投稿者: syun

  • ♯138 読書記録 ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」

    読書記録「アルジャーノンに花束を」

    著者:ダニエル・キイス

    日本語訳:小尾芙佐

    出版社:ハヤカワ文庫

    初版:1978年

    138回目の投稿になります

    今回紹介するのは、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」です

    大学生くらいの時に読み、そこから何度も何度も読み返している大好きな作品です

    ジャンルとしてはSFに分類されるみたいですが、一番好きな小説かもしれません

    読むたびに感じる事が異なるんですよね

    たぶん、私自身が重ねた年齢や経験、形成されてきた思想や価値観、読む時の心のありようなどがそうさせるのでしょう

    あ、終盤に向けて段々と経過報告を書けなくなっていく所は、どうしても毎回泣いてしまいます^^

    そして、日本語訳を付けている小尾芙佐さんってすごい方だなあっていつも思います

    この作品は、映画やドラマなどで鑑賞するよりも、活字で読んでこその作品ではないかと思います

    先日も読み返したのですが、その時思ったのは

    「チャーリーが幸せだったのは、どのタイミングだったんだろう」です

    手術により知能は劇的に向上していく

    でも、頭脳がどんどん明晰になっていく事は、見えなくていい事、知らなくていい事に気付いてしまうという事とイコールになる

    作中の

    「この知性が、私と、私の愛していた人々との間に楔(くさび)を打ちこむ。そうして私は、前にも増して孤独である」

    「言葉は時として、心を通わせる道ではなく、障壁である事を気づかせてくれる」

    「金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです」

    このあたりは、頭脳が明晰になったチャーリーが、悩み苦しむ事です

    チャーリーとは境遇が全く異なりますが、私も、この感覚わかる気がするんですよね

    知識や経験が増えたり、メタ認知できるようになってくると

    理性的にふるまえたり、相手の感情が読み取れるようになってくる感じがします

    理性的であったり、相手の感情を読み取れるという事は、一見すると良い事のように思えますが

    一方で感覚が鋭敏になりすぎる事が、自身の発言や行動を躊躇させる事にもつながるんです

    例えば同性、異性に関わらず、いいなと思う人が自分の前に現れたとして

    「友だちになって」とか「付き合ってください」とか言う前に

    「付き合ったとして、私のこういう所を嫌われて終わりそうだな」とか

    「相手もすごくいい人だし、仲良くなればなるほど、辛い別れになってしまいそう」

    とか思って、行動に移す事をためらったりします

    最近はこういう事も少しずつ改善してきたと思いますが、根っこの部分では、人を信じきる事への恐れがまだある気がします

    そんな苦悩が、チャーリーの言動を通して追体験している感じがするんです

    いっそのこと、もっと知識や感情を乏しくしていった方が生きやすいのでは?とか思った時もありました

    ダニエル・キイスさんのもとには、「私もチャーリーです」というお手紙がたくさん届いたそうです

    この作品を読んでも、自身が勇気づけられたり、なにか生き方のヒントとなるようなものが見つかったりする訳ではありません

    でも、読み終わると、心に栄養が補充されるというか、満たされる感覚があります

    この本を読んだ事がある人と、感想の交流してみたいですね^^

    本の紹介、本来は金曜(昨日)の投稿でしたが、すっかり忘れていました^^

    1日遅れになってしまいました…スミマセン

  • ♯137 「何もしないをする」という概念

    137回目の投稿になります

    「何もしないをする」

    くまのプーさんの本に出てくるセリフのようです

    先に断っておくと、私、プーさん全く詳しくないです^^

    プーさんの周りにいるトラみたいなキャラとか馬みたいなキャラとか、あと、ピンク色のキャラ(あれは何の動物?^^)とか名前もよくわかりません^^

    それはいいとして、プーさんのセリフに

    「何もしないは、最高の何かにつながるんだよ」というものがあるようです

