読書記録 ヴィクトール・フランクル「夜と霧」

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読書記録「夜と霧」新版

著者:ヴィクトール・フランクル

出版社:みすず書房(池田香代子訳)

初版:1956年

54回目の投稿になります

体調不良は咽頭炎という診断でした

めっちゃノド痛い^^3日間ほぼ声を出さず、つばを飲むのもひと苦労といった感じでしたが、だいぶよくなりました

水曜公休、木曜有給、金曜公休とせっかくの公休を2日使ったのが悔やまれますが^^

ブログ書き溜めたり、パワポ作ったり、本読んだりそれはそれでいい時間でした

体の調子が悪いと気持ち的にも落ちやすくなるなとか、夜って孤独感を抱えやすいんだなとかそういう事を俯瞰して捉える機会にもなりました

あと、夜中に読む本は精選すべきですね^^

太宰の「斜陽」は寝れなくなるし、乱歩の「人間椅子」は別の意味でゾクゾクして寝れなくなります^^

前置きが長くなりました。今回は、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」です

フランクルはユダヤ人の精神科医で、1941年から終戦までドイツの強制収容所に抑留された人物で、収容所内での出来事を「観察」という形で記録に残しました

この本は、極限状態での人間の挙動、絶望の乗り越え方について考えさせられる本です

内容的には重いです。書くのもはばかられるような恐怖や虐待や飢えは読んでいて辛くなります

この本については、たぶん私、一読しただけでは読み取りきれていない感じがしています。もう少し年齢や経験を重ねたらまた読んでみたい作品です

では、内容に触れてみます

絶望的な状況になった時、崩壊して死んでいく人とはね返す弾力性のある人がいたとフランクルは書いています

しかも、繊細な精神の人の方が、頑丈な身体の人よりも収容所生活を耐え抜いたとも書いています

その最も重要な考え方の一つを「拠り所」としています

そして、その「拠り所」を外に求めるか自分の内面に求めるかで違いが表れるとしています

少し難しめで、私も理解できているとは言い難いのですが、がんばって書いてみます

外に拠り所を求める例として次のような事が挙げられていました

「ある時、収容所内で、年末のクリスマスに休暇が出て家に帰ることができるという噂が流れた。その日まで耐えれば帰れると希望を持った人たちがいた。しかし、22日、23日と近づいても一向にその気配がない。そして、クリスマス当日、それが事実ではない事を知る」

これによって何が起こったか想像できますか?

その翌日、今までで最大の(しかも突出して多い)死者が記録されたとのことです

つまり、噂という外的なものを拠り所にすると、それが叶わなかった時に精神世界が崩壊させられてしまうという事を著者は知ったという訳です

一方、生き延びた人に多かったのが「内面的な関係性を拠り所にする」という事です

内面的な関係性とはなにか

ある人は自分の帰りを待ってくれている人がいる事を思い出す

ある人は、まだ成し遂げていない仕事がある事を自覚する

ある人は、収容所の外に生える木に話しかけ続ける

フランクルは、これこそが「絶望の乗り越え方」の重要なファクターであるとしました

人間は「自分が誰かと関係している事を自覚する」事で乗り越えられるときもある

上の例で言うと、帰りを待ってくれているあなたの対象は私でしかない

成し遂げたい仕事によって助けられる人たちを救うのは私でしかない

木の視点からすると、話しかけてくれる存在は私でしかない

この「その相手にとって、対象は私しかいない」という唯一性の感覚が人を生かす

ここが、この本を読んで私が最も感動した部分です

人間は誰かに必要とされている、求められているという感覚があるから生きていける部分もあるのだなと私は思いました

少し脱線しますが、私もどちらかと言うと「必要とされたい」タイプだと思います

でも、相手も同じようなタイプの人だと、待ちの姿勢だけでは相手の「必要とされたい」感を満たせない事になります

だとすれば、私から「必要とする」行動を取ることが、誰かの唯一性になる可能性もあるのかななんて思ったりしました

あー、なんか全然うまく言えてないわ^^

ただ、この本の章立ては「1,収容→2,収容所生活→3,解放」となっていますが、3の「解放」部分を読むと、何とも言えない読後感になります

上のような唯一性を信じ帰ってきた人たちが直面する解放後の世界が、イメージと違う事で精神崩壊につながってしまう事もあるという例が紹介されます

暴力の枠組みから逃れられず今度は暴力をふるう側になってしまう人、収容所生活を誰にも共感されずに苦悩はまだまだ深いと感じてしまう人、待っているはずの人がもういなかった人…

解放された人が幸福感を得られにくいという事自体が、収容所での抑圧がすさまじかった事を言い得ているなと思ったりしました

この本を読むと、私が感じてきた「自身の絶望」はたいした事がないと思えてきます

私の絶望は死の恐怖とは離れていますし、飢えもありません

でも、「たいした事ない」と思うのがいい事なのかと言えば、それも迷ってしまいます

少し暗い話をしますが、子どもの自殺があったとき、大人は「狭い世界で判断するな。大人になれば視野も広がって、楽しい事もたくさんあるのに」という言い方をしばしばします

でも、当人にとっては、今現在見える世界が総量であって、辛さの受け止め方もその人なりの重さであると思います

そういう人に寄り添える人、物、考え方ってなんなんだろうと思ったりしますね

今回、うまくまとまらなくてスミマセン^^まだ、混沌の中にいます^^

元気をもらえる本ではありませんが、絶望を俯瞰する大切さに気付けた気がします

感想をひと言でまとめると「弾力性のあるしなやかな精神世界を持つ」事

これを自分なりに探していきたいと思いました

いつも読んでいただき、ありがとうございます

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