投稿者: syun

  • 読書記録 三島由紀夫「不道徳教育講座」

    読書記録「不道徳教育講座」

    著者:三島由紀夫

    出版社:角川文庫

    初版:1967年1月

    58回目の投稿になります

    今回は本の紹介です。三島由紀夫の「不道徳教育講座」です

    この本も、私になかなかの影響を与えた本です

    まず、タイトルがいいですよね^^

    すごく簡単に言うと「世の中一般の常識、モラル、道徳を疑え」という内容の本です

    私がメンタルをやられて前職を辞め、転職するに至った際に、考え方の転機になった本のひとつです

    では、紹介してみます

    三島由紀夫の考えが遠慮なく綴られています

    今なら「炎上案件?」かもしれません^^例えば

    「人の恩は忘れるべし」

    「教師を内心バカにすべし」

    「罪は人になすりつけるべし」

    「弱い者をいじめるべし」

    ね、なかなか刺激的でしょ^^

    でもね、例えば私は、「周りに迷惑をかけないように真面目に生きてきた人間」であり、それによって生きづらさを感じたり、逆に自己肯定感を感じられなかったりという半生でした

    そんな私にとっては、この本が「現実世界という荒波を乗り越える処世術」のように思えます

    例えば「友人を裏切るべし」です

    著者は、友人関係というやつは、実は一方が主人で一方が家来である事が多いと言っています

    だから、対等な友人関係を維持するためには、家来側もほどよく相手を裏切り、ほどよい緊張感を生まないと家来は家来のままになってしまうと言うのです

    これ、すごくわかる気がします

    対人関係において、双方が対等な関係ってレアケースな気がします

    たいてい、どちらかが自由奔放にふるまって、一方がそれに従う図式になっている

    関係性の維持のためには従う側の努力が必要であり、その場合、たいてい従う側がストレスを抱えながらの日々になる

    これって、友人関係に限らず、彼氏彼女の関係や夫婦関係などもっと広く適用できそうです

    かく言う私も、今までは「従う側」に位置する事が多かった気がするので、これからはマウント取ってきてんなーっていう相手には、適度に裏切ってやろうかと^^

    できんのかって感じですけど^^

    自然に対等な関係になれるのって、なんか言葉にし難い相性みたいなものもある気がしますが^^

    例えば「大いにウソをつくべし」です

    著者は、ウソをつくという行為を「頭脳鍛錬法」と表現します^^

    「1つウソをつく。ウソはウソを生み、うっかり間に本当の事を言ってしまったら辻褄が合わなくなる。その辻褄を合わすには、自分の言った事すべてについての強い記憶力がいるので、なかなかバカにはウソはつけません」

    これが彼の言うウソの効用です^^

    このように言われると、ウソをつくという行為は、相手への申し訳なさをとりあえず無視すれば、フィクションの世界を自分の能力の限界まで広げる行為のように思えてきます

    いかがですか?

    私はこの本を読んで、なんか世界が開けた感じがしました

    あと、どのような行為にも必ず「善の側面」と「悪の側面」がある事に気付けました

    友人を裏切るというのは、道徳的には悪かもしれないけど、自分を守るためには場合によっては善になりうるという感じです

    三島由紀夫の代表作の「金閣寺」を読んだ事もなければ、彼の思想にも特に共感はしませんが、このエッセイ集は、語り口も軽妙で、楽しく読めました

    真面目ゆえの生きづらさを抱える方、一読すると色々な気づきがあるかもしれません

    予約投稿をすっかり忘れていて、土曜投稿となっております

  • 「Hello Another Way」the brilliant green

    57本目の投稿になります

    最近は、週に4500ビュー、訪問者数500人くらいをカウントしているようです

    いつもありがとうございます

    サイト管理というページがありまして、記事ごとのビュー数などがわかります。ビュー数が多い順にこんな感じです

    歌の紹介>本の紹介>内省>マラソン

    まあ、そうでしょうね^^個人的には

    内省>歌>本>マラソン

    であってほしいですが、「外見を褒められない」だの「カラオケでどう立ち回る」だの、そんな内容で歌や本に勝てませんよね^^

    それはさておき、いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします

    今回は、好きな歌紹介です。前回同様the brilliant greenの曲です

    曲名は「Hello Another Way」です

    この曲、まず何がいいって、タイトルがいいです^^

    大切な人との別れの曲なんですが、別れを「Hello Another Way」=「こんにちは、もう一つの道」(すごい直訳^^もっといい意訳があるはず^^)って表現するの秀逸だなと思います

    これだけで、切なさが増しますよね^^

    1番のサビで「いつかは旅立っていくそれぞれの場所へ、でも今は側にいて巡りくるその時まで」という歌詞があります

    別れの曲って、もう別れてしまった後の曲や、今日とか明日とか、すぐ訪れてしまう別れを歌う曲がほとんどだと思います

    でも、この曲は、すぐ来る別れではないけど、いずれ来る別れを歌っています

    これが、今風に言うと、私にすごく「刺さる」んです

    前に書いたかもしれませんが、私は、友人や恋人など大切な人ができたとして、なんでかわからないけど、その人との別れ(関係性の終わり)を勝手に想像してしまうんですよね^^

