119回目の投稿になります
本日2本目です^^
前回の投稿で「優しさ」「真面目さ」「強さ」について改めて定義づけてみようと書き始めた結果、優しさのみで文字数オーバーとなりましたので^^今回は、その続き「真面目さ」「強さ」について書いてみたいと思います
・真面目さ
私はこの言葉を良い意味でとらえてきました
それは「しっかり頑張ることのできる」という意味合いであったり、「社会規範を外さない」という意味合いであったり…
もちろんそれらはいい事ですし、現在の私もそうでありたいと「基本的には」思っています
しかし、この「真面目さ」、負の側面の方が大きいなというのが今の正直な考えです
それは「必要以上に頑張りすぎてしまう事」と「限界を超えて頑張っている自分に無自覚である事」です
ダメかもと思った時に「もう無理です」と白旗上げて逃げるという意識が、私にはもっともっと必要なのだと思います
適応障害になって休職、または退職となっても職場の上司や国は面倒を見てくれません
収入がなくなったり、生活が維持できるか不安を覚えたり、将来の展望が見通せなくなったりしても、それを何とかするのは自分以外にいません
心身をすり減らして仕事をしたとして、病気になったらそれは自己責任として返ってくる
例えば教員という仕事なら「社会に役立っている」とか「この生徒のために」みたいな感じで自分を捧げても、その生徒が、同僚が、ダメになった私の生活保障をしてくれる訳ではないのです^^
それなら、最も大切にすべきは「もう無理かも」という自身の心の声なのではないか
つまり、あきらめるとかやめるとかいう事をもっと気軽にポジティブに考えていいのではという事です
私が思うには、この真面目さの原体験は、幼少期の「習い事」にあると思っています
教室に見学に行って、いいかもと思って、親も賛成して習い始めて、1か月くらい経ったときの「あれ?そんなに楽しくないかも」の気持ち、共感していただけますか?^^
そして、それを「始めたばっかだし、お金もかかってるし、親に言えない」の気持ちもわかりますか?^^
そして、気乗りしないまま通い、それが少しずつ日々のメンタルを蝕んでいく感じ
長くなりそうなので、この「習い事問題」は、またいつか書いてみたいと思います^^
私にとっての真面目さとは
「普通の人ならもう無理と言ってやめてしまう事を、限界を超えて頑張りすぎてしまう良くないこと」
と今は再定義してみました
・「強さ」
強さについては、考えた結果、以前と変わらない結論に落ち着きました^^
それは、殴り合ったり、大声で威嚇したりケンカしたりする事が強さではないという事です
例えば学生時代、当時お付き合いしていた彼女と歩いていたとき、数人の不良にからまれた事がありました
その時、私は、前を遮られたりからかわれたりしたんですが、ヘラヘラして「すみませーん」とか言って、その場をやり過ごしました^^
そして、後日「この前のあれ、なんかダサかった」という理由で彼女にフラれました^^
でも、その時は「なんだコノヤロー」っていきがる事が正解とは到底思えなかったんですよね
自分のみならず、下手したら彼女にも危害が及ぶかもしれないでしょうよと
もう1つ例示してみます
仕事で頭ごなしに怒られたりする事があります
仕事柄、すごく昭和的な古い気質が残る職場なんで、理不尽なすごまれ方をする事もしばしばあります^^
そういう時は、自分的に絶対外せない価値観を揺るがす事以外は、私は「すみません」と謝ります
「それはおかしいと思います」とかは言わない事が多いです
私の中の「強さ」の意味は、「負けれる事」だと思っています
これは今も変わっていません。例えば彼女とすすきの歩いてて怖い人たちにからまれたら、笑顔で頭ペコペコしながらめっちゃ謝ると思います^^
負ける事ではなく、負けてあげられる事
見えている世界では負けているけれども、自己の精神世界としては勝っている
こちらの方が「視座が高い」という認識です
あ、でもこれは、この感覚を理解してくれる人でないと「ただの情けないヤツ」としての評価で終わります^^以前の彼女のように^^
という事で、「真面目さ」「強さ」について改めて定義づけしてみました
聞き触りのいい言葉、否定されにくい言葉の一般的な定義が自分を苦しめる事ってありそうですよね
書いてみて、なんかちょっと気が楽になった感じがします^^
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