読書記録「アルジャーノンに花束を」
著者:ダニエル・キイス
日本語訳:小尾芙佐
出版社:ハヤカワ文庫
初版:1978年
138回目の投稿になります
今回紹介するのは、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」です
大学生くらいの時に読み、そこから何度も何度も読み返している大好きな作品です
ジャンルとしてはSFに分類されるみたいですが、一番好きな小説かもしれません
読むたびに感じる事が異なるんですよね
たぶん、私自身が重ねた年齢や経験、形成されてきた思想や価値観、読む時の心のありようなどがそうさせるのでしょう
あ、終盤に向けて段々と経過報告を書けなくなっていく所は、どうしても毎回泣いてしまいます^^
そして、日本語訳を付けている小尾芙佐さんってすごい方だなあっていつも思います
この作品は、映画やドラマなどで鑑賞するよりも、活字で読んでこその作品ではないかと思います
先日も読み返したのですが、その時思ったのは
「チャーリーが幸せだったのは、どのタイミングだったんだろう」です
手術により知能は劇的に向上していく
でも、頭脳がどんどん明晰になっていく事は、見えなくていい事、知らなくていい事に気付いてしまうという事とイコールになる
作中の
「この知性が、私と、私の愛していた人々との間に楔(くさび)を打ちこむ。そうして私は、前にも増して孤独である」
「言葉は時として、心を通わせる道ではなく、障壁である事を気づかせてくれる」
「金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです」
このあたりは、頭脳が明晰になったチャーリーが、悩み苦しむ事です
チャーリーとは境遇が全く異なりますが、私も、この感覚わかる気がするんですよね
知識や経験が増えたり、メタ認知できるようになってくると
理性的にふるまえたり、相手の感情が読み取れるようになってくる感じがします
理性的であったり、相手の感情を読み取れるという事は、一見すると良い事のように思えますが
一方で感覚が鋭敏になりすぎる事が、自身の発言や行動を躊躇させる事にもつながるんです
例えば同性、異性に関わらず、いいなと思う人が自分の前に現れたとして
「友だちになって」とか「付き合ってください」とか言う前に
「付き合ったとして、私のこういう所を嫌われて終わりそうだな」とか
「相手もすごくいい人だし、仲良くなればなるほど、辛い別れになってしまいそう」
とか思って、行動に移す事をためらったりします
最近はこういう事も少しずつ改善してきたと思いますが、根っこの部分では、人を信じきる事への恐れがまだある気がします
そんな苦悩が、チャーリーの言動を通して追体験している感じがするんです
いっそのこと、もっと知識や感情を乏しくしていった方が生きやすいのでは?とか思った時もありました
ダニエル・キイスさんのもとには、「私もチャーリーです」というお手紙がたくさん届いたそうです
この作品を読んでも、自身が勇気づけられたり、なにか生き方のヒントとなるようなものが見つかったりする訳ではありません
でも、読み終わると、心に栄養が補充されるというか、満たされる感覚があります
この本を読んだ事がある人と、感想の交流してみたいですね^^
本の紹介、本来は金曜(昨日)の投稿でしたが、すっかり忘れていました^^
1日遅れになってしまいました…スミマセン
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