    だから、「今のうちにできる事をやろう。感謝を伝えとこう」みたいな感じになります

    この曲の歌詞は、仲の良くなった人と対した時の私の脳内そのものなんです

    トミー、よくわかってるなって感じです^^えらそうでスミマセン^^

    歌詞には「big kiss for my friends」「thank you for my friends」という部分があります

    この別れの対象の相手が誰なのかは明示されていません

    「friends」という事で、文字通り友だちなのかもしれないし、好きな人を少しぼやかしているのかもしれないし、複数形なのでクラスとか仲間みたいな感じなのかもしれません

    その辺りも、それぞれの聴き手に委ねられているような感じがしますね

    私がこの曲の歌詞で一番好きなのは、2番のAメロ部分です

    「少し強くなっても憶えていてほしい、不安な時には必ず勇気をあげるから」

    いいですよね。正直に書くと、相手が「少し強くなる」事って、嬉しくもあり淋しくもあるかなと思います

    成長は嬉しいけど、一方で自分の必要性は薄れるみたいな

    すごく素直な歌詞だと思います

    その上で「不安な時には勇気をあげる」と言っています

    相手からのアクションがなければ見守ろうというのは、強さのある優しさだなと思います。「便りがないのが良い便り」っていうことわざみたいな

    見返りを求めない無償の愛みたいなものを感じます。私もそういう事のできる人になりたいななんて思ったりします^^

    the brilliant green、他にも好きな曲がたくさんあります

    特に「Enemy」「Flowers」などが好きですね。お時間ありましたら、ぜひ聴いてみてください

    いつも読んでいただきありがとうございます

  • 「こっちは客だぞ!高い金払ってんだぞ!」について^^

    56回目の投稿になります

    大正、昭和くらいの文豪の本を読んでいると、見慣れない漢字、熟語、慣用句、表現を目にします(梶井基次郎「檸檬」の「驟雨(しゅうう)」みたいなイメージ。ちなみに驟雨とは、突然の雨、にわか雨のこと。しゃれてますよね^^)

    そういう言葉を書き留めています

    漢字検定は、高校3年生か大学生くらいに取得した2級で止まっているので、準1級チャレンジしてみようかなと思案中です。難易度高いのかな?

    さて、今回は「こっちは客だぞ!高い金払ってんだぞ!」についての考察です

    私、バスの運転手を仕事としています

    先日1泊2日の貸切の業務中にこんな事がありました

    (一般道を走行中)

    客の代表者(以降「客」)「おい!この先に○○っていう写真撮れる所あるみたいだから、ちょっと寄ってくれや」

    私「申し訳ありません。行程表にない所は基本的に寄れません。駐車場の有無も確認できませんしちょっと難しいですね」

    客「バーっと降りて写真撮ってすぐ戻ってくるから、道路に停めときゃいいじゃん」

    私「社の規則上、ちょっと難しいですね。これ以降の行程がずれ込むと、夕食の時間に差し支えますし」

    というやり取りの後に発せられたのが、今回のタイトル

    「こっちは客だぞ!高い金払ってんだぞ!言う事聞けや!」だったんですね^^

    私が思う「客と従業員の関係」について、少し考えを書いてみたいと思いますね

    私は、客と従業員の立場は「対等」だと思います

    客が提供するものはお金です。お金を支払う代わりになんらかの物またはサービスを受けます

    従業員が提供するのは物またはサービスです。その対価としてお金を受け取ります

    それは、支払いがあった時に「このサービスに対してこの金額」という契約が成されたとされます

    という事は、「客だから」という理由で何でも言う事を聞く必要はないし、「金を上乗せするから」と言われて契約以上の事を提供する必要もないはずなんです

    そういう意味で両者の関係は「対等」であると私は思います

    私で言えば、私はお金をいただいてお客さんをA地点からB地点に安全に運ぶのが仕事

    C地点に寄るのは業務外です

    それは「3000円あげるから」と言われてもお断りしないといけないんです

    でも、お客さんの中には、金を払っているから「客の方が立場が上」と考えて、なんでもかんでも要求してしまう人も、残念ながら一定数いる感じなんですよね

    そういう方は、働いたことないのかな?^^逆の立場になればわかりそうな感じもするんですがね

    あと、「予算をケチる客ほど要求が多い」というのも、この業界あるあるです^^

    この行程だと2泊3日ですよという行程を1泊2日に無理やり詰め込む

    そして各行程の滞在時間が短くなり集合時間に集まらない

    行程が遅れ始める

    高速道路を120キロで行けとか言い出す^^

    断ると「高い金払ってんだぞ!なんとかしろ」とか言う^^

    あ、もう1個あるあるありました

    「高い金払ってる」って言う客は最安のプランである事が多いです^^

    高いプランを選ぶ方で料金の高さを言ってくる人ってホントいませんね

    あ、なんか、ただの仕事の愚痴みたいになっちゃいましたね^^スミマセン

    まあ、先ほどのような事を言ってくる客(あえて客と呼びます^^)って、なんか布石というか前兆があるんですよね

    先ほどの例だと「タメ口」ですね。「おい!」の段階で、ああ、何となくヤバそうだなと思います

    あとは、時間にルーズ、バス車内の至る所にゴミ放置、こちらの挨拶を無視、などなど^^

    やっぱり、お金や時間、気持ちなどの余裕が大切なんでしょうかね

    自分が客側としてサービスを受ける立場の時は、従業員の方の仕事ぶりに感謝できる気持ちを持ち続けたいものですね(年齢性別の差別はいけませんが、できない要求をするのって、50代以降くらいの男性が多いんですよね。私もあと10年もすればそのゾーンに足を突っ込むという自戒の意味も込めて^^)

