112回目の投稿になります
アドラー心理学に関する本を改めて3冊ほど読みました
一番キャッチーな本は、こちら『嫌われる勇気』かなと思います

本の全貌は明後日金曜日の読書記録で紹介しようと思っていますが
今回は、アドラー心理学の最もコアな部分「課題の分離」について書いてみたいと思います
まず、アドラーは他者からの承認欲求を否定します
むしろ、承認を求めてはいけないとまで言います
承認欲求の多くは、幼少期からの賞罰教育にあるとしています
適切な行動を取ったら褒めてもらえる。不適切な行動を取ったら罰せられる。この先にあるのは、「他者の期待を満たすために生きる」こと、つまり「他者の人生を生きる」ことだと
その結果、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、「自分が自分でいること」を抑えて生きてしまう
このようなタイプは真面目な人に多い。親や教師の期待に応えようと苦しんだり、恋人や配偶者に過度な自己犠牲をもって尽くし過ぎて心を病んだりと自分を見失っている場合が多いと
ここまで、過去の自分をアドラーにすべて言い当てられているようで、もう苦笑いしかできません^^
アドラーさん、あんたすごいよ^^私の青年期の生きづらさそのものです
大学生くらいの時期にアドラー心理学に出会えていたら、なんか色々変わったのかなんて思ったり
あ、でも、今幸せだから、あの時の苦悩含めて良しとするかと思ったり^^
本に戻ります
このような承認欲求からの脱却として一石を投じるのが「課題の分離」です
すごく簡単に言うと、ある課題があったとき、「これは、誰の課題なのか?」
「自分の課題ではない場合、それには踏み込まない」
という観点で考えることをアドラーは説いています
- 子どもが勉強しない
子どもが勉強するかしないかは子どもの課題
親が「勉強しなさい」と命じるのは他者の課題に対して踏み込む行為である
「勉強しなさい」と言うという事は、親が子どもの勉強を自分の課題としている証拠
世間体や自分の子育ての成功や支配欲などを満たしたいという自己中心的な承認欲求からの行為である
- 100万円必要だと恋人に言われた
100万円を用意するのは恋人の課題
あなたが金を貸したり、代わりに働いたりするのは他者の課題に対して踏み込む行為
100万円用意したいという欲求は、他者の課題に踏み込んでまでも自分の承認欲求を満たしたいという、ある意味で自己中心的な行為である
なかなか手厳しいですが、「相手のための行為である」という考えを、アドラーは、「その本質は、承認欲求を満たすための自己中心的な行為である」としています
これはおもしろいというか、ハッと何かを目覚めさせる角度の視点だなと思いました
ここで、少し補足があります
アドラーは、自分の課題と他者の課題を分離する事を説いていますが、それはイコール放任主義というわけではありません
勉強にしてもお金にしても相手に「それはあなたの課題だよ」と伝える事が大切としています
そして、相手がどのような決心を下すのか。ライフスタイルを変えるのか、または変えないのか
これは相手の課題であり、こちらはそこに介入すべきではないとしています
アドラーは、課題の分離を「ここから先は自分の課題ではないという境界線を知る事」としています
他者の課題に介入する事、他者の課題を抱え込んでしまう事は、自らの人生を重く苦しいものにしてしまうと言います
話の前半に戻ります
このような悩みを抱えるのは、真面目な人に多いとありました
そうであるならば、他者は真面目な人に対して「他者の課題を自分の課題であるかのように錯覚させ、押しつけてくる」恐れがあるということです
数年前に「いただき女子」という事件がありましたね
その女性は、SNS上で知り合った男性に、親の手術や借金などの話をして多額のお金をゲットしていたというものです
アドラー的には、手術費用や借金は女性の課題であり、男性の課題ではない
でも、女性は男性に対し、お金を出せば恋人関係になれるかのようなやり取りをし、男性から自発的にお金を出させるようなマニュアルまで作っていたとのこと^^
巧みな心理テクニックですが、これは「女性の課題に男性を完全に取り込んだ」と言えるでしょう
この「課題の分離」、癖づいてくると「これはだれの課題か」を考える事ができるようになるし、相手の課題に入り込まない方が相手と対等な関係性を構築できるという事に気付けたりします
次回ももう少しアドラー心理学、書いてみたいと思います
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