    深いですね^^

    私は、このへんがうまくできなくて、「何もしなかった日=無駄に過ごした日」みたいな感覚が今もなおあります

    特に、やらなきゃいけない事があったはずなのに、ダラダラ過ごしてしまった日なんかは、すごく罪悪感を感じます

    「あー、何もせず終わっちゃったなー、怠惰だなー」みたいな^^

    でも、プーさんの言う概念で捉え直してみると

    「私は、何もしないという事を、今日はしたんだ!OKOK^^」

    みたいになるって事ですよね

    これだと、自分を怠惰であると貶めたり、無駄な焦燥感を抱くような事が減っていく感じがします

    それに、「何もしない」の効能としては、私は2つほどあると思います

    1つは、体が休まる事で物理的に体力が回復する事

    最近、体力って大切だなって思えてきて、体力があると疲れにくさがありますね

    元気が蓄えられていると、何をするにしても効率(能率)がアップする実感もあります

    疲れてくると、私は考え方がネガティブ寄りになりやすい気がします

    もしかすると、体を動かす元気さがあるから、やりたい事が出てくるのかもしれません

    「元気さ」>「やる気」みたいな^^

    2つ目は、自分の内側に向き合う時間を作れる事です

    ・やってみたい事を書きだしてみたり

    ・長期的な展望(5年後、10年後どうなっているかな)などを妄想してみたり

    ・なんとなく続けている習慣や人間関係などをフラットに考え直してみたり

    例えば3つ目なら「今やってるこれは、この人は、私が幸せになれるものだろうか」

    みたいな事を、私はよく紙に書いて感情を整理したりしています

    そんな事を考えている時点で、「何もしないをする」とかじゃないじゃん!めちゃくちゃ「してる」じゃん!って突っ込まれそうな気もしてきましたが^^

    私、起きている間は常になにか考えちゃうんで、これはもう癖(へき)ですね^^

    たぶん良くないのは、ダラダラ過ごした後に「あ、今日何もしなかった」と振り返る事であって

    前日とか、その日の朝とかに「今日はのんびり過ごす1日にするぞ」って前もって決めておくのがいいと思いました

    前者だと後悔につながりそうですが、後者だと「のんびり過ごす」という計画を履行しただけなので、満足感が得られるのではと思ったり

    少し話の線は逸れますが、私、家にいて考え事をする時は紙に書きだす事が多いです

    実はこのブログも、一度適当に思うがまま白紙に書き出して、そこからエッセンスを拾いながら書いています

    見せるほどのものでもないんですが、こんな感じです^^

    AIじゃなくて、生身の人間が書いてるってわかるでしょ^^

    ほとんど解読不能だと思いますが、雰囲気だけ感じてください^^

    働いたあなたも、休みだったあなたも、1日お疲れさまでした

    ちゃんと生きててエライと自分を褒めましょう^^

  • ♯136 神社で手を合わせた時に…

    136回目の投稿になります

    先日、貸切バスの仕事で札幌に行きました

    コースは円山動物園→北海道神宮→大倉山のスキージャンプ場でした

    北海道神宮で1時間半ほど滞在時間がありまして、体調不良等でバス車内待機のお客様もいないという事で、私も境内を散策しました

    拝殿のお賽銭の所へ行き、手を合わせようとしたら、現金を持っていない事に気付き^^

    大変申し訳ないのですが、お賽銭を入れずに手を合わせてきました

    キャッシュレス時代、恐るべしですね^^

    お賽銭箱の横にQRコードを読み取れる決済機が置かれるのも、そう遠くない将来にあり得るかもしれませんね^^

    そんな事はどうでもいいんですが、手を合わせていた時

    「あれ、私、何をお願いしようかな」って思ったんですね

    ここから思想的な話になりますが、手を合わせてお願いをする行為について、ふと違和感を覚えたんです

    「次のハーフマラソン2時間切れますように」とか「漢検合格できますように」とか「大金持ちになれますように」とか^^

    なんでもいいんですが、お願いしたところでそれが達成されるかどうかっていうのは、自分の努力次第じゃないですか

    という事は、手を合わせた時の正しい形としてしかるべきなのは

    「ハーフマラソン2時間切れますように」というお願い形式じゃなくて

    「ハーフマラソン2時間切ります」という宣言形式なんじゃないの?