    もちろん、契約した条件が受けられない時は苦情を言っていいと思います

    例えば、お弁当がホームページの写真と違って実物はすごくしょぼかったとか

    それは契約不履行なので言うべきだと思います

    それ以外の過剰な要求は、少なくなるといいなと思いますね

    働く人はロボットではなく、感情のある人間なんでね

    人によっては、働く事で自分が受けたストレスを、客の立場になった時に発散してしまう人もいるのかな

    それか、強く言って要求が通った事があって、そういう良くない成功体験で味を占めちゃっているとか?

    そう考えると、契約内のサービスは真摯に提供するけど、それ以上の事は毅然と断るという従業員(会社)側のきっちりとした線引き(態度)も必要なのかもしれませんね

    最後、少しまとまりがなくなった気もしますが、思った事を書いてみました

    読者様方も色々なお仕事をされていると思いますが、共感していただける部分があれば幸いです

    生きづらい世の中ですが、なんとか手を取り合って乗り切っていきましょう^^

  • Road to 北海道マラソン⑪

    55回目の投稿になります

    北海道マラソン完走に向けた練習記録です

    20週目(5月11日~5月17日)

    日付メニュー体幹トレストレッチあと
    5/11(月)ランニング8キロ ※130分20分125
    5/12(火)ランニング8キロ ※230分20分124
    5/13(水)休み 休み休み123
    5/14(木)休み休み休み122
    5/15(金)休み休み休み121
    5/16(土)休み30分10分120
    5/17(日)ランニング21キロ ※330分10分119

    ※1…キロ7分でゆっくりジョグ。前日の26キロランの疲労抜き

    ※2…キロ6分30秒でゆっくりジョグ。ラスト1キロだけ5分30秒に上げる

    ※3…詳細は下記

    【週の走行距離…37キロ 月間走行距離153キロ】

    5月の月間走行距離目標…102キロ ※月間進捗率67%

    【メモ】

    ・17日のランについて

    →咽頭炎により、4日間完全オフ。ノドの痛みも和らいだのでランニング再開

    トレーニングとストレッチもなしの完全オフだったので、17日のランは足がとても軽い感じがした

    病み上がりでもあるので、6分30秒のゆっくりペースで21キロ

    え?21キロ?^^病み上がりなのに?^^

    という感じもするが、気持ちよく走れた

    ・北海道マラソンのコースの下見

    →少しずつ始めようかと思案中

    歯医者やプライベートで札幌に行く際に、少しずつ進めようかと考えている

    例えば初回はスタートから5キロ地点までなら、次回は6キロ地点からというふうに、何回かに分けて行いたい

    アップダウンや景色、1キロごとのチェックなどをすることで想定ペースを決めていきたい

    でも、これから暑い時期になるので、汗だくで歯医者行くのはよろしくない^^街中にあるレンタル自転車借りる?なにかいい手を考える

    っていうか、さすがに下見まだ早い?^^

    ・今使っているイヤホン、連続再生時間が4時間であることが判明

    これは、北海道マラソンを4時間以内に走りなさいという神の啓示か^^

    でも、それだとキロ5分40秒ペースが必要

    現状だとさすがに厳しい

    上位互換のいいやつ買います

    普段はホントお金使わない生活していますが、こういう支出は良い支出ということで^^

  • 読書記録 ヴィクトール・フランクル「夜と霧」

    読書記録「夜と霧」新版

    著者:ヴィクトール・フランクル

    出版社:みすず書房(池田香代子訳)

