♯134 読書記録 梶井基次郎「桜の樹の下には」

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読書記録「桜の樹の下には」

著者:梶井基次郎

出版社:角川文庫

初版:1925年1月

134回目の投稿になります

今回紹介するのは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」です

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」

という、なかなかインパクトのある書き出しから始まる本作^^

桜の樹がこんなに美しいのは、なにかがあるはずだと、見えない地下の部分に思いを巡らせる

桜の樹の下に死体がある

そんな状況を見た事はないのに、文章を読むと、今見ているかのような質感というか、リアリティが感じられます

特に好きなのが、屍体の養分が桜の美しさになっている事を想像させる次の記述です

「俺には毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束の中を夢のように上がってゆくのが見えるようだ」

維管束^^生物で習ったな~とかちょっと思い出しましたが

維管束という用語の具体性が、なんか生々しいというか、ホントに実際そうなんじゃない?的な感覚になったりしますね^^

この作品を読んでいると

実際に死体が埋まっているかどうかということが重要なのではなく

「そう思う事で自分が納得できる」という部分が作者にとって大事な事なのだと思いました

何事も見える部分と見えない部分があって、見える部分の華やかさは、見えない部分の残酷さによってバランスが取れている

そのように解釈する事で自分が保たれるみたいな感じなのかな

後半には「俺には惨劇が必要だ」「憂鬱が完成する時にばかり、私の心は和んでくる」という記述が続きます

「檸檬」では、檸檬を握る事で「えたいの知れない不吉な塊」がゆるんでくると言ってましたよね^^

でも一方で、心が和むのは憂鬱が完成した時とも言う

矛盾と言ってしまえば簡単ですが、私はその不完全さが好きだなと思ってしまいます^^

最近、本を読んでいると、こういう曖昧さや不完全さ、抽象的な表現などをそのまま受け取れるようになってきた感覚があります

好き・嫌いとか、共感できる・できないとかじゃなくて、その人の考え方や表現としてそのまま受け止める的な

これは私の浅い感想なので、もっと深い読み取り方もあるのだろうとは思います

これを書いた時、梶井基次郎自身が病床の身だった事も、作風に影響しているかもしれません

私ももっと年を取って、死のイメージが今より近づいてきたタイミングとかで読んだら、違った感想になるのかもしれませんね

美しさと同時に、散る事の儚さもある桜を題材にした本作

4ページほどで10分もあれば読めます

ちょっとしたスキマ時間にいかがでしょうか^^

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