    とかって思った訳です

    こいつ、まためんどくさい事を言い始めたなとお思いでしょうが、もう少しお付き合いください^^

    私この頃、自分軸的なものが形成されてきたと実感していて、そうすると目標に向かって頑張るのって、誰か(神様)にお願いするような事じゃないと思っちゃうんですよね

    そして、達成できたとしたら「神様ありがとうございました」っていうのも、ちょっと違うのではないかなとか思っちゃいました^^

    頑張ったのは私です!みたいな^^

    そうすると、神社で手を合わせる時は

    「私、○○を達成するために頑張るんで、神様見ててね!」

    的な感じがいいのかなと思いましたね

    前にも書いた記憶がありますが、私は何か目指したい目標ができたときは、人に宣言します

    私、まあまあプライドが高い人なのではという自認があるので、宣言する相手は、なるべく自分にとって近しい人だったり、大切な人だったりにします

    そして、宣言したからには達成できないとカッコ悪いよね、という感じに自分を追い込んでいく訳です

    そういう、宣言をする対象の一人として、「神様もよければ聞いてください」みたいな感じでこれからは手を合わせたいと思います^^

    なんか実のない話になってしまった^^

  • ♯135 今週頑張った事9/20

    135回目の投稿になります

    【ランニング】

    38週目(9月14日~9月20日)

    日付メニュー
    9/14(月)インターバル走4キロ ※1
    9/15(火)ジョグ8キロ ※2
    9/16(水)休み
    9/17(木)ジョグ16キロ ※3
    9/18(金)休み
    9/19(土)ペース走10キロ ※4
    9/20(日)ジョグ10キロ ※5

    ※1…キロ5分→2分休憩を4セット

    ※2※3※5…キロ6分20秒で軽めジョグ

    ※4…札幌ハーフの前半イメージでペース走(下記参照)

    週の走行距離…48キロ 月間走行距離106キロ

    9月の月間走行距離目標…120キロ  月間進捗率87%

    【ハーフマラソンに向けて】

    ・札幌ハーフマラソンまであと2週間!

    →開催要項とゼッケン来ました^^

    →こんな感じのペース配分で2時間切りたい

     ペースタイム
    スタート~2キロ6:152キロ通過時12:30
    2キロ~5キロ6:005キロ通過時30:30
    5キロ~10キロ5:4010キロ通過時58:50
    10キロ~15キロ5:3015キロ通過時1:26:20
    15キロ~20キロ5:2020キロ通過時1:53:00
    20キロ~ゴール5:20なんとか2時間切り^^

    【今週のクリエイティブ】

    ・朝井リョウ「どうしても生きてる」 

    →いろんな種類の「痛み」を味わった^^読み終わったら、心も背中も痛いです^^

    ・梶井基次郎「檸檬・冬の日」

     →夏目漱石読んだ後に読むと、めちゃくちゃ読みやすい^^梶井基次郎の文体好き。前回の♯134で、梶井基次郎の「桜の樹の下には」紹介してます

    ・漢字検定P166~179

     →美しい四字熟語が好きです

    「閉月羞花(へいげつしゅうか)」…月がその身を隠し、花が恥じらって閉じるほどの美貌を形容した四字熟語

    「籠鳥恋雲(ろうちょうれんうん)」…籠の中の鳥が雲を恋しいと思う様子から、束縛された人が自由を求める事を形容した四字熟語

    これらの四字熟語作った人、センスありすぎでしょ^^

    もうちょいで問題集部分終わります

  • ♯134 読書記録 梶井基次郎「桜の樹の下には」

    読書記録「桜の樹の下には」

    著者:梶井基次郎

    出版社:角川文庫

    初版:1925年1月

    134回目の投稿になります

    今回紹介するのは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」です

    「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」

    という、なかなかインパクトのある書き出しから始まる本作^^

    桜の樹がこんなに美しいのは、なにかがあるはずだと、見えない地下の部分に思いを巡らせる

    桜の樹の下に死体がある

    そんな状況を見た事はないのに、文章を読むと、今見ているかのような質感というか、リアリティが感じられます

    特に好きなのが、屍体の養分が桜の美しさになっている事を想像させる次の記述です

    「俺には毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束の中を夢のように上がってゆくのが見えるようだ」