    初版:1956年

    54回目の投稿になります

    体調不良は咽頭炎という診断でした

    めっちゃノド痛い^^3日間ほぼ声を出さず、つばを飲むのもひと苦労といった感じでしたが、だいぶよくなりました

    水曜公休、木曜有給、金曜公休とせっかくの公休を2日使ったのが悔やまれますが^^

    ブログ書き溜めたり、パワポ作ったり、本読んだりそれはそれでいい時間でした

    体の調子が悪いと気持ち的にも落ちやすくなるなとか、夜って孤独感を抱えやすいんだなとかそういう事を俯瞰して捉える機会にもなりました

    あと、夜中に読む本は精選すべきですね^^

    太宰の「斜陽」は寝れなくなるし、乱歩の「人間椅子」は別の意味でゾクゾクして寝れなくなります^^

    前置きが長くなりました。今回は、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」です

    フランクルはユダヤ人の精神科医で、1941年から終戦までドイツの強制収容所に抑留された人物で、収容所内での出来事を「観察」という形で記録に残しました

    この本は、極限状態での人間の挙動、絶望の乗り越え方について考えさせられる本です

    内容的には重いです。書くのもはばかられるような恐怖や虐待や飢えは読んでいて辛くなります

    この本については、たぶん私、一読しただけでは読み取りきれていない感じがしています。もう少し年齢や経験を重ねたらまた読んでみたい作品です

    では、内容に触れてみます

    絶望的な状況になった時、崩壊して死んでいく人とはね返す弾力性のある人がいたとフランクルは書いています

    しかも、繊細な精神の人の方が、頑丈な身体の人よりも収容所生活を耐え抜いたとも書いています

    その最も重要な考え方の一つを「拠り所」としています

    そして、その「拠り所」を外に求めるか自分の内面に求めるかで違いが表れるとしています

    少し難しめで、私も理解できているとは言い難いのですが、がんばって書いてみます

    外に拠り所を求める例として次のような事が挙げられていました

    「ある時、収容所内で、年末のクリスマスに休暇が出て家に帰ることができるという噂が流れた。その日まで耐えれば帰れると希望を持った人たちがいた。しかし、22日、23日と近づいても一向にその気配がない。そして、クリスマス当日、それが事実ではない事を知る」

    これによって何が起こったか想像できますか?

    その翌日、今までで最大の(しかも突出して多い)死者が記録されたとのことです

    つまり、噂という外的なものを拠り所にすると、それが叶わなかった時に精神世界が崩壊させられてしまうという事を著者は知ったという訳です

    一方、生き延びた人に多かったのが「内面的な関係性を拠り所にする」という事です

    内面的な関係性とはなにか

    ある人は自分の帰りを待ってくれている人がいる事を思い出す

    ある人は、まだ成し遂げていない仕事がある事を自覚する

    ある人は、収容所の外に生える木に話しかけ続ける

    フランクルは、これこそが「絶望の乗り越え方」の重要なファクターであるとしました

    人間は「自分が誰かと関係している事を自覚する」事で乗り越えられるときもある

    上の例で言うと、帰りを待ってくれているあなたの対象は私でしかない

    成し遂げたい仕事によって助けられる人たちを救うのは私でしかない

    木の視点からすると、話しかけてくれる存在は私でしかない

    この「その相手にとって、対象は私しかいない」という唯一性の感覚が人を生かす

    ここが、この本を読んで私が最も感動した部分です

    人間は誰かに必要とされている、求められているという感覚があるから生きていける部分もあるのだなと私は思いました

    少し脱線しますが、私もどちらかと言うと「必要とされたい」タイプだと思います

    でも、相手も同じようなタイプの人だと、待ちの姿勢だけでは相手の「必要とされたい」感を満たせない事になります

    だとすれば、私から「必要とする」行動を取ることが、誰かの唯一性になる可能性もあるのかななんて思ったりしました

    あー、なんか全然うまく言えてないわ^^

    ただ、この本の章立ては「1,収容→2,収容所生活→3,解放」となっていますが、3の「解放」部分を読むと、何とも言えない読後感になります

    上のような唯一性を信じ帰ってきた人たちが直面する解放後の世界が、イメージと違う事で精神崩壊につながってしまう事もあるという例が紹介されます

    暴力の枠組みから逃れられず今度は暴力をふるう側になってしまう人、収容所生活を誰にも共感されずに苦悩はまだまだ深いと感じてしまう人、待っているはずの人がもういなかった人…

    解放された人が幸福感を得られにくいという事自体が、収容所での抑圧がすさまじかった事を言い得ているなと思ったりしました

    この本を読むと、私が感じてきた「自身の絶望」はたいした事がないと思えてきます

    私の絶望は死の恐怖とは離れていますし、飢えもありません

    でも、「たいした事ない」と思うのがいい事なのかと言えば、それも迷ってしまいます

    少し暗い話をしますが、子どもの自殺があったとき、大人は「狭い世界で判断するな。大人になれば視野も広がって、楽しい事もたくさんあるのに」という言い方をしばしばします

