他者に期待しない

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48回目の投稿になります

昨日のハーフマラソンから一夜明け、足が生まれたての子鹿です^^プルプルしてます

フルマラソンだと私はどうなってしまうのでしょうか^^

さて、今回は「他者に期待しない」です。またまた重くなりそうなタイトルですができるだけライトに書いてみたいと思います^^

「ま、そんなものだろうな」

という感情がいつも頭の片隅にあります。例えば約束が守られなかったとき、例えば相手の発言と行動が一致していないとき、例えば嘘をつかれたとき

そういう時には、怒りよりも先ほどの言葉が浮かびます

なので、最近は、不義理な事があっても怒る事は全くと言っていいほどなくなりました。怒らなさ過ぎて逆に怖いと言われることもあります^^

この前、この「怒り」について少し考えるタイミングがありました

私はなぜ、他者に対して「キレる・怒鳴る」という行為をしないのかという事についてです

「オレはこんなに怒っているんだぞ」という事を相手に伝えるためには、キレたり怒鳴ったりするのが最もわかりやすいとは思います

でもね。私はそれ以上に「怒鳴るという行為を自分自身が良しとしていない」みたいな感覚があるんですよね

だから、怒鳴るより、急にその人の前から姿を消すみたいな動きをしちゃうんですよね^^

すごーくカッコつけて言うと「怒鳴ることは自分の美学、美意識に反する」みたいな感じです^^

カッコつけてますねー^^

話を戻します。自分の中での「他者に期待しない」というのは、言い換えると「自分がコントロールできない領域については、関心を持たない」という感じでしょうか

そのように考えれば、期待するという行為自体が、不確定なものに自分の想いを託す事になり、それは良くも悪くも執着や依存を生み出してしまう遠因になるような気がするんです

執着や依存は、相手が上の立場になりやすく、過度な自己犠牲によるいびつな関係になりやすいですし

だから私は必要以上に期待しないのかもしれません

人間関係で言うと「来る者拒まず、去る者追わず」といったところかもしれません

でも、私はお釈迦様ではありませんから、不義理な事に出会った時は、それなりにイライラするし、失望します

イヤな思いを必要以上に感じないようにするための予防的措置みたいな感じで、「他者に期待しない」のがいいと思おうとしているのかもしれません

この辺りは、まだ自分の中で結論が出ず揺れている感じですね

孔子は「40にして惑わず」と言いましたが、私は惑ってばかりです^^不惑には程遠いですね^^

少し角度を変えて考えてみます。それは、「じゃあ、何に期待するのか?」という事です

それは「自分」なんだろうなと最近は思っています

自分のなにに期待するのか?

それは、自分の可能性、頑張る姿勢、ダメな所も受け入れる強さ的な事でしょうか

環境や状況的には不遇で、抜け出す事が難しい状況でも、考えたり自分を励ましたりすることについては誰もが平等にできると思います

あ、これ、すごくいい表現ですが、フランクルの「夜と霧」に書いてありました^^とってもいい本だったので、後日紹介します

長々と書いてきましたが、他者に期待しない事の最も大きな効用について書いて終わります

それは、「考え方や価値観が合う人に不意に出会ってしまった時の感動がエグい」という事です^^

急に仮面外してさらけ出したくなります^^

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