馴染みを重ねたお前の事が、どうしても私にはあきらめ兼ねるのだ」
と人形に語りかける門野
京子は悲しい思いを抱きつつも、門野の苦悩も理解しようとして話は終わって…
いかないんです^^
「さて、私の懺悔話と申しますのは、実はこれからあとの、恐ろしい出来事についてでございます」
江戸川乱歩の小説でゾッとするのは、終盤でこの「実は」という表現が出てきたときです^^
これ以降の内容は書きませんが、私は京子の気持ちもわかるし、門野の気持ちもわかるしで、読み終えてすごく複雑な感情になりました
こちらへお越しの読者様なら、なんとなく結末が想像できた方もいそうな気がします
あと、離れの土蔵の戸に耳をそばだてて中の様子を窺おうとする場面や、夜の描写がとーーーっても緊迫感があって面白いです
タイトルの「人でなし」も、読み終わるとダブルミーニングになっている事がわかります
欲求を前にした時の人間の複雑な心理がむきだしに描かれています
私はこれを23時頃に読んで、ちゃんと眠気が醒めました^^江戸川乱歩、おそろしや
30分程度で読めるボリュームです
読者様もいかがですか?面白さは保証いたします^^