    でも、当人にとっては、今現在見える世界が総量であって、辛さの受け止め方もその人なりの重さであると思います

    そういう人に寄り添える人、物、考え方ってなんなんだろうと思ったりしますね

    今回、うまくまとまらなくてスミマセン^^まだ、混沌の中にいます^^

    元気をもらえる本ではありませんが、絶望を俯瞰する大切さに気付けた気がします

    感想をひと言でまとめると「弾力性のあるしなやかな精神世界を持つ」事

    これを自分なりに探していきたいと思いました

    いつも読んでいただき、ありがとうございます

  • 「長いため息のように」the brilliant green

    53本目の投稿になります

    いやー、the brilliant greenですよ^^

    なんで今まで紹介していなかったんだろうというくらい、大好きなアーティストです

    ボーカルの川瀬智子さんの書く詩が、すごくいいんですよね

    自分の「弱さ」や「不安」を、しっかり言葉にして吐露するんです

    そして、その弱さや不安を「前向きに頑張ろう」でもなく「もうダメだ」でもなく、「それも自分だ」というように受け止める感じがします

    それが、私にとっては、不器用だけどすごく真摯な態度に思えるんですよね

    私の浅い言葉で説明するより、実際の歌詞を紹介した方が、良さが伝わりそうです^^

    ・数秒前の過去に脅えて訳も分からずに 自分を責めた何て無益な苦しみなんでしょう

    →無益なのはわかっているのに考えてしまう事ってありますよね^^最近は減ってきましたが、20代くらいの私は、過去の出来事を消化できずに頭をぐるぐるさせ、起こるかわからない未来の事を恐れていたように思います。そして、それで一番大事な現在の自分を停止させてしまうみたいな感覚があって、「まさに無益やったな」と共感できますね^^

    ・あなたがくれた本を開いてここから逃げ出そう、今や明日や現実よりも少しはマシだから

    →曲の歌詞に「本」が出てくるのって珍しいかなと思っていて、ちょっと嬉しくなります。あと、私が本(特に小説)を読む理由の1つが「ここから逃げ出そう。現実よりマシだから」なんですよね^^すごく共感できます

    最近涙もろくて困りますね(←泣いた?^^)

    ・いつの日も私の答えは定まらなくて、迷いに迷って遠回りして、たどり着く場所そこで待っていて

    →こんなに素直に自分の心情を吐露できるって素敵だなって思います。また、「そこで待っていて」がほんのちょっとわがままを言えている感じがして、それもいいんですよね。私の若い頃のように迷っている人がいるなら、「ため込みすぎなくていいよ」と伝えたいですね

    川瀬智子さん(ファンはトミーと呼びます^^)の書く詩は、自分の弱さに向き合っているからこその強さみたいなものを感じます

    私は、20代、30代、40代と齢を重ねるごとに好きさが増してきています。たぶん、歌詞と私自身の経験が混ざり合う濃度みたいなものが濃くなっていると思います

    ただ、the brilliant greenを「ブリグリ」って略すのだけは、昔からピンと来ないというか、あまりオシャレじゃない感じがするんですよね^^

    じゃあ、何がいいの?って言われると特にないんですけど、個人的には略さないのが一番カッコイイと思います

    the brilliant greenの歌詞には「夜」「月」がよく出てきます

    私は気分が落ちそうになった時は、元気な曲を聴いて上げようとするよりも、こういう曲を聴いて「曲と一緒に一回落ちる」という事をします^^

    そのお供にさせてもらっています^^

    他にも好きな曲がたくさんあります

    勝手に予告しますが、次回の歌紹介もたぶんthe brilliant greenです^^

    眠れない長い夜にはthe brilliant greenいかがですか^^

    一緒に泣いて、寝て、新しい朝を迎えましょう!

    【追伸】

    昨日より、体調を崩し寝てます^^久々の体調不良です

    書き溜めている記事が3回分あるので、投稿は問題ありません。予約投稿するくらいの体力はあります。まあ、数日で良くなるでしょう。書き溜めておくなんて、えらいぞ自分^^

    気温変化の大きい時節柄、皆様もどうぞご自愛ください

    いつもありがとうございます

  • 外見を褒める事ができません^^

    52回目の投稿になります

    最近、Spotifyのアイコン変わりましたよね^^

    よく見るとミラーボールですが、緑の虫がこっちに口を開けているみたいな感じがして、タップする時ちょっと躊躇します^^指を噛まれそうみたいな

    そんなしょうもない事考えてる40代男、絶対イヤですよね^^これもここだから言える事ですね^^

    さて、今回は「外見を褒める事ができません」です

    先に言いますが、今回のはあまり共感してもらえなさそうな気がしています。なぜなら自分でも「それはどうなの?」と思う部分もあるからです^^

    あまり期待せず続きをお読みください

    例えば女性に会うとして、会った時「かわいいね」「綺麗だね」と言えません^^

    「かわいいなあ」「綺麗だなあ」と思ってはいます^^

    なぜ言えないのかを自分なりに考察してみました

    まずは、褒める事自体が恥ずかしいという事ではなさそうです。外見以外の部分は普通に褒める事ができます

    では、なんなのか?

    これは、私は、外見を褒める事を「タダ」とか「軽い」とか思っているからじゃないかと

    もう少し詳しく書いてみますね

    「かわいい」って褒めるのって、その場ですぐ言えちゃうから、なんか軽い感じがしちゃうんですよね

    それなら、相手と会話する中で発見した内面の素晴らしさ、努力している事に対しての尊敬などを言葉に出して褒めたいと思ってしまいます

    「その考え方って自分にない感覚でカッコイイ」とか「相手を思いやる気持ちが素敵だね」とか「○○を教えてくれて楽しかったありがとう」とかは全然言えます

    それと、自分が褒められる側になったと仮定した時に、「カッコイイ」とか「その時計(服、靴)ステキ」とかってあまり嬉しくないのもあるかもしれません

    「褒める」という事がすごく大事な行為だと思いすぎているんでしょうか

    でも、外見を褒めるのって、今の若い世代とかだと男女問わず美容整形やスキンケアなどお金や時間をかけてしっかりされている方も多いので、それは私が言う所の「努力」になりますよね