    維管束^^生物で習ったな~とかちょっと思い出しましたが

    維管束という用語の具体性が、なんか生々しいというか、ホントに実際そうなんじゃない?的な感覚になったりしますね^^

    この作品を読んでいると

    実際に死体が埋まっているかどうかということが重要なのではなく

    「そう思う事で自分が納得できる」という部分が作者にとって大事な事なのだと思いました

    何事も見える部分と見えない部分があって、見える部分の華やかさは、見えない部分の残酷さによってバランスが取れている

    そのように解釈する事で自分が保たれるみたいな感じなのかな

    後半には「俺には惨劇が必要だ」「憂鬱が完成する時にばかり、私の心は和んでくる」という記述が続きます

    「檸檬」では、檸檬を握る事で「えたいの知れない不吉な塊」がゆるんでくると言ってましたよね^^

    でも一方で、心が和むのは憂鬱が完成した時とも言う

    矛盾と言ってしまえば簡単ですが、私はその不完全さが好きだなと思ってしまいます^^

    最近、本を読んでいると、こういう曖昧さや不完全さ、抽象的な表現などをそのまま受け取れるようになってきた感覚があります

    好き・嫌いとか、共感できる・できないとかじゃなくて、その人の考え方や表現としてそのまま受け止める的な

    これは私の浅い感想なので、もっと深い読み取り方もあるのだろうとは思います

    これを書いた時、梶井基次郎自身が病床の身だった事も、作風に影響しているかもしれません

    私ももっと年を取って、死のイメージが今より近づいてきたタイミングとかで読んだら、違った感想になるのかもしれませんね

    美しさと同時に、散る事の儚さもある桜を題材にした本作

    4ページほどで10分もあれば読めます

    ちょっとしたスキマ時間にいかがでしょうか^^

  • ♯133 「巨人の肩に乗る」が私には最高すぎた

    133回目の投稿になります

    さて、今回は「巨人の肩に乗る」です

    私は、この言葉を知ったことで生きるのがかなり楽になりました

    真面目なあなた、考えすぎてしまうあなたに向けて書きます^^

    「巨人の肩に乗る」という言葉は、ニュートンが残した言葉とされています

    意味としては、「先人の積み重ねた発見に基づいて新たな何かを発見すること」とあります

    万有引力の法則を発見したニュートンですが、その発見は、ヨハネスケプラーが発見した惑星の運行に関する法則などを基にしている

    つまり、ケプラーら先人の学びを「巨人の肩」と表現し、それらがあったから自分の発見は達成された。これを「肩に乗る」と表現した訳です

    あ、ちなみに、私は文系です^^すごく詳しいかのように書きましたが、全てマンガ「チ。」の受け売りです^^

    さて、それが「内省」にどうつながるかということですね

    今はほとんどなくなりましたが、私は、何かにつまずいたり、悩んだりした時に、次のように思う傾向がありました

    それは「この悩みを抱いているのは、自分だけじゃないだろうか」ということです

    それが発展すると「こんな自分はおかしいのではないか」となり、どんどんネガティブがスパイラルしていきました^^

    でもね、近年はYouTubeを始めとする様々なプラットフォームで、様々な人がたくさんの事を発信しています

    そうすると、例えば「うつ」「生きる意味」「人間関係」みたいな事で私が悩んでいたとしても、少し検索すれば、その対策や同じように悩んでいる人の思いなどを知る事ができます

