♯79 読書記録 朝井リョウ「イン・ザ・メガチャーチ」②

執筆者:

カテゴリ:

読書記録「イン・ザ・メガチャーチ」②

著者:朝井リョウ

出版社:日本経済新聞社

初版:2025年9月

79回目の投稿になります

一回飛ばしましたが、引き続き、朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」の紹介になります

推し活が大きなテーマです

推しを仕掛ける人、推しにはまっていく人、かつて推しにはまっていた人

その中で、今回は、推しにはまっていく武藤澄香という人物を中心に触れてみたいと思います

そして、「武藤澄香に触れる=過去の私自身のドロドロした部分にも触れる」という事になります

できるだけライトに書きますので、お付き合いください^^

武藤澄香は大学生で、周りが留学を決める中、決められない。友人関係もうまく作れないという人物です

英語が得意と思ってきたのに、大学ではそれが当たり前で、抜きんでる事でもない

そして、留学を決める時に「英語を話せるよりも大事な、人とのコミュニケーションという部分が絶望的に向いていない」と気付いてしまう

かと言って留学をやめたところで、今からそれと同じくらい時間と労力を注ぎたいと思える何かに出会える気もしない

自分の事を誰も理解してくれないと思いつつも、たった一人の理解者に出会いたいと強く願っている

これ、私が教育大学に入ってから味わった苦しさとほぼ一緒です^^

教員って、頭の良さや真面目さよりも、ノリや勢いが大事だったりします

ぶっちゃけ言うと、私のような真面目でコツコツ型を頼ってくれる生徒もいるんです

でもね、職員室内では違うんです。「理論何なんて関係ない。ダメなものはダメ。そういう指導ができないヤツは教員向いてない」みたいな感じなんです

これを大学3年生の教育実習で味わった時は、病みましたね^^

さんざん考え、最後には「教員になりたいって本当に思っている?」という所にたどり着くも、ここまで来てしまったキャリアを手放せずに無理やり目指しました(就職氷河期ど真ん中でしたし^^)

教育大学のような単科大学の難しい所は、それ以外のキャリアに軌道修正しにくいところです

みんな教員採用試験を受けて教員になるのが前提なので、就活もしていないし(今はたぶん違うと思います)

このころの私が、新興宗教やアイドルの推し活、酒やギャンブルなどに触れる機会があったら、溺れてしまっていたかもしれません

逃げ場がない感じ、適応できていないのは自分だけなんじゃないかという孤独感、かと言って誰かに頼るのも苦手…

なので、あの時の私は、武藤澄香と同様、なにかにハマってしまう条件が揃っていたように思います

武藤澄香という人物を読む時、どうしても過去の自分と向き合わざるをえない感じになりますね^^

彼女の心情が書かれた部分を一部紹介します

「海外留学をしたいとか、将来英語を使う仕事したいとかだって、ただそういう風に思いやすい環境の中にいただけで、自分で選んだわけじゃないような気がしてくる」

「そもそも本当に私は海外留学したいのだろうか」

「本当の私はどんな人間なのか。私のアイデンティティは何なのか」

「海外留学」を「教員」に変えると、私が悩んでいた事そのものです^^

こういう時に、デビューを控えたアイドルグループにハマり、大量のお金と時間を注ぎ込んでいくことになります

武藤澄香がハマっていったのは、「物語性」です。グループの中の1人、ミチヤは「人見知りで引っ込み思案だったけど、自分を変えたくて頑張っている」という売り出し戦略の男の子

この物語性に武藤澄香は自分を重ね合わせハマっていくのです

そして「視野は拡げるより狭めるべきだった」と、周囲の人間関係をどんどん希薄にしていき、推し活仲間との狭く濃い関係に身を委ねていきます

どんな結末かは書きませんが、おもしろかったという感想にはなれませんでしたね^^

仕掛ける側のシステム化された戦略は怖さを感じるし、お金や時間を費やしてでも推しを1位にしたいという気持ちは私には理解しにくかったです

デビューライブに行くためにCDを何百枚買う。次は、ランキング1位にするためにCDを何百枚買う。YouTubeの再生回数を稼ぐために1日かける。次のホールライブのためにまた何百枚

実際、武藤澄香はお金が続かずに父親に嘘を言ってお金をもらってCDにつぎ込みます

これって終わりが見えないですよね。でも、だからこそ「物語」に酔い、「視野」をあえて狭くする必要があるのかもと思ったりしました

本からは少し離れますが、「推し」とか「沼」とかって、ここ10年くらいの社会の変容もあるのではと思ったりします

それは、流行りの多様化です。国民全員が知っているブームというものは、今はなくなったと思います

それぞれが自分の「好き」を見つける時代は、資本主義の面から見ると「客(ファン)が少ない」状態であるといえます

そうすると、必然的に、客一人あたりが払うお金の単価を上げないと商売が成り立たない

それが、客の生活を破綻に追いやるほどの中毒性のある仕掛けにならざるを得ない構造なんだろうなとは思いました

私は、30年くらい競馬やってますが、賭ける額については全然低いです^^

これがなぜなのかもちょっと考えてみたいと思いました

朝井リョウは、今日も私をえぐってきます^^

今回も2000字^^いつもスミマセン^^

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です