    そう考えれば「かわいいね」も日頃の努力を褒めている事になるような気もしてきます

    あれ?今回の内容、過去イチしょうもない気がしてきた^^

    会った瞬間にふわっと軽く「○○ちゃんかわいいね!」とか言える人を見ると、羨ましいとは思いませんが、なんか感心しちゃいますね^^

    この件に限らず、私はもっと色々適当でいいんでしょうね

    これの亜種として、「どっちが似合うかな?」問題もあります^^

    女性が私に「ねぇ?髪長いのと短いの、どっちが似合うかなあ?」と聞いてきた場面です

    その時の私の脳内はこんな感じです

    「自分の好きにしたらいいと思うけど。あ、でもこれそのまま言ったら波紋を起こしそう。どうでもいいっていう意味合いじゃないんだよ。ほら、ファッションとかオシャレとか全く見識のない私が判断すべきじゃないんじゃない?そもそも私といる以外の時間もある訳だからやっぱり自分で決めた方がいいような…」

    などと考えた結果、「どっちも似合うと思うよ」などという、なんの毒にも薬にもならない事を言ったりします^^

    でも、「本当に心から○○の好きにしたらいいと思うんだ」と言ったら地獄になりませんか?^^

    同じような事例として、服を一緒に見に行った時の「これとこれ、どっちが似合うと思う?」も私にとっては難題です

    たぶん微分積分の方が簡単だと思います^^

    「え?これ、本当に50:50で悩んでる?実は70:30くらいでどっちかに傾いていて、それをオレに後押ししてほしいみたいな感じになってない?それだとしたら正解を選ばないといけないよね。個人的には左だけど、ファッションセンスないからどうしよう」

    で、「どっちも似合ってるよ」になる訳です^^

    書けば書くほど40代男の悩みじゃないですね^^もうやめます

    もう解決法はわかっているんです

    それは「頭の中でぐるぐる考えている事全てを相手にさらす」事です^^

    それで、「あなたはそういう人だもんね^^」と笑って流してくれる人と関係性を深めていくしかないと思っています

    または、ありがたい事に相手が私の事を好きだと思ってくれていて、私の意向に沿いたいという事なのであれば「髪、短い方がいいよ」とか「左の服がいいよ」とか言えばいいんです

    ただそれだけなんです^^

    でも、それもなんか相手を支配しているような感覚になってしまって気後れしてしまうんですよね

    「自分なんかが、そんなそんな」みたいな

    こんなしょうもない話題に長々付き合っていただきスミマセン

    今日も1700字^^

  • Road  to  北海道マラソン⑩

    51回目の投稿になります

    北海道マラソン完走に向けた練習記録です

    19週目(5月4日~5月10日)

    日付メニュー体幹トレストレッチあと
    5/4(月)休み ※1休み20分132
    5/5(火)休み ※2休み20分131
    5/6(水)休み ※330分10分130
    5/7(木)ウォーキング8キロ ※430分10分129
    5/8(金)ランニング10キロ ※530分10分128
    5/9(土)休み30分10分127
    5/10(日)ランニング26キロ^^ ※630分10分126

    ※1…筋肉痛ピーク。杖ほしい^^

    ※2…少し復活も、まだ歩き方おかしい^^

    ※3…ほぼ回復。体幹トレも再開

    ※4…職場往復をウォーキングで

    ※5…キロ6分30秒のゆっくりペースで10キロ。6分30秒で「ゆっくりペース」とは成長したものです^^

    ※6…3時間走にチャレンジ!詳しくは後述

    【週の走行距離…44キロ 月間走行距離153キロ】

    5月の月間走行距離目標…65キロ ※月間進捗率42%

    →5月の月間走行距離の目標を、4月よりも下げて153キロとした

    これは、4月の実際の走行距離であり、5月は短距離ダッシュなど心肺を高めるメニューも取り入れるため、距離を踏みさえすればいいという段階でもなくなってきていると考えたためである

    と言いつつ、来月には違う事を言っていそうな気もするので、その辺りは体の成長を見ながらという事で^^

    【メモ】

    ・ハーフマラソン後の筋肉痛について

    →ふくらはぎ、前側の太もも、腹筋がめちゃくちゃ痛い。一方、おしり、背中はすぐ回復した

    筋肉痛に軽重があるのは改善の余地あり

    YouTube動画では、おしりの筋肉をうまく使って推進力を上げようというものが多い

    ここを改善できればもう少し楽に長距離行けるのではないか

    ・10日(日)の3時間走りについて

    →次の目標は、7月18日(土)に実施される「札幌30k」という30キロのレース

    練習から少しずつ距離を伸ばして行きたいが、30キロを走ると体への負担が大きいし、ケガにつながるリスクも増すだろう

    そこで、距離を伸ばすよりも、時間を優先して伸ばそうという事をしてみる

    例えば30キロを6分30秒で走ると、約3時間20分くらい

    そのときに、「まずは3時間動き続ける事に体を慣れさせる」というのはどうか

    歩いたり走ったりを繰り返してもいいから3時間動き続けてみようという事で「3時間走」をしてみた

    走る前の想定では「早歩きで30分→ゆっくりペースで2時間走→早歩きで30分」というイメージ

    2時間走部分もだいぶ余裕を持って走れたが、結果は26キロという自己最長距離となった^^

    前回も触れたように、同じようなメニューばかりでも筋肉に刺激が入らないみたいなので、ウィンドスプリントや坂ダッシュ、ランニングも距離やペースを工夫しながら練習を進めていきたい