    これによって、まずは「あ、悩んでたのって自分だけじゃないじゃん。身近にはいないけど、画面の向こうにはこんなにたくさん同士がいるじゃん^^」って思えてきます

    すると、「この事で悩んでいるのは自分だけ」という感情が少し恥ずかしくなってくるというか、特別じゃないじゃん、普通じゃんって思えるようになってきて、気持ちが楽になります

    あとは、私の悩みのほぼ全ては、同じように悩んだ先人がいて、対処法やマインドをすでに示してくれているという事です

    なんか、仲間意識が芽生えます^^

    私は、なにか悩みを抱えたら、その悩みに関する本を読んだり、SNSを見たりして情報を集めます

    それらを自分なりに吟味しつつ、これまでの自分の経験などを加味して方向性を見いだす事が多いです

    そして、すごーくすごーくおこがましいのですが、私も発信者になってみたいと思い、このブログを始めてみたという事もあります

    もし、もしですよ^^もし私のブログにたまたまお越しいただいた方が私の文章を読んで、前向きになれたり、行動を起こすきっかけになれたりしたなら、この上ない幸せだなと思ったりしています^^

    これからも私は、たくさんの「巨人」の肩に乗せてもらって人生を歩んでいきたいし

    誰かを乗せる「巨人」になれたらなって思いながら、世界の片隅でひっそりとブログ書いていきたいと思っています^^

  • ♯132 北海道マラソン回顧⑦

    132回目の投稿になります

    北海道マラソンの振り返り7回目、最後になります

    今、これを書いているのはマラソンが終わって10日後

    少し日が経った今、高揚感も落ち着いてきたので、初のフルマラソンで感じた事を俯瞰して書いてみたいと思います

    まず、マラソンってすごく素敵なスポーツだと思いました^^

    2万人が同じコースを走っているのに、それが他者との競争ではない感じがします

    それぞれがそれぞれの目標に向かって頑張るので、周りのランナーはライバルではなく、同じゴールを目指す仲間という感じがしてきます

    北海道マラソンは往復のコースなのですが、すれ違うランナーが「ナイスラン!」と声を掛け合う姿がたくさん見られました

    応援してくださる方々もそれは同じです

    企業やランニングクラブなどの旗を掲げて特定の人たちを応援している人もいますが、沿道からはランナー全員への声援が絶え間なく聞こえました

    個人的には、プラカードに書かれた言葉が感動しましたね

    「最高の思い出を作っちゃおう」

    「全員カッコイイ!オレには無理!」^^

    ここでも、会話より文字のコミュニケーションを好むのかって感じですが、なんか文字で書かれるとグッとくるものがありましたね^^

    ネガティブな言葉、誰かを下げる言葉、順位付け、他者との勝ち負け、そういうものが一切ない、素敵な世界でした^^

    あとは、「マラソンは人生そのものではないか」と感じた事です

    急に思想的になりますが、少し書いてみます^^

    ゴールに向かうには、自分の脚を1歩1歩進める事以外にありません

    当たり前の事ですが、これって人生そのものだって走りながら思いました

    誰かに頼る事を否定したい訳ではありません

    他者と手を取り合って生きる事はすごく素敵な事だと思います

    でも私は、究極的には人間は個人(孤独と言い換えてもいいかな)だと思っています

    結婚しようが恋人がいようが家族がいようが、結局のところ、自分の人生は自分で責任を負うしかない

    自分の機嫌は自分で取って、自ら選択し、決断し、その結果を受けとめる

    マラソンというゲームルールの中では、それが自分の脚を動かす事以外にはないんです

    誰かに頼っても、その人が代わりに走ってはくれないし、走ってくれたとしたらそれは私の記録ではなくなります^^

    今回、15キロ過ぎ、折り返した後の30キロあたり、終盤の38キロあたりでめちゃくちゃしんどくなりました

    でも、少しペースを緩めて走り続けていれば、また力が湧いてくる実感も得ました

    これもまた人生っぽくて^^私はまだ人生40年ちょいですが、大学時代とかメンタルやった30代半ばとか、停滞というかしんどい期間がありました

    そういうしんどい時でも、ペースは落としても人生やめないでいれば、またこんな素晴らしい経験ができるんです^^

    これからの人生、例えば50歳とか60歳とかでもっとヤバい停滞期が来ても

    「この先にもっと素敵な事が待っているかも」と思えそうなので、もうこれからは死にたい願望は封印できそうです^^

    それくらい、今回のマラソン完走は素晴らしい経験でした

    それはたぶん、挑戦しようという決断から、練習、本番まで、全て自分の意志で貫徹できたからだと思います

    今までも、受験や就職などそれなりの節目はありましたが、今思うと、親やおばあちゃんの期待、世間体などが入り混じった決定になっていた気がしていて

    「純度100%で自分の意志」みたいな事は、今回が初めてだった気がします

    そういうの、もっと若いうちにやっとけよって思いますが、まあそれは良しとして^^

    結論としては

    結局のところ、自分が頑張る、自分が変わる事でしか道は開けない

    そして、合理的な練習と準備、強い意志があれば道は開ける

    という事が再認識できた素敵な経験でした

    練習を始めた1月から今までのこの8か月間をまるまる肯定できました

    後半やや抽象度が高くなりましたが、初のフルマラソン挑戦となった北海道マラソンの回顧を、これで終わります

    誰とも知らぬ私のチャレンジを飽きずに読んでくださった読者様、ありがとうございます

    今後とも末永くよろしくお願いいたします^^

  • ♯131 「徳を積む」ってなんだ?^^

    131回目の投稿になります

    さて、今回は「徳を積む」について考えてみたいと思います

    きっかけは、ヨルシカが映画館でライブの上映会をする事を知った事です

    そして、チケットの当選は抽選とのこと

    suisさんの生の歌声を映画館の立体音響で楽しめる

    こんな機会はなかなかないし、叶ったら泣き確定な気がします^^

    「何とか当たってほしい!」と思った時に、ふと頭に浮かんだのが

    「よし!今日から徳を積むぞ!」でした^^

    「徳を積む」の定義としては、「徳」とは良い行いのことであり、「良い行いを重ねること」とのこと

    でも、徳を積むのと抽選に当たるのって関係ないよな~とも思ったり^^(そんな事思ってたらチケット外れるぞ^^)

    こんな感じの事があって、「徳を積む」とはなにかについて考えてみました

    中国の思想書「淮南子」には「陰徳有る者は、必ず陽報有り」という言葉があるようです

    意味は「人知れず徳を積めば、必ず良い知らせがある」

    「徳」には「陽徳」と「陰徳」の2つがあり、「陽徳」は善行を人に直接感謝されたり表彰されたりするもののこと

    一方「陰徳」とは、人知れず行う善行で、見返りや礼を求めないもののこと

    私は、スピリチュアル的なものは全く信じていません^^ゼロです^^

    占いも宗教も全く肌に合いませんし、むしろ嫌いです(悪く言い過ぎ^^)

    だから、人知れず行う良い行いが、ヨルシカのチケットの当選確率を上げるとは思っていません

    私の行いを神様が見てくれていて「よし、頑張ってるお前には、チケットを授けよう」みたいなイメージは皆無です^^

    でも、良い行いを重ねた上でチケットが当選すれば、私はそのライブをより楽しめるのではないかと思います

    そして、チケットの価値も、より高く感じられるのではないかと思ったりします

    仮にチケットが外れたとしても、良い行いをした自分は残るみたいなイメージも持てるので、やる事で損はないかなと思いますね

    ただ、自分の性格上、気を付けなきゃと思うのは、善行はちょっとの事にしようという事です

    多額の寄付をするとか、人に尽くすとか、自己犠牲に向かわないようにするということです^^

    私は、この3日間でやってみた「徳」は、こんな感じです

    ・朝ランしてる時、車も人も全然いない小さな交差点の赤信号をちゃんと待った^^(普通だろ^^)