    あと、今日は最高気温20度という事で、かなり暑かった^^

    北海道マラソンは真夏だけど、大丈夫かな^^

    イヤホンで聴く曲、夏っぽい歌入れようかな^^

    あらためて、先日のハーフマラソンへの応援ありがとうございました!

    走りながら、読者様方の応援が聞こえてきた気がしました^^

  • 読書記録 森博嗣「勉強の価値」

    読書記録「勉強の価値」

    著者:森博嗣

    出版社:幻冬舎新書

    初版:2020年11月

    50回目の投稿になります

    淡々と投稿を続け、気付けば50回目です

    最近は週に4回投稿で約4000~5000のビュー数となっており、自分の予想以上に読んでいただいていることに、驚きと感謝の気持ちを抱いています

    いつも来ていただいているあなた、ありがとうございます^^

    私自身、内面や考えを整理する貴重な場所になっています

    まだまだ書きたい事もたくさんありますし、自己表現の手段として「書く」事は私に合っていると思うので、まだしばらくはこの感じで続けていこうと思います

    せっかくのご縁ですから、これからも末永くよろしくお願いいたします^^

    さて、今回は、森博嗣さんの「勉強の価値」です

    唐突ですが、読者の皆様に質問です^^

    Q:社会人の勉強時間の平均は、週に何分?

    A ①7分 ②22分 ③35分 ④48分

    さあ、どれだと思いますか?

    答えは

    ①の7分です^^

    「少な!」と思いませんか?週に7分ですよ^^

    あ、その前に正解を①に置くって、お前イヤらしい出題者だな!と思ったあなたは、受験頑張りましたね^^(こういうのって、なんとなく③あたりに正解持ってきそうですよね)

    スミマセン本題に戻ります

    総務省統計局による令和3年社会生活基本調査によると、7分みたいです

    しかも、「0分」と回答した人が94%います。ちなみに「勉強している」と答えた人の平均時間は123分です。その平均が7分という事になります

    ここからわかるのは、二極化です。全く勉強していない94%。一方、勉強している6%は123分勉強している

    そんな現実みたいです

    さて、本の内容ですが、勉強する事の本質的な価値について書かれています。いくつか抜粋してみます

    ・社会人の勉強は「やらされ」ではなく主体的なものであるべきである。勉強で得られる力は「広い視野」であり、俯瞰することによる「客観的な観察力」、あらゆるものを遠望できる「予測力」、あるいは「想像力」である

    ・現代人の多くは他者から評価されたいという観念に取り憑かれている人が多く、自分が何をしたいのか、自分の夢は何かといった自己の願望を、他者と切り離して想像する事が難しいように見受けられる。これだと、せっかくの勉強という行為が、他者に認められる自分を形成する作業になってしまう

    ・勉強する事で視野は少しずつ広がっていく。得意なものと不得意なものがあるとわかるだけでも、非常に大事な情報を得たに等しい。自分を知る事は生きていく上で最大の武器となる知性の一つであり、教養の基本でもある

    ・僕が言いたいのは、競争に勝つことが偉い事でもなんでもないという事。僕はそういうふうに人間をとらえていない。自分がやりたい事を自由にできる人は幸せなのだ

    これら抜粋を読めばわかるように、この本は「自分軸を持って生きよ。その軸を形成する手段の一つとして勉強という行為がある」という事を著者の主観たっぷりで説明してくれます^^

    私、こういう本に出会えるととても嬉しい気持ちになります

    それは2つあって、1つは、頭の中でぼんやり思っていたことを明確に言語化してある事です

    もう1つは、仲間がいる感覚を味わえる事です

    これは小説の登場人物にも言えますが「あー、この感情を抱くのって自分だけじゃないんだ」って思えるのは自分的にはすごく価値ある事ですね

    しかもこういう勉強についてとかコンプレックスに思っていることを口に出すのってリアル世界だと抵抗あったりするので、余計に本の世界で仲間がいるのっていいなって思いますね^^

    ただ、本を読んで自分的にちょっとわからないのは、どこからが「勉強」なのかという事です

    著者の考えだと、自分で興味をもった事を学び、自分なりの結論を得ることが喜びであり、勉強の醍醐味であると書いています

    これを私の実生活で当てはめると

    ・経済や資産形成を学ぶ→勉強に入るだろう

    ・色々工夫しながら料理する→勉強?

    ・より速く、より長く走れる方法を試す→勉強?