    ・職場の休憩室を通りがかった時、誰もいないのに電気が点いていたので消した^^

    ・スーパーで買い物していた時、調味料コーナーになぜか明治ミルクチョコレートがあったので、お菓子コーナーへ行き所定の場所に戻した^^

    書いてる途中に思ったけど、これらって「徳」ですか?^^なんか善行のレベルが低い気がしてきた^^

    でも、こんな感じで過ごしていると日常がちょっぴり楽しくなる気がするし、いいかと思っています

    チケットの当落発表が10月2日なので、それまで陰徳を重ねてみようと思います

  • ♯130 今週頑張った事9/13

    130回目の投稿になります

    【ランニング】

    37週目(9月7日~9月13日)

    日付メニュー
    9/7(月)休み
    9/8(火)ペース走8キロ ※1
    9/9(水)休み
    9/10(木)ビルドアップ走13キロ ※2
    9/11(金)休み
    9/12(土)ロングジョグ15キロ ※3
    9/13(日)ロングジョグ10キロ ※4

    ※1…キロ5分15秒で8キロ。今までよりかなり速いペース

    ※2…キロ7分→5分15秒で13キロ。心拍数と呼吸が上がっているのがわかる

    ※3…キロ6分でジョグ。※1と※2の練習の影響か、ゆっくりに感じる

    ※4…キロ6分30秒でジョグ。疲労抜きで楽に走る

    週の走行距離…46キロ 月間走行距離58キロ

    9月の月間走行距離目標…120キロ  月間進捗率49%

    【ハーフマラソンに向けて】

    ・ハーフマラソンで2時間を切るために

    →5分40秒ペースで21キロ走るスピードとスタミナ必要

    →現状は10キロ超えるとしんどくなる^^心肺を高める練習が不可欠

    ・10月4日、札幌マラソンの要項とゼッケン来た

    →真駒内を発着として、大通公園まで行くコース。北海道マラソンの良い流れを続けたい

    【今週のクリエイティブ】

    ・白鳥春彦「独学術」読む

     →独学の仕方ではなく、独学する事による自己成長にスポットを当てた本。問題を与えられてそれを解くのではなく、自ら問いを立てる事が大事という部分がとても勉強になった。面白かった

    ・山本七平「空気の研究」

     →空気を読むとは?言い出せない空気とは?1977年初版という、今から50年ほど前の本だが、まったく古さを感じない。個人的には、空気が熱狂を帯びやすいのに対して、通常性の象徴として出てくる「水」の存在が面白かった。「水を差す」の意味がポジティブなものに変わった

    ・ダニエル=キイス「アルジャーノンに花束を」

     →また読んでしまった^^そして、また泣いてしまった^^チャーリー自身が幸せと感じたのはいつなんだろう?知る事や理解する事が幸せにつながらないのが切ない…

    最近、たくさん本読めてて嬉しい^^

    ・漢字検定P152~165

     →今週は「読み」中心。正答率が高くて嬉しい^^書く時に、形(バランス)を取りにくい漢字ってありませんか?私は「箋」「貌」「怨」とかが、何回書いてもうまくバランス取れません^^何度かドリル的に練習するとゲシュタルト崩壊が始まるし^^

  • ♯129 北海道マラソン回顧⑥

    129回目の投稿になります

    北海道マラソンの振り返り6回目です

    ・35キロ~40キロ(合計タイム4:06:55 区間タイム29:28 ラップ5:53/㎞)