    3つとも「勉強」になりますか?^^

    勉強という言葉の定義を自分なりに固めるのも大切な事かなと思ったりしました(自分的には全部勉強にしちゃっていい気がします^^)

    あとがきに書かれてある内容が、私の背中を押してくれるというか、「そのまま頑張りなさい」と言ってくれているようで嬉しかったので、一部紹介します

    ・自分が何をしたいのか知らない人は、自分で楽しみを作れない。作れるなんて考えてもいない。楽しみは、本来その人の中から生まれるものなのに、外部に用意されていると勘違いして探している

    ・勉強の楽しさを知った人は、一人を楽しめる。来る者拒まず去るもの追わずである。だから、むやみに人を誘わない。逆に人がたくさんいないと楽しめない人たちは「つるむ」事になる

    今、ふと思いましたが、勉強の面白さって「何を勉強するか自分で決めれる事」も大きい気がします

    学生の頃の勉強ってカリキュラムやシラバスが決まっていますし、就職してからの資格とかも勤務内容に沿ったものであるといえます

    そうではなくて、本当に自分の興味から始める勉強。私なら「資産形成」「家計管理」「効率的な走り方」「馬の血統^^」

    そういう自分の中から湧き出てくるような本当の好奇心に基づいた勉強って、楽しいんですよね

    そう、勉強って本来は楽しいもの

    あなたは、なにか学んでいますか?そういうの共有出来たら、もっと世界が広がって楽しそうですよね^^

    今回も2100字です。スミマセン^^

  • 「あぶく」ヨルシカ

    49本目の投稿になります                                                                                  

                                                 

    今回は、好きな歌紹介です。ヨルシカの「あぶく」です

    ヨルシカの最新曲になります

    ヨルシカって、新曲のたびに「今までにない感じ」と思わされますが、一方で「少し懐かしい感じ」も同時に感じる不思議かつ魅力的なアーティストだと思います

    suisさんの声が毎回違う感じがします。今回は、少し気だるい感じで始まりますが、サビでは緊張感があって、テンポも先を取って前へ前へ行くような感じがします

    音も、サビまではアコースティックギターの音色が大きめに聞こえてきます

    私も少しギターを弾くようになったのですが、あのコード進行の時の「キュル♪」っていう音、好きなんですよね(擬音語が合ってなかったらスミマセン^^)

    歌詞は、反復が多用されています

    「水面浮かんで浮かんでは消える」

    「喜びに火を、火をつけておくれ」

    意図はわかりませんが、この反復がテンポ感をアップさせる感じがして、聴いていて心地いいです

    この曲は、アニメ「LIAR GAME」の主題歌になっています。私は原作が大好きで(以前、好きな本で紹介しました)、アニメも録画して観ています。原作に忠実に描かれており、変な改変がないので楽しく視聴しています

    「あぶく」は、MVも大変興味深いです。中毒性があって、何回も見ちゃいます^^もう20回くらいは見たんじゃないかな^^

    内容に少し触れるので、それが嫌な方はここでおやめください

    どうしてもメガネのオジサンを応援しながら見てしまいます^^初見の時、歌詞を全然見なかったのは私だけではないはずです^^

    個人的な「好きポイント」をいくつか挙げてみます

    ・41秒の両手を挙げて降伏ポーズしているのに無慈悲に撃たれるところ^^

    ・1番も2番も、サビの時はけっこういい感じになるところ。結局撃たれるけど^^

    ・2分35秒の、ドアをふさいで殺し屋が入ってこれないように頑張るけど壁の向こうから撃たれるところ^^

    ・3分10秒の、一心不乱にテレビを割ろうとしている事に困惑し、「こいつ何してんの?」と少し撃つまで猶予がある殺し屋^^

    そして、このMVで一番好きなのは、第三者目線で見ている「私」が、当事者に引き込まれるラストのサビです

    最後は「私」が撃たれた事で役割が変わり、今度は「私」がこの状況をなんとかしないといけなくなります

    しかも、もうテレビは割れていて、そこに人はいないのでさらに絶望みたいな^^

    これについて、私の主観による解釈をかいてみます

    この展開、非常に示唆深いと思うんです

    このSNS社会、例えばスポーツの試合でうまくいかなかった選手をネットでボロクソに叩く。例えば不祥事を起こした企業、不倫した人などを徹底的に叩く

    叩く人は、画面の向こうの安全な場所で叩いている訳ですが、そんなあなたもなにかのきっかけで当事者になる事もあり得るよという示唆なのかなと思ったりしました

    n-bunaさん含むヨルシカチームがどうしてこういうMVを作ろうと思ったのか、真意は示されていない訳ですが、色々解釈して楽しめるのがいいなと思います

    最後「私」に役割が変わった景色が5秒ほど流れますが、もしかしたら、これすらどこかで見ている人がいたら?なんて思ったり^^

    壁に掛けられている絵も「ペンローズの階段」でしたっけ?無限ループの象徴ですよね?

    私は浅学のため、これくらいしか気付きませんが、MVの中にはもっと色々散りばめられている気がします

    最近、「あぶく」をヘビロテしています

    何十回もMVを見ていると、開始5秒でいきなり撃たれるの、不謹慎ながら笑ってしまうんですよね^^

    是非、聴いてみてください!