    前回書きましたが、35キロ地点で私は致命的な計算ミスを犯しまして

    残り7キロを52分でいいところを42分と勘違い^^

    やっぱり脳ミソって、疲れていたりストレス感じていたりするとスペックが下がるというか、ミスしますよね^^

    さて、結果的には35~40キロの5キロを、私は平均5分53秒という素晴らしい記録で走ったのですが、それは後から知った事であって、その時の私は必死です^^

    なんでもいいから前に進むといった感じで、腕をブンブン振って、呼吸もゼーゼー

    フォームもブレブレで、気力のみで走っていました^^

    そんな38キロ地点、私設エイドといって、個人的に補給を配ってくれている方々がいるのですが、大きな段ボールに

    「コーラあります!どなたでもどうぞ!」

    って書いてあって、私は吸い寄せられるように近づいていきました

    60代くらいのご夫婦がコーラの入った紙コップを並べていて、私に

    「もう少し!ここまで来たら大丈夫!頑張って」と言い、手渡してくれました

    その時のコーラ、お世辞抜きで今までの人生で一番おいしい飲み物でした^^

    思わず「私、初挑戦なんです。ありがとうございます」と言いました。すると

    「初めてにしてはすごいいいタイムじゃない!頑張って!ほら、もう1杯飲んで行きなさい^^」

    と言われ、コーラお代わりして走り出しました

    なんか感動して、走りながら普通に泣きましたね^^サングラスしてて良かった^^

    名前もお伺いできなかったのですが、大変感謝しています

    このブログを書く2日ほど前、なんの気なしにコーラ飲んだんですが、飲んだ瞬間にあの時のコーラ思い出してちょっと泣きそうになりました^^

    コーラ飲むと泣く体になったかもしれません^^

    このあたりになると、ランナーたちの様子も一変します

    歩く人多数、コース脇では脚がつったのか座り込んだりする人もたくさんいました

    この5キロで、かなりの人を抜かしたと思います

    コースは39キロを超え、北海道大学の構内へ進みます

    並木道になっており、日影は嬉しいですが、カーブやロータリーが点在していて、曲がるたびに脚に負担がかかり、つりそうになりました^^

    40キロ地点に到着。タイマーを見ると

    「4時間6分55秒」

    そこで私は気付きます

    ん?あれ?早くね?^^

    目標とする4時間30分まで、残り2キロちょいなのに23分ある…でも、この時は計算ミスをしている事に気付かず「??」の中走っていました

    ただ、4時間30分以内にはゴールできそうだと、ホッとした感はありました

    混乱の中、40キロ地点で友人にも無事に会う事ができました

    心のこもった声かけをしていただき、元気をチャージできました

    コーラのご夫婦も、来てくれた友人もそうですが、応援ってホントに力になりますね

    今後も応援に来てくれる奇特な人がいるなら、終盤に来てもらうのがいいのかもしれません

    「人が待ってる」と思えば、リタイアしてたまるかって私は思うタイプだと思います^^

    コースは北大を抜け、道庁赤レンガ、札幌駅前通りと続き、いよいよゴールです

    ・40キロ~ゴール(合計タイム4:21:25 区間タイム14:35 ラップ6:29/㎞)

    このあたりは、応援も大変多く、盛り上がっていました

    折り返し地点では、遠くに蜃気楼のように見えていたJRタワーを横目に、あとはゴールを目指すだけといったところ

    不思議と疲労感はあまり感じていなかったように記憶しています

    全員が私を応援しているという事にして、笑顔でゴールすることができました^^

    ボランティアさんから、完走メダル、タオル、コップを受け取ります

    子どもみたいですが、思わずメダルを首にかけちゃいました^^

    嬉しかったですね

    同じタイミングでゴールした方に「スミマセン、私、一人で来てるので写真撮ってもらえませんか?」と頼まれ、写真を撮ってあげました

    一日一膳達成です^^

    勢いで「あ、私もいいですか?」と言い、私も自分のスマホで撮ってもらいました

    いつもならそんな声かけしないのに、私もハイになっていたと思います^^

    荷物を受け取り、大通公園西8丁目の芝生のところに座ります

    なんとも言えない達成感です

    記録は4時間21分20秒台でゴール!

    目標である4時間30分切りも達成することができました!

    よくやった!自分^^

    次回は、ゴールした後に思う事をつらつら書き、マラソン回顧を終えたいと思います